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悪魔の囁き

やあ諸君。西ノ宮キューちゃんだよ。
探偵譚の西ノ宮シリーズの主人公だよ。
今回は面白いものを見つけたのでそれに
答えていっちゃうよん

#哲学問題私の答え

まあ詳しい部分はもと記事に丸投げするとして。
この問題を考える上で重要なのは倫理とは何か?卑怯とは何か?だね。
この二つをまず紐解いた所で
本題の復讐に関して論じていこう。

倫理。人間の道徳的な指標だね。それは時代と共に変化、変遷する。宗教と重なることも、恥の概念、ひいては美意識とも繋がりのあることもある。

さて、倫理的であることは、ある意味倫理的な、道徳的な葛藤の放棄ともとれないだろうか?果たして、絶体的な倫理など存在し得るのか?

答えは勿論、あり得ない。倫理とは常に相対的であり、揺らぎ続けるものだ。そして水のように流れ、巡り、循環する。

そして同様に、水と同じで生きるために必要不可欠なものだ。世の中が非倫理的で、誰も彼も殺しあっていては、ほとんどの人間は生き残れないだろう。

次に卑怯。卑怯とは卑しく、怯える。恐怖は心を殺すものだ。対となるには、勇敢で、誠実でなければならない。

何故卑しいのか?誇りがないからだ。鏡を見つめ、自分を見つめ直すが吉。君の輝きはきっと君が見つける。

何故怯えるのか?灯りが無いからだ。不明と不定の深淵は恐ろしい。だからこそ学び、知り、流離う旅人。迷うことは時として何よりの近道だ。闇を照らす光は知性。

最後に、復讐。浅学ではございますが、これでもって帳を下ろせれば幸いです。私の知性と好奇心、わずかばかりの茶目っ気と溢れんばかりの愛でもって。

復讐、必要です。行為としてではなく、存在として。抑止力として。触れること無く争いを納める為の知恵でもあります。昔の人は凄い発明をします。仇の字。

9の数字を冠します。そしてにんべん。人の業ですね。諦めましょう。

放っておけば良いのです。
触らぬ神に祟りなし、ですよ。
無害なのですから、
遠巻きに、あるいは窓越しに
眺めるだけ眺めて、
あなたはそれと無関係に
平穏な生活を送ること。
それが何より冴えた手段です。

ん?本題と反れましたか?
まあ復讐とは振り子の運動です。
徐々に周りを巻き込んで大きくなる。
結果ご破算なのですから、茶番劇ですよ。
お暇な時だけ、構ってあげれば良いのです。

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