Hironari Miyachi

俳優、あなたのともだち。 つぶやきはノートのタネ h.miyachi.play@gm…

Hironari Miyachi

俳優、あなたのともだち。 つぶやきはノートのタネ h.miyachi.play@gmail.com

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宮地洸成・プロフィール

宮地洸成(みやちひろなり) 生年月日:1997年8月4日 出身地:東京都 身長:175cm 体重:63kg 趣味:映画鑑賞、散歩、登山 所属:なし 連絡先:h.miyachi.play@gmail.com 俳優。上智大学経済学科卒。高校演劇部で演劇活動をはじめ、2017年より小劇場を中心に舞台俳優として活動開始。奇天烈な身体とリアリズムが同居した演技への評価が高く、個性派俳優としての頭角をメキメキと表してきている。らしい。 次回出演 木村美月の企画「汎愛奇譚集」 20

    • 『汎愛奇譚集』についてぼんやり

      今日がラスト稽古休みなのでぼんやりしています。やることはたくさんありますが、用事なくぼんやりする時間が創作には欠かせません。こういったnoteの記事もぼんやりした時間から生まれます。さすがに今日は短く行きます。 さて、今週末から三週間にかけて出演する「汎愛奇譚集」ですが、公式からの説明にはこうあります。 あまのじゃくの自分は、「分け隔てなく」愛するなんてことがありうるのかなんてまず思っちゃいます。分け隔てなくというと、人によって態度を変えないだとか、出会ったすべてのものを愛

      • 冬ザン2024

        ツナグ 構成良 エピソードがつぶだっている 見せたいものがわかる  人間失格 ザンパラではあまり見ないタイプの軽やかさに驚いた チームワーク 集団で魅せるが、会話を担う人たちの演技も行動から作り込まれているテクニックの良さ 創意工夫てんこもり 内容は実は陳腐だが、陳腐だからこそ創意工夫自体を楽しめる  自己忠臣蔵 人間失格とは真逆にパラメータ振った上演 工夫も多いがこの難題が「さあ魅せてくれ」という思いには一歩届かない歯痒さ 単純に難易度の高いことをやっている しかし心がざわ

        • 演劇、それ自体の可笑しさ

           劇場や稽古場でしばしば、私の頭はとある思考に支配される。なぜ、人が動いたり声を出したりする、ただこれだけのことを繰り返しているのだろう。本当にこんなことに意味があるのか。  少なくとも意味はあると信じてやっている私がおり、一方でそのようなものを全く信じられないという目で見ている私も同時にいる。冷めた目で見れば、本当にそれだけのことじゃないですか演劇って。なんて共演者に言おうものなら冷めた目で見られるのは演劇ではなく私だ。何を言い出すんだと直接言われたこともある。あとは「いま

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        宮地洸成・プロフィール

          わからないまま感じることの豊かさ 理解して演じる方法としてのリアリズム 理解は結果として表れる情報のほんの一部でしかないのだな…。

          わからないまま感じることの豊かさ 理解して演じる方法としてのリアリズム 理解は結果として表れる情報のほんの一部でしかないのだな…。

          比較検討

          手放すことをとにかく重視した2ヶ月前のシーンと、アクショニングを試しまくった先週のシーンを比較する。 と書いてから気づく。2ヶ月前も先週も「チョウのように舞い、ハチのように刺す」と目的を設定していたけれど、実際のところは2ヶ月前が「チョウ」重視、先週が「ハチ」重視だったんだなあ。まあ目指すところは同じです。なぜなら、刺すには舞わねばならぬから。 幸いにもどちらも映像に残してくださったので、けっこうじっくり見ている。ふだんは稽古の映像なんて、情報量が頼りない割にどうでもいい

          自分の返答に驚いた

           初めてお会いする年上の女性俳優と、ハラスメントについてゆっくりお話する機会があった。主な議題は「ハラスメント及び性暴力被害者への二次加害に対して業界人としてできること」だった。有意義なことを色々話したけれど一つ印象に残ったトピックについて書き残す。  「昭和」の俳優たちはどうしたらいいと思いますか、なんて聞かれた。ハラスメントが当たり前にたくさん存在して、それを受け入れたり加担したりしてきた人たちがどうしたらいいか、という話だった、と思う。  たぶん相手によって私の返答は

          自分の返答に驚いた

          『コースト・オブ・ユートピア』をよむかい 参加者募集

           はじめて読む戯曲は中断せずに最後まで読んだほうがいい、みたいなこと言った演劇人がいました。人によっては難しいでしょうが、ある程度の時間を読書のために確保し、わからなくなってもとりあえず読み進めると決めておけば、大抵の戯曲はそのように読み切れます。しかしトム・ストッパードの『コースト・オブ・ユートピア』ではそうも行きません。この戯曲は文庫版でなんと600ページ弱、上演時間にして約9時間にも及ぶ超大作です。しかもストッパードといえばウィットに富んだ作風で知られており、きっと『コ

