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世界中のやさしい人たちの話③

パリのメトロの入り口のドアはすぐに閉まるタイプで、パリの人たちは次の人のためにドアを押さえて待ちます。私はそれをやさしいなあと思い自分もやっていましたが、彼らにとってはおそらく普通のことなんだと思います。

極論を言えば、育った環境が悪ければ悪いほどやさしい人に簡単に出会えるという事になると思います。私の会った優しい人たちの行為をもし親もしていたら、ここまで衝撃を受けてないはずです。でも私は親でもそこまでしないのに、と何度か思ったのを覚えています。

彼らがいつも、特別親切なことはしていない普通のことだと言う意味はそういうことだと思います。彼らは助けられたら自分も助けるというのがあたりまえで生きている人たちでした。

育ってきた環境の違う人とでは時々、自分は良かれと思ってやったつもりが相手には全く伝わらなかったりします。でもその行為は誰にもダメージを与えません。しいて言えば本人がちょっとショックを受けるくらいです。

助けようと思って気を張ると、その反応次第では嫌な気分になって2度と助けるかってなるかもしれませんが、自分が普通の事だと思ってやっていれば反応はいちいち気にならないものです。

逆になんてこないことですごく感謝されたりもします。だからみんなが思うやさしさは人それぞれでいいと思います。その人が今、どのやさしさを必要としているかを見極め、実行できる人がやさしい人と言われているだけだと思います。

オーストラリアで、女の人に道を譲ったら女を差別してると怒られたと言っていた人がいました。彼女らはレディファースト的なことを差別と呼んでいるのです。パリでは女性の日に女の従業員全員にバラが配られましたが、差別だと言う人はいませんでした。

私は小さくて力が弱い人間なので、背が高い人や力のある人の重いものや高いとこの物をとってくれるというやさしさがないと生きていけません。特にキッチンで働いていると男の方が断然有利ですが、みんな私をめんどうくさがらず助けてくれました。私は狭いとこに落ちた小さい物を拾う係を自然とこなしていました。

人間はそもそも個々でバラバラの大きさや特性を持っているので全員平等にするとか、同じ観念を持って生きることは物理的にも不可能だと思います。だからでこぼこを補い合い助けあっていくのが人間らしいことなのだろう思います。

やさしさって人のバックグラウンドや先入観で大きく変わるので、逆に言えば、優しくない人って割と少ないのかもしれません。

だから私たちの言うやさしさはただの本能なのではないかとも思います。


では、良い1日を。


Mia


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