見出し画像

6月末までお休みになりました

タイトルの通り、昨日5月11日から6月末までお休みになりました。

いままでの経緯を文字にすると、2月に地域のデザイン会社が運営するセレクトショップのスタッフとして採用していただいたものの、新型コロナウイルス感染症の影響で1月末から店舗は休業。
でも再開の見通しがたたないので、3月から事務所でECサイトや商品整理などの作業にあたっていました。
そして3月末からは在宅勤務に切り替わり、一度も店頭に立たないまま5月に突入、GW明けのミーティングで突然言われました。

「6月末まで社員以外の3人には休業をお願いしたい」

それまで今後のコロナの予測、会社の方針として雇用は守りたいという話を聞いていたので、正直とても驚きましたが、「大丈夫です」としか言えないですよね。

GW前にはECやHP周りをこれからお願いしたいと言われ、これから売れるECにするためにはどんなことをしようかと考えていたところだったので、「やっぱりあなたは必要ない」と言われたような錯覚に陥りました。
決してそんなことはないんですが、それだけこの一言にはインパクトがありました。

5月末で試用期間が終わり、6月からはフルタイムで働きたいと思っていた矢先、こんな事態になってしまったので気持ちを整理するためにも書いている部分はあります。


とは言いつつ、「休業手当として給料の6割は支給されるから」「定額給付金で10万円支給されるから」休みでもいいじゃないかと思う人は多くいると思います。
もちろん、この決断をした社長や各部のリーダーもかなり勇気のいることだったと思います。

それでも納得できていないのは、「仕事をすることで社会と接点を持っていたい」という思いがあるからなのかなと思います。

自分はお給料のためではなく、何かをすることで誰かの役に立ちたい、社会の一員としての立場を失いたくないという気持ちがあります。
ただ何もせずにお金をもらえて好きなことを出来るこの約2ヶ月の休みを喜べたはず。

一時期、仕事はおろか外に出ることも難しかった時によく思っていたことがあります。

仕事すら出来ない、ただ家にいるだけで何も生み出せない消費しか出来ない自分は存在している意味があるのか、と。
何かをすることで誰かのためになり、そのお返しとして「ありがとう」という言葉や自信を手に入れられる。その過程だけでいいのに。
お給料なんてそのおまけとしてもらえるくらいでいい。そもそも自分の働きをお金であらわすなんてどうなんだろう…(もちろんお金は欲しいけど)

ただ、今は不自由の中での自由を扱っていくしかありません。ネガティブな部分ではなくポジティブな部分を見ていかないと何も進まない。
会社を介せずと出来ることはないか、消費者としてだけでなく、自分も作り出す側として出来ることはないか。
そんな中でも、じゃあなんで自分はこう思うんだろう?という問いは絶えず続けていきたい。違和感や疑問のこそ本質が眠っていると思うから。

今はECの運用や地域デザインのようにやりたかった仕事が出来ているし、ここで経験を積んでいきたいと考えていた。
でも、この事態になって帰りたくても帰れないふるさとのことを、電話でしか声がきけない家族のことを思うと、少しずれが生じてきた。
「“ いつか ”東北に帰りたい」の ”いつか” って、いつなんだろう。というか、いつにしようか。とか。


とりあえず6月末までは会社から大量に借りてきた本を読み、今後すぐ応用できるようインプットを増やすこととか、文字を書くことの練習をしていく。
俳優さんがYouTubeに参入して発信して利益を得ている現状、これから自分の力で戦わなければいけない時代に、何の力を身に付けるかを見極めていこう。

空っぽの引き出しの中からは何も取り出すものがないので、まずはそこに色んなものを詰め込むところから始めようと思います。
何を入れるか整理をするのも、まずは入れてから。溢れそうになったときに自分のやりたいことが自然と残っていくと思うから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?