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白髪のあの子

中学の頃、同級生に若白髪の子がいた。毛量の多いその子の髪は天に向かってグングン伸びるタイプのもので、猫毛でボリュームのない髪質の私には相当羨ましいものだった。

そんな、一本一本がしっかりと太くて黒いその子の髪に白髪が混じり始めたのは、確か中三の頃だったか?大量の黒髪に紛れていたので、本人に、ホラっと見せられるまで気付かなかったが、確かに白い髪が何本も潜んでいた。

それからしばらくして彼女は髪を伸ばし始め、おさげの三つ編みをするようになる。しかし彼女の編み込まれた髪のどこにも白髪は見当たらない。当時、十代半ばの私は自分の事に精一杯で、特に仲良しでもなかったその子の白髪のことなんてすぐにすっかりと忘れてしまい、日々の生活に追われて月日が流れていった。

私が通っていたのは中高一貫の女子校。それから数年が経って、高校卒業間近のある時、受験やなんやで学校に行ったり行かなかったり、クラス全員が揃うことが少なくなってきたある日、突然彼女がグレイヘアーで登校してきた。耳下あたりのボブスタイルのその髪は、彼女が足を交互に出して歩く度にフッサフッサと上下に揺れた。相変わらず毛量は多く、太くてしっかりとした髪一本一本が、遠目でも生命力に満ち溢れてウネウネと動いているように見える。

その時にやっと気が付いた。彼女はずっと染めていたのだ。校則の厳しい学校で毛染めは禁止だったけど、多分先生方と相談をして染めることにしたのだろう。

まだ十代なのに白髪になった彼女がどんな思いで学校に通っていたのか?特に仲良くしていたわけではないし、直接気持ちを聞いたこともなかったので私には分からない。でも、同じ制服を着た他の生徒たちと違う特徴を身にまとったことで、様々な思いが心を過っていただろうと察することは出来る。

今、徐々に自分が白髪と向き合う年齢に達して思うのは、白髪になること自体はそう大したことじゃないってこと。学生時代のようにみんなと同じ服を着て、推奨される髪形で生活をしている訳ではない。茶髪や金髪にしたり、青やピンクやオレンジに髪を染める人が当たり前にいる環境で、髪の色が変わることはそう特別なことではない。

それよりも、元々ボリュームのない髪が透明に近い白髪になることで頭皮が透けて見えることの方が超絶ヤバイし、放っては置けない事態なのだと気が付いた。なんで私の髪はこんなにもボリュームがないのだろう。たんぱく質不足なのだろうか?

髪の色が変わることよりも、禿げることの方がよっぽどの恐怖。いや、実際には禿げている訳ではなくて、黒かった髪の色が抜けることで、根元がスッケスケのスケルトン状態になってしまうのが嫌なのだ。それを回避するためには染めるしかない。それも、なるべく濃い色に。

いつの頃からか、それほど沢山の白髪がある訳でもないのに、髪の分け目に少しでもキラリと光る白髪を発見すると、髪を染めるようになった。毛量の多い後頭部や内側の白髪は全く気にならないのに、分け目の白髪は許せない。私っていつからこんなにも神経質になったのだろう??

そして云十年ぶりにふと、特に仲良くしていた訳でもないあの子の白髪を思い出したのだ。多感な時期だったし、本人は相当悩んだに違いない。でも今私が思い出すのは、あのボリューム!あの毛量!!羨ましすぎる!!

あの時の彼女に伝えてあげたい。黒髪がスタンダードじゃないんだよって。世界に出れば、ナチュラルに金髪も赤髪もグレイヘアーだって存在する。髪の色は肌や目の色同様、人それぞれなのだ。

ただ髪の状態によって、魅力的に見えたり貧相に見えたりすることがある。色じゃない。質だ。

肌と同じように、健康で栄養のバランスが整っていれば生き生きと若々しく見えるし、栄養不足や不摂生、もしくは病気が原因で細く枯れてしまうと必要以上に老け込んで見える。

グレイヘアーのあの子はあの時、確かに他の生徒と違う風に見えたけど、決して老けては見えなかった。逆だ。生き生きとしたボリュームのある髪は、惚れ惚れするほど生命力に満ち溢れていた。

重ね重ね羨ましい。私にあの毛量があったなら、神経質に染め続けることなんてしないだろうに。

私が学校を卒業したのはもう随分と前。今でも髪色に関する校則ってあるのかな?毎日服装を考えなくていいから制服は有難かったし、スッキリとした清潔感のある髪形を推奨するのも社会のマナーとして納得できる。ただ、髪色は黒だと決めつける考え方は、ナンセンスじゃない?


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