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ロスコ展@ルイ・ヴィトン美術館

雨のトロカデロで予約したロスコ展へ行ってきた。

南仏ニースに入り浸るようになってから大きな美術館へ行く機会がなかなかなかったのでワクワクする。

もちろんニースにも美術館はあるが、首都パリのものと比べると規模が小さくこじんまりとしている。それはそれで雰囲気が良くて好きなのだが、せっかくのパリだし、たまには有名どころの『ザ・おフランスの美術館』にもバーンと行ってみたい。

先ずは近場でルイ・ヴィトンの美術館、Fondation Louis Vuitton でロスコ展をやっていたので鑑賞しに行ってきた。


いつの頃からか特別展やメジャーな美術館へ入館するのに予約を取らなければならなくなった。もちろん当日券も買えるが予約者優先なのでなかなか入館できずに外で長時間待たされるという事態に陥る。

予約した日付の予約した時間に行くと同じ時刻に予約した人たちの列に並ばされ、時間になったら並んだ順番に入館できる。もちろん手荷物検査をして探知機ゲートをくぐらなければならないのでそこでも待たされる。

行列に並んで待つのが好きな人はいいが、それが苦手な私は入館するまでのこの一連の手続きでクッタクタに疲れてしまう。

パリに住んでいた頃からあまり美術館へ行かなくなったのは、並んで待つのが嫌だったせいもある。

まあそれでもポスターじゃない本物のロスコだし、入口へ向かって一歩前進する度に期待はグィンッと高まっていく。

エントランスホール

順路に沿って入っていくと、ニューヨークの地下鉄の風景画がズラッと並んでいた。地下鉄の駅に立っている人には表情がない。暗く寂しい絵だ。

ロスコってこんなんだっけ?

どうやらあの有名なポスターになっている絵に辿り着くまでには紆余曲折いろいろあったらしいことが伺える。

奥へと進むにつれて、次第に形が抽象的になり、色が増えた。

どこかで見たことのあるような、別の画家の模倣のような、個性が定まらない絵が続く。

ロスコってこんなんだっけ?

薄暗い美術館の通路を人混みを避けながら順番に進むと、やっとこさ宙に浮いていた彼の個性がドーンと2色の絵になって降臨した。これこれ!これぞロスコ!

そこからドドドーンとあの配色、カラーフィールドの絵画が続く。

おぉぉ!大満足!


序盤に飾ってあった地下鉄の絵は決して悪くなかった。だけど感動はしないし、自分の家に飾りたいとも思わない。

でも彼が辿り着いて産み出した色を組み合わせるカラーフィールドの抽象画は、家に飾りたいと思うし観ていて飽きがこない。

正直、私はアートの本質を理解していない。なぜこんな絵やあんな絵が高値で取引されていて、丁重に美術館で展示されているのか分からない、ってことがたまにある。私のような凡人にはその価値がまるっきり理解できないアートがこの世の中には山ほど存在するのだ。

ロスコのようにシンプルな絵は誰にでも描けるように見えるし、実際に模倣して描ける人はたくさんいると思う。私にだって描けるかも知れない。

でも誰もロスコのようには生きられない。真似しようと思ってもできるものではない。彼の残した絵画は彼の人生そのものであり、苦悩しながらも継続的に描き続けた故の産物であり、彼の象徴である。


彼の本名はロスコヴィッチ。ロシア系のユダヤ人だ。

そう聞くと、初期の作品の空気感がどことなくシャガールのものと類似していると感じた自分の感性に感心した。

似てはいるが、シャガールとの大きな違いは『愛』の欠如。

ロスコの初期作品はただただ薄ら寒い空気に包まれている。

そこには『愛』も個性もない。

一体何年苦悩の日々を過ごしたのかは分からないけど、辿り着いた色の抽象表現で自分の個性を絵画に反映させることができて良かった。絵を描き続けることができて本当に良かった。

少し列に並んで待たされたけど、観に来れて良かった。満足ぅ。ふぅ。


たっぷりとロスコの絵画を堪能した後、屋上テラスへ出てみた。

地上階から上の階へ向かって順路が記されていたので、自然と上へ出てきたのだ。

エッフェル塔が見える
個性的な建物の内側
角度をずらすと森しか見えない

ルイ・ヴィトン美術館はブローニュの森の端っこに建っている。近くにメトロの駅はあるが、森の散歩道を歩いて来なければならない。舗装されていない土の道だ。

観光シーズンや今回のように特別展をやっている期間中は、その土の道をおしゃれに着飾った観光客や個性的なファッションに身を包んだパリの若者たちがテクテクと列になって歩いてくる。

雨が降るとあちこちに泥濘ができてドロドロになる森の道を今日も歩いて美術館を訪れる人がいる。

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