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NAPALM DEATHとINDUSTRIAL MUSICの関係性

序文


 EXTREME MUSICはお好きだろうか。ならば書を捨て街に出よ。そしてクラブで硬く冷たい死の香りのするノイズに身を任せるのだ—————。
 
 事の起こりは1981年英国バーミンガムであった。CRASSに触発されANARCHO PUNKバンドとして始動したNAPALM DEATHは数多の国内外の名バンドのメンバー巻き込みながら後にCRUST~GRINDCORE~DEATHMETALと、また94年作FEAR,EMPTINESS,DESPAIRからはSOUNDGARDENやHELMETといったオルタナ(好きな表現ではないがあえて使わせて頂く)に影響を受けてジャンルを変遷していった。
 
 NAPALM DEATHの音楽性が変遷していく中、理由は様々であれども脱退したメンバーは新たにバンドを始動しEXTREME MUSICの歴史に名を残してきた。ジムホワイトリーはRIPCORD、NAPALM DEATHと並行していたもののビルスティアーはCARCASS、リードリアンはCATHEDRAL、そしてジャスティンブロードリックはGODFLESHと、各界の好事家が納得する面々である。
 

INDUSTRIAL MUSICへと転向していったマエストロ達


 
 ジャンルにしては多岐にわたるが、その中でもGODFLESHの中心人物であるジャスティンブロードリックのみならず、INDUSTRIAL MUSICの表現者として活動していったメンバーが存在する。1991年始動のSCORNで共に活動していたオリジナルメンバーであったニックナパームと、バンドのオールタイムベストドラマーことミックハリスである。前述のこの3人は事実上1stアルバムとされている1987年作SCUMのA面のレコーディング面子だ。

 NAPALM DEATHがSCUMのリリースを持ってしてGRINDCOREを完成させたのであれば(産み出したとは言わないでおこう)、B面のレコーディング面子ではなくジャスティンブロードリック、ニックナパーム、ミックハリスのA面のレコーディング面子こそがマエストロと言えるだろう。なぜB面ではなくA面を持て囃すのかは後程解説しよう。
 
 さて、そんなマエストロ達であるが揃いも揃ってインダストリアルミュージックでの活動にシフトチェンジしたわけである。1988年に英国ではセカンドサマーオブラブなるダンスミュージックムーブメントが巻き起こり、MDMAを燃料としたレイヴパーティーが盛んになっていく。このムーブメントの名称は60年代のヒッピーカルチャーであるサマーオブラブを踏襲したものである。

 スタイルは違えども、マエストロ達はムーブメントによって電子音楽に心移りしてしまったのではないかと疑念の目を持ってしまうのもタイミング的に致し方ないだろう。しかしながらマエストロ達がINDUSTRIAL MUSICでの活動にシフトチェンジしたのは出来心でない。これは原点に立ち返った転生であり、GRINDCOREを完成させたマエストロ達の心はずっとINDUSTRIAL MUSICと共にあったのだ。これをNAPALM DEATHの音楽性の変遷の歴史を追いながら紐解いていきたい。
 

解剖台で出会ったこうもり傘とミシン


 
 序盤で触れた通り、当初のNAPALM DEATHはCRASSに触発されたANARCHO PUNKバンドであったが81年より2年ほど活動したのちに休止状態となる。活動休止中である83年のこと、ニックナパームはブートカセット店でジャスティンブロードリックと運命的な出会いを果たす。そう、まるで解剖台で出会ったこうもり傘とミシンのように。音楽的趣味が合致した結果、ジャスティンが活動していたFINALなるINDUSTRIALユニットにニックナパームが参加することとなる。ここでもうINDUSTRIAL MUSICの話題が出てしまったが話を続けよう。
 
 FINALで2年活動を共にした後にニックナパームはジャスティンブロードリックをNAPALM DEATHに誘い、85年にバンドを再始動させる。NAPALM DEATHが活動休止した前後よりニックナパームの音楽的興味はANARCHO PUNKよりTHRASH HARDCOREに移っていたことに加え、ジャスティンブロードリックの入れ知恵あってか同年に新体制でレコーディングされたデモ音源HATRED SURGEはそれまでのANARCHO PUNKスタイルとは打って変わってノイジーかつ不穏で攻撃的なサウンドへと変貌する。
 

