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日々の暮らしの中でYin(陰)sideを味方につけること


「陰」のイメージについて

「陰キャ」のような言葉から連想されるように、「陰」というワードにはなんだか基本的には暗いイメージがついてくる。けれども「陰」は必ずしも悪い意味ばかりで使われるものではなく、頑張りを求められる現代の忙しい生活の中でエネルギーが上がりがちな私たちの体調や暮らしをちょうど良く保つためのヒントを秘めている。

ここ数年、特に若い人々の間では「陰キャ」だったり、MBTIで最初に来る文字の「I」(introverted、内向型)だったり、HSPだったりする特性をアイデンティティーの一つとして堂々とオープンに出していくことで、そうである人ともそうでない人とも相互理解を深めやすくなっているような傾向があるように感じられる。

私自身もいわゆる「陰キャ」、INFJ、HSPという属性である。30代に入るくらいまでは、そのような特性を隠す方が生きていく上で有利だと感じ、少し無理して社交的に振る舞い、明るく「普通の人」として周囲から認識されるように努力していた。(コミュ障で内向的なのはバレバレだったと思うが)

「陽」でいることで楽しいことをたくさん経験できたし、友達も作りやすくなったが、次第に別人のふりをすることに無理が生じ、心身ともに不具合が起きたこともあった。

私自身のバランス(陰陽とアーユルヴェーダ)

太極図にも表現されている通り、陰の中にも陽があり、陽の中にも陰がある。人それぞれ、快適さを感じるバランスが大切。

私の場合、放っておくとエネルギーがもともとの性質である陰に傾きすぎてしまい、(アーユルヴェーダで言うと水のエネルギーであるkaphaが強く、不活発な性質であるtamasが溜まっている状態)心身が重ダルく、いつも眠い。意欲は低下し、完全に世の中に対して心を閉ざした状態で、自分の内面に入りすぎてしまう。少しの刺激も鬱陶しく感じてしまい、人の多い場所や大きな音のある環境では発狂寸前になる。そしてすぐ疲れる。

そうなり始めたと気が付いたら、取返しがつかなくなる前に、面倒だと思っても時々行動に変化をつけて「陽」の動きを入れることでバランスを取るようにしている。ぼーっとしている方が楽に感じられても、お気に入りの音楽やポッドキャストを聴いてみたり、人と会ってみたりする。最初はダルくてもじわじわと楽しくなり、元気が出てきたりする。

一方で、後天的に生じた「陽」や「vata」(風のエネルギー)が上がりすぎてしまい、コントロールの効かなくなることの方が制御が難しいと感じることがある。

毎日の仕事、ヨガの練習や学び、旅行、人と話すことなどで、適度にエネルギーが上がるのは良いことだけれども、私の場合、メーターが壊れているらしく、一気に上がってそれっきり、という状態になってしまう。

自分が騒いだりはしゃいだりするわけではないが、静かすぎる日常とのギャップで、たまに大勢で集まったり飲み会などに行くとその場の賑やかなテンションに影響を受けて、心拍数も上がったまま、たいてい眠れなくなる。

また、無理して頑張ろうと思っているわけではないが、仕事もヨガも趣味も楽しくなって夢中になると止まらなくなってしまう。動いても動いても疲れを感じづらく、いわゆる躁の状態。たいていそういう時は脳が興奮していてやはり眠れなくなるから自分で気が付く。

自分の中ではアップダウンが乱高下していて毎日ぐるぐるしているが、案外他人から見ると同じに見えるらしく安定感があるような印象があるらしいのは幸運だ。外に出る時は一応気を遣っているから、それが功を奏している。
たぶん。だといいな。。。

「陽」に傾きすぎることのデメリットと「陰」sideを持つこと

先天的には「陰」であるし重くどっしりとした「kapha」の強い私であるが、結局現代社会で暮らすうちに「陽」の活動が過多になり動きすぎてしまう上、「vata」の影響で心はそわそわ落ち着かず、身体にも不眠や肩凝り、頭痛、喉の不調、乾燥などの不調が生じて振り回されるのを感じる。

そのように「陽」と「vata」が上がりすぎている人は今の時代、私に限らずとても多い。世の中が頑張りを求めすぎているように思える。今の日本では経済状況も楽勝だと言えるひとは多数派でないと思うし、子育てをしていれば毎日が大変だ。何かを求めて努力などするつもりがなくても、普通に暮らしていくだけでエネルギーが上がりすぎる。もともとの体質も「陽」や「vata」であるなら影響はより重大である。長年そのような状態にあり、それが当たり前になって気づかない人も少なくない。そしてそのような人ほど忙しすぎて自分と向き合う時間を取りづらいと思う。

自分のバランスを観察することを習慣にし、「陰」のsideを味方につけることでバランスを取り、自分にとって最適な状態が崩れそうになったらコンディションを作り直すことが有効だ。

いわゆるグラウンディングと呼ばれるようなことをしてみる。
ヨガをやっている人なら、頑張る「陽」のヨガは少しお休みして「陰」のヨガをやったり瞑想や呼吸法をする。
ゆっくり家で過ごし、掃除や断捨離をしながら生活を見直す。
植物を育てて毎日の変化を観察するのも良い。
とにかくふわふわと彷徨う心を落ち着かせる時間を取ってみる。

ジャーナリングの習慣

私は上記の内容に加え、朝食後コーヒーを飲みながら日記を書くことを習慣にしている。かっこよく最近の言葉で言うとジャーナリングであるが、形式なども特に決めていない。
前日に起きた出来事を文字にすることで思考や人生を客観的に捉えることが出来ていると感じる。

少女の交換日記のように、アラフォーの私と同い年の親友は2冊のノートを会うたびにまわす、ということを数年やっている。お互いの生活や考え方、人間関係や環境の変化を知るのはとても興味深いし、自分一人だったら続かなかった。内容も適当になりそうだから、読んでくれる相手をある程度意識して半分手紙のように綴るというのは私の中で大きな意味を持つ。20年来の親友が相手だから結構赤裸々なことも書いているが、素直に正直に気持ちを表現するということを優先させている。

忙しい朝、瞑想も兼ねて20~30分くらいかけてこの習慣を継続させるのは、余計な早起きが必要だったり簡単ではないが、書き終えると思考が整理され、クリアな状態で一日の活動を始めることができる。また、過去の記述を読み返すと筆跡の変化も含め、自分を観察する大きなヒントになることがよくある。

おわりに

このように形は何であれ「陰」の時間を意識的に取り大切にすることで俯瞰の視点も養われる。前へ前へと進むだけの活動をしていたら自分がどこで何をしているのか分からなくなってしまう。立ち止まる時間を日常に入れていけば、自分にとって適切なバランスが崩れそうになっても大崩れする前に補修できるから大丈夫。そして、「陽」の時間ももっとのびのび楽しめるようになるから人生がまた良い方向へと向かう。



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