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発想とそれを進める難しさ

皆様の記事を拝見していて時々昔やっていた営業を思い出す。
Shinjiyさんの「普天間基地移転の秘策」を先日読んでいて思い出していた。
「浮体工法」を用いれば埋め立てを行うこと無く基地移転を行うことができるという秘策を書かれていた。
Shinjiyさんの言葉を用いれば巨大な弁当箱を海に並べ浮かべて地盤代わりにする。もちろん弁当箱の中もある程度は事務所や倉庫などとして利用のできる空間となる。自然を破壊することなく共存できる基地となるのである。

水より比重の重い鉄を浮力を利用して浮かせようと考えるのが面白い。コンクリートでも同じことは可能である。長方体のコンクリートの中に発砲スチロールを入れて海に浮かべた桟橋もある。発想の仕方で非常識は常識になるのである。

私は事務屋あがりのゼネコンの営業マンであって、技術の勉強をして入社した技術職員ではなかった。耳目で知った生の情報は知識として持っていたが根本的な仕組みや理屈がわからなかった。でも、そのほうが良いと言ってくれた建築屋出身の営業部長がいた。素人の発想の方が面白いとよく言われていろんな会議、打合せに連れていかれた。専門の技術職の話は専門語が多く面白くない。私は営業として発注者との会議に出る際にはなるべく専門用語は使うなと技術職員に言った。でも、日本語の会議なのに通訳としてその場にいることが多かった。通訳をしながら素人の発想を口にしていた。

そして、その上司と別れてからも思ったことは発言した。設計事務所時代に関西のある都市にある大学の付属高校の体育館の建替え工事の計画があがった。海の見える斜面の高級住宅地にあるその場所は建設当初と用途制限が変わっていて建替えてしまったらその高さも制限されてしまい、思うような面積・高さの体育館は建てれなかった。そんな場所であったがあえてその場所での建て替えを提案したのである。体育館を地下に埋める計画をしたのである。工事費は更地に建てるよりもちろん高額になるが、そんな更地は無く規制で思う計画は実行できない。金に困る学校法人じゃないからすぐに話は決まった。でも私たちの仕事はその計画の提案だけで終わってしまった。関西私鉄のインハウスコンサルタントに実施設計まで行う能力は無いと判断されてしまったのである。仕方のない、悲しい話だった。

そしてそれはゼネコン時代に付き合いのあった設計事務所からの相談だった。
舞台は西日本にある大きな神社。その神社の所在する地域の代議士の息がかりの設計事務所からの相談だった。
10月になると日本中の神様がそこに集まってくるという神社の日章旗を建てるポールが松くい虫除去の薬剤散布中のヘリコプターに引っ掛けられて折れてしまったから丈夫なポールを考えれないかと。
そこで、PCコンクリートというコンクリートに埋め込んだピアノ線の張力でコンクリートの強度を生む素材での、管状のコンクリートのポールを提案したのである。50mもあるポールである。金属製では腐食の恐れがあり、塗装も不要なメンテナンスフリーのポールの提案は非常に喜ばれたがその計画はうやむやになり、気がつけばコンクリートのポールが建っていた。妖怪のような代議士に操られる式神のような設計事務所だった。

建設という世界のなかで発想と前向きな心があれば出来ないことは無いんじゃないかと思う。初めて社会人となり、ゼネコンで営業マンとして独り立ちした時に現場で事務屋をやらされていた頃から世話になった建築屋の上司に「どんな話でも聞いて来い。俺が形にしてやる。」と言ってくれたのを今でもよく憶えている。
世に残されている遺跡のほとんどは人間がやって来たことである。だから、出来ないことなど何も無いといつも思っている。

ただ、それを成就させるにはとてつもない労力と根性が要るとも、いつも思っている。そしてその労力と根性も打ち砕く強い力もあるのである。時には「仕方なし」と諦め次に狙いを移すことも必要なことだと知るのには時間がかかった。良いとか悪いとかの判断じゃないのである。そこで費やす時間がもったいないのである。だから一たび離れる。でもそのことは生涯かけても忘れることはないであろう。それは私の性格である。生涯をかけて熟成させて違う形になっても結果を出したいといつも思っている。

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