HATRED SURGE期


 
このデモ音源ではSCUMで見られるような速さはまだ表れておらず、メタリックかつミドルテンポな楽曲が中心となっている。強いて言うならばトータル的には同郷AMEBIXのスタイルに近いが、リフのスタイルとしてはCELTIC FROSTの影響が色濃く聴こえる。また、収録曲のWHAT MAN CAN DOやSO SAD、ABBATOIRではアルペジオを用いるという点でニックナパームとジャスティンブロードリックが敬愛する同郷KILLING JOKEの82年作REVELATIONSの影響を感じ取れる。更に前述のWHAT MAN CAN DO やSACRIFICEDにおいては件の2人が敬愛する同郷THROBBING GRISTLEからの影響について提起したい。
 


 81年にリリースされたTHROBBING GRISTLEの1回目の解散ライブを収録したMISSION OF DEAD SOULSに収録されているDISCIPLINEに見られるようなワンコーラスが短めのスローガン的ボーカルスタイルに共通項が感じ取れる。元来、英国はフットボールの試合におけるチャントの文化が音楽への流入に根強いという特徴がある。しかしながら件の2人がこれまた敬愛した米国のSWANSも同様の特徴的ボーカルスタイルを有することを提示し持論を強化しよう。



 楽曲SACRIFISEDにおいてはブレイクとして意図的に、そして明らかにTHROBBING GRISTLE的ノイズパートが設けられている。NAPALM DEATHのHATRED SURGEが単なるAMEBIXフォロワーなCRUSTに止まらず既にINDUSTRIAL MUSICの影響下にあったことをここに認めたい。しかしながら実験的とも言えるこの作品はまだまだマエストロ達の持つ才能を十分に発揮できていなかったかと思われる。
 
 新しいスタイルでのDEMO音源を引っさげたNAPALM DEATHはHERESYやEXTREME NOISE TERROR、CONCRETE SOX等と対バンし活動を軌道に乗せていった。しかしながらニックナパームはドラマーであるマイルズラトリッジのプレイスタイルに納得できず、彼を脱退させるためにバンドを一時的に解散。そしてマイルズラトリッジ抜きですぐさまバンドを再始動させたのだ。自分の音楽的信念を偽らないことは美しいがこのやり方は良くないだろう。ましてやマイルズラトリッジはNAPALM DEATHの実質上の前身バンドCIVIL DEFENCEからニックナパームと同じ釜の飯を食べてきたのに…。
 

FROM ENSLAVEMENT TO OBLITERATION


 
 しかしながらこの悲劇を以ってして、伝説が始まった。速さの求道者こと3人目のマエストロ、ミックハリスがNAPALM DEATHに加入するのだ。ミックハリスは予て米国のSIEGEやDEEPWOUNDより更に速くドラムをプレイすることを望んでおり、ニックナパームもジャスティンブロードリックも同様であった。余談であるが、マエストロがライバル視したDEEPWOUNDのドラマーが現DINOSAUR JRのJマシスである事実は相当狂っている。

ミックハリスのライバルことJマシス

 86年にマエストロ3人が揃っての初レコーディングが行われ、デモ音源FROM ENSLAVEMENT TO OBLITERATIONが完成する。88年にリリースされた2NDアルバムと同タイトルであるが、関連性はない。このタイトルはニックナパームよって考え出されたが、88年のリリース時に勝手に使われたと証言している。唯一、関連性があるとすればどちらの作品にもPRIVATE DEATHがなる収録されているがチューニングもアレンジも違うためもはや同一の曲であったかは識別不能である。検証の匙を投げさせて頂こう。
 