          『コースト・オブ・ユートピア』をよむかい 参加者募集

          割と有意義なことをした日の合間に考えた無駄なこと

           アナグラムそのものに意味はないが、その回答をつくることには意味があるようなアナグラムをつくれないだろうか? という、正直自分でもさっぱりわからない試みをしている。全く成果がないのでここには書けない。みんなどうやってアナグラム作ってるの? 英語のほうがまだ作りやすいけど、日本語でつくりたい。それも陰謀論めいたものを。なぜ陰謀論めいたほうがいいのか。それ自体には意味がないが、それを信じるものには意味があるからだ。かっこつけすぎないが、かっこつけているようなもの。  多世界解釈

          割と有意義なことをした日の合間に考えた無駄なこと

          わかりあおうとか、対話が必要だ、とかみたいな意見が暴力的になりうることをわかっていなければならない。わかりあうことも対話も求めていない場合には無効などころか、相手方を黙らせ要求を折れさせることにもなりかねないということ。

          わかりあおうとか、対話が必要だ、とかみたいな意見が暴力的になりうることをわかっていなければならない。わかりあうことも対話も求めていない場合には無効などころか、相手方を黙らせ要求を折れさせることにもなりかねないということ。

          短時間にノートを3つも4つも書くものではない せめて下書きにして保存しておけ

          なにかの不安が自分を責め立てているので、文章を読み続けるか書き続けるかを繰り返している。次のお題は、自分にはなぜ演劇なのか。 結論:わからない 独断的にこうだと言い切ることはできる。 しかし根拠がない。だからこれについて語るのは現時点では無意味だ。 瞬間的な話なら少しできるかもしれない。 たとえば演劇じゃなくてただ遊び暮らす生活だったらどうだろう。 今日は一日中寝ても良い。 明日はテニス。 明後日はバンジージャンプか、スカイダイビング。 明明後日は岩場のある山を登ろう。

          短時間にノートを3つも4つも書くものではない せめて下書きにして保存しておけ

          わかるわからないでもなく、おもしろいでもつまらないでもなく、なるべく覚えておこうと思う

           そんな意図があったのかー  と批評を読んだりアフタートークを聞いたりして楽しむやつ  人それぞれ楽しみ方があるからこそ他人の批評をたのしめるわけで。  自分がわからなかったことは全く問題でないし  わからないうえに何も面白くなかったとしても  それを面白がってみている他人がいることは面白いから  それでいいじゃないか  なんてことは当然わかっているのだけれど    他人の感想をみて、作者の意図を知って、  あれ、自分とあの作品と出会って生まれたものって  大したことなかっ

          わかるわからないでもなく、おもしろいでもつまらないでもなく、なるべく覚えておこうと思う

          最初に「たとえば」とだけ書いてみる

           たとえば。  間は使ってもいいが、なるべく平坦に抑揚をつけない。ほぼ機械音声だと思ってしゃべってみる。言葉の意味や背景を伝えようとする必要もなく、ただ音として発声してみる。ふつう、これは苦しい。決まった喋り方は、身体にほとんど同じ緊張状態を強いるので負荷が大きい。それに緊張が続いて変化の起こらない身体は見ていてワクワクしない。だから俳優トレーニングにおいては、そうでない発声・発語を目指すのが基本となっている、と思う。  あえてやってみるのも面白いだろうか。自分で自覚的にや

          最初に「たとえば」とだけ書いてみる

          ぐったり

          おもしろいという言葉を分解するなら、ひとつには「信じるに値する」があるといってよいと思う。信じるだけではよく意味が取れないならば「フィクションを信じる」でもいい。この場合のフィクションとは人間の周囲を常に取り巻いているような類のフィクションだ。観劇に行く際、私はこの作品が何を信じているのか、信じようとしているのかを観に行っているものだと思っている。 作品に際してあらわれるフィクションが信じるに値するかどうか、それは信じてみないことにはわからない。信じられなくとも、信じようとし

          シンプルに呪縛のサイクルがある-『器』の読解

          これから書く過去の上演についての、ある意味では否定的と取られかねない文章は、見ていただいたお客様に申し訳ないなと思いつつ、しかしこのnoteが創作や思考の覚書のためでもあることを踏まえてはっきり書いておこうと思う。 先に言っておくとこのあとに書くような読解が座組になかったわけではない。しかし、当時どう読解していたかを正確には言語化できないし、言語化していなかったとしてもぼんやりと共有はしていたはずのそれについて、今ならよりシンプルに自分の言葉で結びつけられると思ったから残して

          シンプルに呪縛のサイクルがある-『器』の読解

          リアリズムのやりとりとしてつくること

          いわゆる「手放した」状態である出来事を起こしたい場合、何をとればそれが起きるのか、どのような行動があればいいのかを確認しておく必要がある。さらに、人間同士のやり取りにそれを求めるならば、共演者ともそれを共有する必要があるだろう。 だけれど、時間の問題があったり、お互い表現者としての価値観の問題があって、どうしても擦り合わせられないことがある。また日によって身体は変わるものだし、相手役の演技も変わる可能性がある。そうするとあるセリフが言いにくかったり、必要な段取りが実行しにくく

          リアリズムのやりとりとしてつくること