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「あるものと別のものとの、私たちが予期するような、目覚めているときの私たちの関心をひくような類似性は、夢の世界のもっとも深い類似性の周辺にちらつくものにすぎない。夢の世界では出来事が、決して同一のものとしてではなく、似たものとして、つまり見分けがつかないほどそれ自体に似たものとして出現する」。この言葉はベンヤミンの「プルーストのイメージについて」に収録された言葉である。
 私たちの覚醒と睡眠の狭間に夢があり、それは現実から遠く離れている。覚醒時の私たちが抱く類似性は夢のなかのそれと深く断絶している。現実の類似性は浅く、夢のなかの類似性は深いのである。夢の世界では出来事が、見分けがつかないほど似たものとして出現する。
 現実に生きる私たちは、類似性に関心を寄せるのであるが、その類似性とは決して夢の世界に存在するようなものではない。類似性はあくまでも似たものとして、つまり別のものとして世界に現れる。けれども、夢の類似性はもっと深く、同一ではないが見分けのつかないものとして現れるのである。
 「夢の世界のもっとも深い類似性」とは何か?それは現実のヴィジョンの中には決して見つけられないもの、すなわちイメージそのものである。プルーストが失われた時の中で求めたものとは、浅い類似性をもつヴィジョンなどではなく、イメージそのものなのである。
 私たちは夢を見た時に何故か懐かしい感傷を感じる。過去のどこかで出会ったようなイメージを感じる。そのイメージとは、私たちが実際に体験した事実に基づくものであり、私たちが未来に見出すことは決して出来ない事象そのものである。私たちの無意識の希望や悲しみが夢という形となって現れるのである。
 夢とは私たちの無意識の奥底に存在する紙芝居のようなものである。そこには現実のリアリティが密かに潜んでいる。正確に言えば、私たちの願望そのものが。『失われた時を求めて』はプルーストの夢の最奥の部分が現出したものであり、彼が求めた過去とは夢のなかの見分けがつかない類似性なのである。
 ベンヤミンに言わせれば、プルーストの小説の中の空虚なお喋りは、社会がこの孤独の深淵に墜落していく時の轟音なのである。だからこそ、プルーストは見分けがつかないほどの深い類似性を持つ夢を必要としたのである。つまり、『失われた時を求めて』とは現実に脅える少年プルーストが作り出した巨大な夢なのである。

      fin

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