さて、このデモ音源FROM ENSLAVEMENT TO OBLITERATIONであるが、若干のアレンジ違いや収録曲の違いはあれども事実上1stアルバムとされている1987年作SCUMのA面とあまり変わらない内容となっている。突出した違いを挙げるとすると、本作に収録されているUNCLEANやWHAT MAN CAN DO、ABBATOIR、PRIVATE DEATH等は収録されていない。また、ANARCHO PUNK時代からバージョンを変えて繰り返し再録しているCONTROLは本テイクが最も速いと言えるだろう。逆にYOU SUFFERは4秒ほどの尺で、後のバージョンに比べるとスローだ。


 
 全体を通して、デモ音源FROM ENSLAVEMENT TO OBLITERATIONはCELTIC FROST感が増したように思われる。ニックナパームも意気揚々と作品の随所にUGH!!と聴き覚えのあるキメを入れている。また、収録曲UNCLEANがREPULSIONのSIX FEET UNDERに酷似している点から、ここで既にREPULISONの影響の片鱗が窺える。当ZINEのバックナンバーである“EXTREME原始生命体REPULSION”でも触れているが、REPULSIONのリフの源泉はSLAYERの1stアルバムSHOW NO MERCYと思われる。中でも、SIX FEET UNDERなる曲はSLAYERのTHE ANTICHRISTからの影響を感じられる。そして、SLAYERのカバーアルバムUNDISPUTED ATTITUDEで示されたようにTHE THE ANTICHRISTはGBHのSICKBOYからの影響が。予てNAPALM DEATHのマエストロ達はGBHもお気に入りのバンドであったが、ここにきてエッセンスを取り入れるのは輪廻と言えるだろう。





 
 話が逸れてきたが、本記事はNAPALM DEATHとINDUSTRIAL MUSICの関係性を紐解くものである。デモ音源FROM ENSLAVEMENT TO OBLITERATIONにおいてもINDUSTRIAL MUSICからの影響を大胆に表した曲がある。それが作品のイントロ的トラックであるMUTINATIONAL CORPOLATIONだ。単刀直入に、この楽曲はSWANSの83年作FILTHに収録されているFREAKに酷似している。


 また、ニックナパームとジャスティンブロードリックの2名のマエストロが去った後ではあるが、88年のPEEL SESSIONSの収録においては同タイトルのままSWANSの84年作COPに収録されているHALF LIFEそのままを演奏するほどである。この時のメンバーはSCUM/B面の、メンバーだ。NAPALM DEATHのSWANSへのオマージュはあからさまであり、REPULSIONへのそれと同等ぐらいのものである。これは隠された事実というわけでもなく、ミックハリス自身もライブセットリストに“SWANSのイントロをやる” とはっきり書いてあったほどである。



 

SCUM/A面期


 
 デモ音源FROM ENSLAVEMENT TO OBLITERIONをリリースした86年、アレンジと収録曲を若干変えて3人のマエストロは新たにレコーディングを行った。それこそがデモ音源SCUM、事実上1stアルバムとされている1987年作SCUMのA面である。3人のマエストロによってGRINDCOREが、いや“NAPALM DEATH”が完成したと言っていいだろう。
 
 本記事においては1987年作SCUMの事を繰り返し事実上の1stアルバムと呼んできた。しかしながら、この作品のA面こそが完成された“NAPALM DEATH”であるならば、86年のデモ音源SCUMを1stアルバムとして扱ってよいのではないか。リードリアン期とバーニーグリーンウェイ期の音源が合わさった91年作DEATH BY MANIPULATIONがコンピレーションアルバム扱いならば、87年作SCUMも同様ではではないか。何もSCUM/B面やそれ以降のNAPALM DEATHを扱き下ろしたり、NAPALM DEATHそのもの自体ではないと主張したいわけではない事をお伝えしたい。
 
 加えて記したいのはSCUM/Bが面素晴らしい音源であることだ。SCUM/A面を以ってして“NAPALM DEATH”が完成されたのであれば、SCUM/B面を“GRINDCORE”が完成されたといって良いだろう。しかしながら前者と後者で異なるのは、INDUSTRIAL MUSICの影響下があまり見られないという点だ。B面においてベースを担当していたジムホワイトリー曰く、本作はREPULSIONのリフをあからさまに拝借しミックハリスが組み立て直したものだという。収録曲のDECIEVERにおいてはREPULSIONの代表曲THE STENCH OF BURNIG DEATHのリフそのままである。加えてライブではDECIEVERの前に前述の元ネタのイントロをそのまま引用する始末だ。更にはミックハリス自身もライブセットリストに“REPULSIONのイントロをやる” とはっきり書いてあったほどである。


