HBRメモ_企業の信頼はガバナンス経営から始まる(冨山和彦氏)_会社法_CGC_取締役

以下抜粋メモ

●閉じたガバナンスモデルでは持続的な経営は難しい

 コーポレートガバナンスの憲法に相当する根本規範は、会社法である。我が国の会社法の機関設計に関する規定は、憲法の定めるところの国の統治機構における議院内閣制に近い仕組みであると考えていい。

 つまり、統治原理的には資本制民主主義を基礎として、有権者に当たる株主は、原則年に1回の定時株主総会(≒総選挙)で議決権(≒選挙権)を行使して、みずからの代表者たる取締役(≒国会議員)を選任する。また、国家における国権の最高機関である国会に相当する取締役会は、その過半数の支持によって取締役の中から執行部門のトップである代表取締役(≒内閣総理大臣)を選任する。そして監査役は、取締役会や経営陣の行動の適法性を、業務執行停止権をてこに監査・監督する裁判所に近い機能を持っている。

 このアナロジーからすると、国会の議長に相当する取締役会議長は、内閣総理大臣に相当する経営トップとは別の人物のほうが自然であるし、総理大臣(≒経営者)から見て国会議員(≒取締役)や裁判官(≒監査役)が全員自分の部下ということはありえないということがわかるだろう。前任の総理大臣(≒経営者)が次の総理を選ぶのが不健全なことも自明になる。

 しかし、我が国では資本制民主主義に基づく議院内閣制的な会社法の体系を、“サラリーマン民主制”的に運用してきた。このため、取締役は当該企業内部のサラリーマンで固め、経営者が取締役会議長を兼ね、みずからの後任を経営者自身が選ぶことが当たり前のように行われてきた。

 実は、このような「サラリーマンの、サラリーマンによる、サラリーマンのためのカイシャ」という閉じたガバナンスモデルの歴史は意外と浅いものだ。

 戦前の日本においては、財閥がその典型であるが、合資・合名会社を頂点とし、その下に多くのグループ企業である株式会社をぶら下げる、株主主権型のガバナンスに近かった。少数の大株主の発言力が強く、株主から経営者が送り込まれることも多かった。一方、終身雇用制度は一般的ではなく、雇用の流動性は高かった。また、労働組合の組織率も低かった。つまり、戦前の日本の資本主義はアングロサクソン型だったのである。

 戦後の日本においては、財閥解体によって株主の影響は弱まっていく。その代わりにメインバンクシステムが台頭してきた。戦後復興期から高度成長期において急増する資金需要を満たした間接金融(融資)を通じて、銀行の企業統治上の影響力が高まったのである。金融機関による政策的な株式保有も、メインバンクとしての影響力を補強した。

 かつて、百貨店の三越を舞台にした特別背任事件があり、「天皇」と呼ばれた社長が解任されたが、この社長解任を主導したのはメインバンクの会長を兼務する取締役だった。何か不祥事が起きた時に、社長に引導を渡すのはメインバンクの役割だったのである。

 当時の我が国の経済社会の実態においては、メインバンクによるデットガバナンス(債務をてこにした統治)は合理的に機能したし、いまでも所有と経営が一致している非上場企業においては、数少ない有効なガバナンスモデルである。

 しかし、1980年代以降の金融緩和によって、上場企業が株式市場や債券市場から直接資金調達することが容易になると、メインバンクの立場は弱まっていった。それに追い打ちをかけたのが1990年代初めのバブル崩壊である。不良債権や過小資本の問題を抱えた銀行は、政策保有株の売却を進めざるをえなくなり、メインバンクによるデットガバナンスは衰退していく(図表3「投資部門別株式保有比率の推移」を参照)。


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 当時の日本は、株主によるエクイティガバナンスが未成熟であったため、ここにガバナンスの空洞化が生じた。その結果、外部のステークホルダーからの規律付けを欠く、「サラリーマン共同体型ガバナンス」の状況が誕生したのだ。

 この状況はサラリーマン序列の最高位に立つ経営者たちにとっては、実に心地よい。銀行や株主の顔色を気にする必要はなく、ムラの空気さえ読み違えなければ、王様として君臨できるからである。

 しかし、社会に対して閉じたこのガバナンスモデルが、日本企業の稼ぐ力を削ぎ、現場を不正に駆り立てる温床となってきた。すなわち、閉じたガバナンスモデルでは、社会の信頼の体系に合致した持続的な成長を実現することは難しいのである。

・強い経営人材の選抜と育成

 私は産業再生機構の時代から今日まで、カネボウや日本航空など100件近くのトップ人事に関わってきたが、経営不振に陥っている会社ほど、前任者が推薦した後継者が不適格なことが多い。

 それは、サラリーマン共同体至上主義の中で、社外に波風が立つような厳しい決断を避け、社内の各部門やOB、創業家、大株主などの顔色をうかがいながら、前任者のお気に入りとなり、あるいは派閥持ち回りの結果として社長のポストに就いた人がほとんどだからだ。

 こういうタイプの人は、自分の任期をつつがなくまっとうすることを優先し、構造的な問題を先送りする。このようなトップが何代も続くと、「不作為の暴走」が起こり、経営不振に陥っていく。こうした負の連鎖を断ち切らなければ、経営不振という病気が進行した最終局面で対症療法的に発生する不正や不祥事を防ぐことはできない。

 ●CEOの選任と解任

 したがって、コーポレートガバナンス改革の本丸は、最高経営責任者であるCEOの選任・解任の仕組みとなるのだ。

 経営とは、社内の論理と社会的規範を含めて、さまざまな矛盾や葛藤の中で最適解を見出し、それを実現化していく仕事である。最終的な決断を下すのは自分以外に誰もいない状況で、すべての矛盾や葛藤を逃げずに受け止め、タフな意思決定ができるかどうかを問われるのがCEOなのだ。

 そして、タフな状況の中でも適時・的確な意思決定ができるCEOを選び、そのパフォーマンスをモニタリングしながら、時には励まし、時には軌道修正を促し、そして、暴走するようなことがあれば即座に解任する。これこそが取締役会の最も重要な機能だ。

 CEOの選任・解任に外部の規律と規範を取り込むための機関設計として、指名・報酬・監査の3委員会を置く指名委員会等設置会社という取締役会制度がある。各委員会の委員の過半数は社外取締役で構成されることになっており、形式上はCEOの選任・解任に強い権限を持つ。

 だが、不正会計を行っていた東芝や、経営の混乱を招いたLIXILグループが委員会等設置会社であったことからもわかるように、形式的な機関設計だけでは用を成さない。

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