好きと依存の違いとは

友人と通話をしながら、好きと依存は何が違うんだろうね、と話した夜は、3晩ほど前の話だ。

「好きって何?」と友人が言ったので、わたしも思わず考え込んで、女子大生ふたり議論を交わした。

「……相手と話してて楽しかったり、心地よくて安心を覚えたり、そのひとのために頑張ろうと思ったり」
『それは依存じゃないの?』
「じゃ、ないと思う」

「一瞬__くんが現れて混乱したけど、やっぱり__さんが好きだと思った」
『それって全部終わった後に考えたことじゃない?』
「そう、だねえ、何も言えない」

改めて突きつけられてみれば、なるほど確かに、好きと依存の境界線なんてものは曖昧なのかもしれないと思った。


人に依存して淋しさを埋めていた高校時代を思った。
孤独で孤独で仕方がなかった。寂しくて仕方がなかった。
だからわたしは、人に甘えて構ってもらうことでそれを誤魔化していた。

相手が自分に興味を持ってもらうためには条件が必要だった――例えばそれは自分の若さだったり、相手が望んだ言葉だったり、自分の性といったものだった。

自分の立場を最大限利用した。相手が自分に興味を持ってもらえるように嘘をついた。相手がわたしに興味をもってくれさえすれば、相手は暇つぶしに声をかけてくれたから。そんな相手にわたしは頼って、淋しさを埋めて、時に同じ役割を相手に求められながら、自分の孤独を埋めていた。もちろん、自分の心を許したひとだけではあったけど。

ひとに依存していた。相手を追い詰めて、連絡が取れなくなっては、次の寄生先を探した。
爛れていたと、今なら思う。


今、わたしが思うひとは、遠くにいる。それは友人も知っている。

「……依存は、自分のためだけでしかないけど、好きって感情は、相手のためでもあるんじゃないかなあ」

結局自分が吐き出せた言葉はそんなことだった。
遠くにいるあのひとは、わたしの心の支えになっているひと。だけれど、自分のエゴで壊したくない、と願えるひと。

正解はわからないし、正解はないと思う。
でも、その夜、自分の解釈を言葉にできたのは、いいことだったと思う。

忘れないように、ネットの片隅に記しておく。

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