 本作においてINDUSTRIAL MUSICの要素を見出すとすれば益々洗練されたミックハリスのブラストビートであろう。打の強さと繰り出される速さから、人力ドラムであるにもかかわらずヴェロシティの概念を打ち壊すようなプレイは文字通りドラムマシーン的である。INDUSTRIAL MUSICの影響下に加え、B面ではビルスティアーがダウンチューニングを用いている点でもA面と相違があることを補足しておこう。
 

伝説の終焉


 
 86年のデモ音源SCUMを収録した頃には3人のマエストロ達の関係性は既に不穏なものであった。ニックナパーム曰く、NAPALM DEATHのライブに速さだけを求める観客の期待に応えることへの疲れ、またREPULSIONを意識しすぎてメタルへ寄っていくことへの不満が原因であった。加えてCONCRETE SOX企画に出演時にミックハリスが失踪。憧れのバンドが企画に誘ってくれたにもかかわらず、ライブができずにニックナパームとジャスティンボードリックは失意の中で地元バーミンガムに帰らざるを得なくなる。地元に到着しELECTRO HIPPIESのライブに寄ったところ、自身のライブを失踪したにも拘わらず会場にいるミックハリスに鉢合わせ関係は破綻してしまう。こうしてミックハリスを残して二人のマエストロはNAPALM DEATHを脱退する。
 
 マエストロ2人が脱退してしまったがミックハリスはNAPALM DEATHを終わらせる気は毛頭なかった。そこに当時設立したばかりのEARACHE RECORDSのディグからアルバムリリースの誘いを受け87年にSCUM/B面のレコーディングが行われる。その後もメンバーチェンジを繰り返し、音楽性を変えながら活動していくもミックハリスもまたバンド活動に疲弊し91年作EPのMASS APPEAL MADNESSをレコーディングした後に脱退する。
 

伝説終焉後のマエストロ達


 
 しかしミックハリスも根っから音楽好きの好事家だ。脱退した同年には二ックナパームとINDUSTRIALユニットのSCORNを始動させる。NAPALM DEATH時代には不穏な空気が流れたが、やはりSCUM/A面という傑作を作り上げた仲だけあってまた共に音楽活動がしたくなったのではないか。

 その後ニックナパームは94年にSCORNを脱退、翌95年には個人名義でビルラズウェルと共に3曲入りのコンピレーションアルバムSUBSONIC2をリリースしている。ちなみにこのビルラズウェルという人物はミックハリスハリス共にAVANT-GARDE JAZZ/GRINDCOREバンドのPAINKILLERで活動していた。

 なお、PAINKILLERの1stアルバムGUTS OF A VIRGIN、2stアルバムBURIED SECRETSはEARACHE RECORDSリリースである。



 その後も個人名義でソロアルバムをリリースしていたが、近年はDOOM/SORE THROATの創設メンバーであるジョンピッケリングと共にRAINBOW GRAVEを始動。そのサウンドはHATRED SURGE収録のWHAT MAN CAN DOのスタイルを元にKILLING JOKEやSWANS 、THROBBING GRISTLEを再解釈した雰囲気を纏っている。


卵が先か鶏が先か


 
 一方ジャスティンブロードリックは周知の通りNAPALM DEATH脱退後から間もない88年にGODFLESHを結成する。いや、正しくは再始動させたのだ。本記事でも触れたFINALとは別にジャスティンブロードリックは82年よりOFFICIALLY PRONOUNCED DEADというINDUSTRIALユニットを結成している。83年にはKILLING JOKEの曲名にちなんでユニット名をFALL OF BECAUSEに改名し、86年と87年に音源を作成。この2つの音源は99年にLIFE IS EASYというタイトルでコンピレーションアルバムがリリースされている。

