松本人志問題について――ジャーナリズムの失墜と陰謀論への接近

松本人志の性加害問題については、すでにテレビをはじめとするマスメディアで取り上げられていて、ただの週刊誌のゴシップネタにとどまらない様相を呈している。
週刊文春の記事に対し、当初から松本および吉本興業は事実無根と主張しており、文春vs松本という対立構造が、この問題について繰り広げられるTwitter上の議論の前提をなしている。
ここで松本擁護派の主張を観察していると、いくつかの論点が絞られてくる。

・なぜ8年も前の出来事をいまさら週刊誌で告発するのか
・なぜ被害に遭った当時に警察に届け出ないのか
・いわゆる「まんこ二毛作」なのではないか

上記のポイントをまとめると、昔の出来事を、いまさら、しかも警察ではなく週刊誌に告発するという不自然さを指摘し、ゆえにこれは女性側が金目当てで嘘をついているのではないか、ということになる。
なぜ警察に届け出ないのか問題について、このような指摘が出てくることそのものが、日本におけるジャーナリズムの失墜を表していると筆者は考える。警察に言っても相手にしてもらえない、事件として扱ってはもらえない、しかし相手は有名人である。だとしたら、週刊誌であれば話を聞いてくれるかもしれない。
このような過程はこれまで週刊誌にタレコミがされてきたいくつものネタに当てはまるのであって、特別今回の件だけに特徴的なのではない。そして一時期まで、このような告発先として週刊誌は機能していた。しかし今はそうではない。タレコミ先としてはTwitterやYou Tubeにいるインフルエンサーのほうが大きな支持を集めている。
それなのに、あえて週刊誌に、しかも週刊文春にネタを提供するというのは、金が目的なのではないか、という邪推が人々に働いているように思う。そしてそれは、もはや告発というジャーナリズムの領分が、マスメディアからネットに移行したことを示している。しかしインフルエンサーは収益をあげられればいいという人種なので、裏取りをするわけでもなければ取材をするわけでもない。彼らにジャーナリズム精神はない。インフルエンサーが告発先になった時点で、ジャーナリズムは終わっている。

このジャーナリズムの失墜は、ジャーナリズムに対する人々の信頼の失墜とパラレルに進行してきたと言える。日本のネットでは2000年代以降、強烈なマスメディアへのバッシングが展開されてきた。マスコミを「マスゴミ」と呼ぶネット的心象は、2ちゃんねるユーザーからSNSを通じて拡大していった。しかしネットのマスメディア批判はネトウヨを生み、陰謀論者を生んでしまった。マスメディアよりはるかに信用ならない、真偽不明の情報が漂って、自分の考えに近い情報を得て安心したい人々によってただ拡散されていくだけの空間。それがインターネットである、という答えが出てしまったのが、2020年代であった。
つまり日本は2000年代から2020年代にかけて、ネットがマスメディアを批判しながらも、ネットはマスメディアのカウンターたりえない、という経験をしてきたのである。

ところでTwitterを観察してみると、松本人志を擁護する言説が陰謀論に近しい、ないし陰謀論を支持する人々が「まっちゃんを信じる!」とツイートしていることに気づくだろう。もはや彼らが松本人志やダウンタウンのファンであるかは関係がない。
または、ダウンタウンの笑いに触れてきた世代と、2000年代のネットユーザーが重なっているとも言える。ダウンタウンの笑いは、「チンピラの立ち話」と言われてきたように、尼崎出身の彼らの精神性が様々なコンテクストに埋め込まれながら全国区に侵食していくものだった。この成り上がり性はお笑いの本質であるが、成り上がった者が権威となった時、それはすなわち長いものに巻かれる取り巻きを必要とし始めるということであって、陰謀論者を引き寄せてしまうのもまた必然である。

権威を批判しているつもりだったのに、いつの間にか権威に取り込まれている。この構図こそ、松本人志問題を様々な位相で規定しているのであり、このことへの感性なしに、この問題を論じていても仕方がない、というのが筆者の所感である。


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