文系大学院生のあのこ

都内の大学院生が現実逃避で書く映画評論

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最近の記事

松本人志問題について――ジャーナリズムの失墜と陰謀論への接近

松本人志の性加害問題については、すでにテレビをはじめとするマスメディアで取り上げられていて、ただの週刊誌のゴシップネタにとどまらない様相を呈している。 週刊文春の記事に対し、当初から松本および吉本興業は事実無根と主張しており、文春vs松本という対立構造が、この問題について繰り広げられるTwitter上の議論の前提をなしている。 ここで松本擁護派の主張を観察していると、いくつかの論点が絞られてくる。 ・なぜ8年も前の出来事をいまさら週刊誌で告発するのか ・なぜ被害に遭った当時

    • ディズニー新作『ストレンジ・ワールド』が描く”奇妙”なユートピア

      ディズニーのオリジナルアニメ最新作『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』。たしかワカンダフォーエバーと同時期の公開で、映画館で「これディズニーの新作か…」と横目に見た記憶がある。 宣伝もほとんどされていない印象だったが、実際に興行収入もふるわなかったようである。 その要因として言及されがちなのは、本作における過度なポリコレ配慮演出だ。主人公の妻が黒人とか、メインチームのメンバーが多国籍とか、それくらいは昨今のディズニーなら序の口である。むしろスタンダードな設定と言える。

      • 私がアナ雪を苦手な理由

        私はアナ雪が苦手である。 劇場公開時に観て、その話の展開と結末に違和感を感じ、その後テレビ放映されるたびに観ているのだが、やっぱり好きになれない。 しかし、どの部分に違和感を感じているのか、これまでいまいち言語化できないでいた。 そして何度目かのテレビ放送である先日の『アナと雪の女王』を観て、やっと本作に対するもやもやが何なのかなんとなくその輪郭が掴めたので、つらつら書いてみる。 本作が素晴らしいとされる点はなんと言っても、ディズニー自ら自社が創り出してきたプリンセス

        • がんばることに疲れたら白雪姫になればいい

          最近色々と考えすぎてしまい、疲れている。 この、時間を差し出してお金をもらう社会人という生き方は自分に合っているのだろうか、でもお金がなければ今の生活は維持できないし、でも今のままでは時間を無駄にしているようで嫌だ、まるでバカになりそうだ…等々。 行き詰まった時、私はよくディズニーアニメを観る。 子供の頃に観た時とまた違った発見があって、ただ反復する日常の中で新鮮さを感じることができる。 今日は『白雪姫』を観た。 1937年に公開された、ディズニースタジオ初の長編アニメー

        松本人志問題について――ジャーナリズムの失墜と陰謀論への接近

          なぜ、君の名前で僕を呼ぶのか-『君の名前で僕を呼んで』感想-

          本文章はひたすらこの問いについて考えることに終始する。 「なぜ、君の名前で僕を呼ぶのか」 本作は人それぞれの多様な解釈を許す余地がある。だから、私はここで私なりの腑に落ちた解釈を書き連ねる。 まずはじめに、本作に登場するエリオとオリヴァーというカップルは、同性カップルではあるけれども、彼らの振る舞いや感情表現は、決して同性愛者でなければ共感できないものではない。 そこで描かれるのは普遍的な恋愛の形であって、多くの人が「ああ、よくあるよくある」「それ自分もやったわ」と思える

          なぜ、君の名前で僕を呼ぶのか-『君の名前で僕を呼んで』感想-

          Cocoに込められた意味―映画『リメンバー・ミー』(原題"Coco")評―

          映画『リメンバー・ミー』を公開初日に観た。 事前に公開されたトレーラーの美しさや音楽の素晴らしさもさることながら、なによりあのピクサーが今メキシコを舞台にした作品を作るというところに、大きな期待を寄せていた。 結論から言えば、その期待はまったく裏切られることなく、むしろ大きく上回って余りある映画だった。 主人公ミゲルの家は靴屋。先祖はみな靴職人として働いてきた。ミゲルもまた靴職人の見習いとして靴磨きを行っている。ミゲルの家族は代々靴職人として生計を営んできたことを"Fa

          Cocoに込められた意味―映画『リメンバー・ミー』(原題"Coco")評―

          孤独と性欲を抱きしめる-映画『シェイプ・オブ・ウォーター』感想-

          映画『シェイプ・オブ・ウォーター』を観た。 半魚人のような怪獣と声の出ない女性が恋に落ちる、ラブストーリーだ。 途中、無性に好きな人のことが思い出され、作品を観ながらも、どこかでその人との逢瀬が脳内再生されていた。 それはなぜだろう。 おそらく、私も本作の登場人物たちと同じく、寂しいからだ。 冒頭、イライザの仕度風景から映画は始まる。 バスタブに湯を溜め、卵を沸いたお湯に入れる。 茹で上がるまでの間、バスタブに身を沈めて、そのまま自慰に耽る。 風呂から上がり服を着て弁当用

          孤独と性欲を抱きしめる-映画『シェイプ・オブ・ウォーター』感想-

          「キムタク」であることと「不死身」であることの相似性―映画『無限の住人』評草稿―

           木村拓哉という人間がいる。アイドルであり、役者であり、モデルであり、バラエティもそつなくこなす、稀代のスターである。  彼はまた、「キムタク」でもある。それは木村拓哉その人を指すと同時に、抽象化されたイメージをも示す言葉である。  木村拓哉の主演する作品が語られる際、「何をやってもキムタク」という評価が下されることが少なくない。それは「どんな役を演じていてもキムタクはキムタクだよね」という意味で、彼の演技力の乏しさを指摘するために用いられる。  しかし見方を変えると、

          「キムタク」であることと「不死身」であることの相似性―映画『無限の住人』評草稿―

          出会える時代に描かれる出会えない物語―映画『君の名は。』評草稿―

           『秒速5センチメートル(以下『秒速』)』(2007)を観た時、こんなに会えない彼らもきっとそのうちFacebookで、友達かもにレコメンドされるんだろうなと思った。  2016年に公開された『君の名は。』は、そのようなSNS時代だからこそ生まれるツッコミを、名前を忘れてしまうという設定によって回避している。 名前がわからなければ検索しようがないし、突拍子もない入れ替わりで出会っているから、レコメンドされようもない。  新海誠、そこまで男女をすれ違わせたいのか、と思うと同

          出会える時代に描かれる出会えない物語―映画『君の名は。』評草稿―

          私とあなたと私の欠点の話――映画『ファインディング・ドリー』評――

           二〇一六年に公開され話題になった映画の一つに、森達也監督の『FAKE』がある。かつてゴーストライター疑惑で世間を騒がせた佐村河内守氏を追ったドキュメンタリーだが、本当に佐村河内守は作曲ができるのか、耳が聴こえるのか、という多くの人が感心を寄せる部分に対して、本作では答えは明かされない。本作があぶり出すのは、障害かそうでないか白黒はっきり区別したがる、現代社会の不寛容さである。  佐村河内氏は障害者手帳を持っていないために、難聴でも聴こえるなら障害者ではない、と世間からバッシ

          私とあなたと私の欠点の話――映画『ファインディング・ドリー』評――