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自分の「声」や「話し方」と向きあうことについて

リモートワークでの仕事。長時間パソコンの画面を眺めているので、以前に増して目の疲れがひどい。
それでも知的好奇心が強いため、最近の音声メディアの豊富さに比例して、余暇は耳から情報を得ることが増えた。

それに私自身が発言している音声を耳にする機会もちょっぴり増えてきた。
その度に悲しい現実にぶつかってしまう。それは、自分の声質や話し方が好きではないということ。昔からの悩みでもある。
ちょっと鼻にかかったような「もやっとした声」と、だらだらしゃべってしまう話し方。言葉も思うように出てこない。アーカイブなどで私が話している声が聞こえるたびに恥ずかしくて、穴があったら入りたいとはこういうことだと思った。もっとハキハキしゃべれよ自分、と責めてしまう。

以前とあるオンライン特別イベントで、アナウンサーから学べる話し方講座を受けたことがあるが、どうもしっくりこなかった。テクニックとしてはその通りなんだろうと理解できても、どこか"わざとらしさ"や"不自然さ"を感じたのだ。もっと自然な形で改善できないのかと思い続けて今に至る。

今も具体的な解決策が見つかったわけではないが、仕事のMTGや取材、オンラインイベントなどを経験し続けて少しずつ気づいたことがある。

自分なりに気づいたこと

・圧倒的な経験不足
昔から人前で話すということが苦手だ。それどころか1対1のコミュニケーションもできなかった。自分から話題を提供できないし、周りの目を過剰に気にする思春期を過ごした。発言するだけで周りから嘲笑されるのではないかという自意識過剰的な不安感も当時は感じていた。
大学から大阪に出たことがきっかけで、異次元的なコミュニケーション力が高い環境に揉まれ、1対1であれば普通にコミュニケーションが取れるようになった。これだけでも高校生までの頃と比べると大きな進歩だ。でも、グループで場をまわしていく、いわゆるファシリテーションはできないままだし、今までストックとして残るものに発言していく機会は避けていた。
正直今も、周りからの視線は怖い。慣れない。どう思われているのか気にしてしまうし、緊張して変な汗が出る。
それでも、今こうやって少しずつ機会が増えてきたことで振り返ってみると、明らかに「話す」「発言する」「ファシリテートする」経験が不足していたんだと実感した。

・自信のなさからくる声質
自分の発言に対して自信がないことも起因しているのではないかと思う。基本「断定」して物事を話すことが得意ではない。次第に「私の発言は正しいのか?」「間違ってたらどうしよう」と思うようになり、特にアーカイブなどのストックとして残るものに対しては、周りの目を伺いながら発言するようになってしまった。
「答えのないものに正解を求める」「周りの人に自分の発言に対して共感してもらわないと恥ずかしい」といった承認欲求や画一化を求めていたから、自分自身の発言も正解かわからずにむにゃむにゃ話してしまっていたのかもしれない。それが日常のたわいのない会話では気にならなくても、仕事ゆえの緊張感やアーカイブとして残ってしまうというだけで自信を喪失していたのかもしれない。
それに、その場にいる人との関係性、心理的安全性があるかどうかも大きな要因だと思っている。まずは信頼できる人たちがいる場所で小さく経験していくことが大切だ。自分一人でしゃべろうとしない。自分ボールを持ちすぎず、相手にボールを渡していく。関係性や心理的安全性の構築については、もう少し深掘っていきたい。

・語彙力、表現力の強化
たくさんインプットしたとしても、しっかりと理解し咀嚼して、深いところまで落とし込まないことには自分のものにはならない。言葉が出てこないということは、理解が足りていないか自分の中にある表現力や語彙力が足りないか、思考的な部分とも直結しているような気がする。これは正直なところ「書く」ことにも直結しているのでは。
本を読みっぱなしに、学んだことを学びっぱなしにせずに、自分なりにまとめていくことが大切だと思う。
学んだつもりになるのが私の悪い癖なので、復習して自分に落とし込んでいく作業をやろう。まずはそれから始めるだけでも少しずつ変わってくるはず。

Notionにまとめていくと捗りそう。

少しずつ、自分の声や話し方を好きになれたら

特別なにか音声メディアを配信したい、というわけでもない。
でも自分が納得するような話し方や発声ができるようになるだけでも、自分のことが少し好きになれるはず。
それにもしかしたら今後、音声で発信する機会があるかもしれない。
すぐに改善できるものではないけど、昨日より今日、今日より明日と前に進めますように。

まずは意識するだけでも、私の世界は変わっていく。


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