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JR西日本 大阪環状線天王寺駅その2

社会人になって三年目、営業に移った直後に京都から大阪に転居した。当時私のいたゼネコンは大変おおらかで所属の営業所長の裁量で受注した賃貸マンションを営業目的の理由で借り受けて、安い社宅費で、若い社員に使わせたりしていた。営業所によってずいぶん不公平感があった。

誰も文句を言わないなか、京都で高い権利金の支払いを余儀なくされ続けた私は少しだけ大きな声で大阪支店の総務課長に文句を言った。すぐに応接室に連れて行かれ、「大きな声を出すな」と言われた。総務課マターのこの件は社内で問題になっていたようであった。

しばらくして、大阪の社宅が空くから入らないかと総務課長から打診があった。社内規定の安い賃料である。引っ越し代も会社理由にして出してやると言われ引っ越さない手は無かった。

引越した先が天王寺エリアであった。大阪市阿倍野区帝塚山、大阪では昔から高級住宅街と言われてきたエリアである。交通の便も良く南海高野線帝塚山駅が最寄りで徒歩5分、他も地下鉄御堂筋線、四つ橋線と阪堺電車(チンチン電車)の駅も十分徒歩圏内だった。通勤定期を買わずにその日行く場所に便利な駅を利用した。

私はチンチン電車の利用が多かった。『姫松ひめまつ』という駅である。なんとも言えぬその響きが好きで姫松から通勤することが多かった。大阪でよく話題になる『上町台地うえまちだいち』の下り坂の始まるあたりがこの姫松、その昔は下った先は海だったのである。

我見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松いく代経ぬらん

と古今集に歌われ、これがもとになって付けられた地名である。

息子はちょうど幼稚園に上がるところだった。
徒歩5分にある『阿部野神社』が経営する阿倍野幼稚園の申し込みに長蛇の列が出来ると聞き、申込日の前日の夜に行ってみた。

教職員室らしき部屋に電気がついてたので覗くと園長さんがいた。「あれ、今日だったんですよ」と、なんと申し込みは終わっていたいたのである。しかし、そこで私は最高の営業スマイルで世間話を続けると、私より年上の女性園長は「お宅がそんなに近いなら入園してもらいましょうか。内緒にしてくださいね。」と、長蛇の列に並ぶこと無く息子は阿倍野幼稚園に通うこととなった。

ちなみにこの阿部野神社は北畠親房きたばたけちかふさ顕家あきいえ父子を祀った由緒正しい神社である。
私の住んだ帝塚山の隣接の住所である『北畠きたばたけ』はもちろんこの姓から来ている。

不思議なエリアだった。
地図を見ていただきたい。地図の上、北に天王寺駅そこからチンチン電車はほぼ真っ直ぐ南下する。阿倍野あべの松虫まつむし姫松ひめまつ駅とチンチン電車の駅である。松虫、姫松、なんとも優雅な地名である。晴明丘せいめいがおかなんて地名もある。安倍晴明あべのせいめい神社は私の日曜日の二日酔い覚ましの散歩コースだった。

不思議なエリアの原因にもなるのかも知れない。この地図のチンチン電車通りの左側、西にある一点鎖線が区境である。そして、上町台地の境なのである。区境から下っており、下った先は西成区なのである。見下ろす先が西成区、平日の朝から酒が飲めるような場所もあった。

このアンバランスが好きだった。

家を出て子どもの足でも5分の幼稚園に行く途中に帝人社長婦人のあの大屋政子の自宅があった。しかし、阿部野神社の境内の西側を降りれば西成区、少し歩いたら『玉出たまで商店街』があった。息子ともよく散歩した古い活気の無い商店街、大阪人なら知ってる人の方が多いだろう、安かろう悪かろうの激安の『スーパー玉出たまで』の本店があった。そしてその隣辺りに日本一玉が出るんじゃないかと錯覚するパチンコ店『パーラー玉出たまで』ってのがしょんぼりあった。その横あたりに10円玉を入れるとウィ~ン、ウィ~ンと動き出す小さな象がいて、息子はまたがり、いつも喜んでいた。暗い商店街を抜けて息子と時々いった公園の手前に『あんパンの木村屋』があった。

何もかもがごったなのが大阪らしかった。

しかし、そんな高級住宅地の社宅に入れてもらえたのには理由があった。
その社宅は旧住宅都市整備公団から30年も前に営業目的で会社が買ったもので当初は幹部用社宅であったが、当時の技術の鉄筋コンクリート造のアパートにはずいぶんガタがきていて一般社員にも貸し出すようになったわけである。
実際、転居した年の冬に漏水で風呂が使えなくなり、クリスマスイブの日に息子を自転車に乗せて上町台地の坂を下った事がある。

そんなことも今になればいい思い出になっている。

蛇足であるが私がまだ愛知で魚市場にいた頃の1979年、三菱銀行北畠支店で起きた強盗・人質・殺人事件は目と鼻の先であった。

そしてまだ記憶に残している方もいるであろう、一年ほど前に西成区の崖っぷちのような場所に建っていた住宅が倒壊した。それがちょうどこの地図の区境、真ん中より少し上にある大谷中・高の西側の道路沿いである。

上町台地の崖っぷちは見晴らしは良いが、心臓が強くなければ住める場所じゃないなと、歩きながらいつも見ていた道沿いでの出来事であった。

大阪はなにかと退屈しない町なのである。

こんな楽しく不思議な場所で初めての大阪での生活をスタートさせたのであった。

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