多重「人格」のこと(6.3) +雑記

※家庭内暴力について、少し触れました。心配な方は、読まれない事をおすすめします。


先日登場した人格、「希死念慮さん」。融合こそしていないものの、ずっと近くに居るので、少し会話をした。

私「『希死念慮さん』は、大変な事をたくさん受け止めてきて、本当にすごい。」

希死念慮さん「そうかもしれないけど、私もあなたなんだけど…」

私「じゃぁ、私もすごいのかな…」

こんなやりとりで、ほのぼのしたりもする。

それと、「希死念慮さん」を避けたり警戒していた理由がはっきりした事も告げた。もし「希死念慮さん」の経験全てを知ってしまったら、生きていけなくなりそうだったから、と。辛い記憶は知りたくない、あまり思い出させないで欲しい、とお願いした。

私の人格を一つに統合するにあたり、それは無理なお願いなのかもしれない。それからも、色々な痛みの経験の記憶が、少しずつ戻ってきている。それは、めまいを伴う。(メニエール病を疑ったが違った)自分の頭が離れて行ってしまう感覚。ただ、完全な解離はしない。耐えうる程度の記憶から、順に小出しにしてくれているのかもしれない。

私の人生は、知っていたよりもずっと悲惨なものだった。そして、今の大人の頭で考えても、解離しか生きる道が無かった。

戻った記憶は、物心つく前から思春期まで続いた断続的な暴行と恫喝のエピソード群。恐怖を植え付ける様々な行為。そこに、性的嫌がらせが重なる。それ以外の時間は、一見平穏な家族の風景と、過干渉。家族の誰かが激昂するまでの、インターミッション。外部の人が訪ねてくると、その瞬間から家族のお芝居が始まり、私もそれに加わった。近所の同い歳の女の子の発言も、思い出した。小学生低学年だったと思う。暴行され泣き叫ぶ私の声について、「随分離れた家まで聴こえて、恥ずかしい」と言われた。赤ちゃんの如く、ただ夜泣きしていると思ったのだろうか。真意を測りかねるが、その時、叫んだところで誰も助けてくれる人はいないのだ、と悟ったのだろう。直後からか、しばらく経ってからか、痛くても声を出さなくなった。今日は短時間で終わってくれるように、と願いながら、幽体離脱のように身体を空っぽにした。暴力が止んで自分の身体へ戻ると、あちこちが痛んだ。

次々と戻る陰惨な記憶を前に、もう覚悟を決めなくては、と改めて思う。自分で信じたかったよりも、重症なのだ。一生涯かかるかもしれない。もちろん思いの外順調にいく可能性もあるけれど、そこを目的にショートカットを探したりしない方が良さそうだ。今度こそは、誤魔化したりせずに、時間をかけて行こう。

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