 このFALL OF BECAUSEを母体として88年にユニット名をGODFLESHと改名するに至ったのだ。なお、GODFLESHの1stアルバムSTREETCLEANERに収録されているLIFE IS EASYとDEVESTATORはFALL OF BECAUSE期の曲の再録である。FALL OF BECAUSE版LIFE IS EASYはGODFLESH版に比べてバンドサウンド感が強く、その分CELTIC FROSTからの影響も感じ取れる。


 本記事を執筆している最中にGODFLESHの最新作PURGEよりLAND LORDのMVが公開されたことは運命的なものを感じ、早速視聴したが“GODFLESH IS GODFLESH”の一言に尽きる。マエストロは未だ健在だ。
 


伝説終焉後のNAPALM DEATH


 
 ちなみに前述のFINALも82年にATROCITY EXHIBITION、83年にSMEAR CAMPAIGNと名前を変え84年一度活動を休止。しかしながら93年からFINALに名前を戻し今日まで活動を続けている。SMEAR CAMPAIGNと言えばNAPALM DEATHが06年にリリースしたアルバムタイトルと同じであるが因果関係はあるのであろうか。

 冒頭でも触れたが94年作FEAR,EMPTINESS,DESPAIRからはSOUNDGARDENやHELMETといったオルタナ(好きな表現ではないがあえて使わせて頂く)に影響を受け、以降もそのスタイルは継続していった。しかしながら、SMEAR CAMPAIGNの件も含めFEAR,EMPTINESS,DESPAIR以降のNAPLAM DEATHはマエストロ達の遺産を掘り返して原点に立ち返ろうとしていたのではないかと思う。特に、KILLING JOKE由来と思われるアルペジオの多用の再来を顕著に感じられる。しかしながら当ZINEとしては93年作UTIPIA BUNISHED含めミックハリス脱退後のNAPALM DEATHについて考察するのはテーマから逸脱するため控えることとする。
 

EXTREME MUSICとINDUSTRIAL MUSICの関係性


 
 本記事はNAPALM DEATHとINDUSTRIAL MUSICの関係性について考察するものであったが、INDUSTRIAL MUSICの要素を含むSCUM/A面を以ってして“NAPALM DEATH”が完成されたことを結論として示したい。意外ではあるが電気グルーヴの石野卓球はNAPALM DEATHを愛聴しており、HEAVYMETALは聴けないがGRINDCOREは好きだと言及している。石野卓球はその感性でNAPALM DEATHからINDUSTRIAL MUSICを見出していたのではないだろうか。
 
 物議をかもすかもしれないが“NAPALM DEATH”の完成はEXTREME MUSICの発展に不可欠であり、従ってEXTREME MUSICの発展にはINDUSTRIAL MUSICが不可欠だったのではないかとすら感じる。

 古くからMORBID ANGELのシャツのバックに大きくプリントされている“EXTREME MUSIC FOR EXTREME PEOPLE”の標語がTHROBBING GRISTLEが掲げる“INDUSTRIAL MUSIC FOR INDUSTRIAL PEOPLE”に似ているのは単なる偶然だろうか?この標語を誰が考えたか情報を得ることはできなかったが、MORBID ANGELないしはNAPALM DEATHが長らく所属していたEARACHE RECORDSのディグが考えたと仮定するならば確信犯であろう。
 
 本記事の中でも度々触れたが、NAPALM DEATHはGRINDCOREを完成させたバンドであり、言わばそのジャンルにおける神話すら成立させた存在である。そうしたバンドのバックグラウンド発掘する時に畑違いのジャンルを持ち出すことは、あくまで完成されたNAPALM DEATHを神聖視するリスナーからすると冒涜に等しいのだ。旧約聖書における創造説話がギルガメッシュ叙事詩に類似するように、古代オリエントの文学形式から模倣されていると聞いていい気がする信徒はいないだろう。それと同じである。
 
 しかしながら冒涜者として石を投げられようと、本記事を執筆しようと思い立ったのには意味がある。それは偏にNAPALM DEATHを愛しているからであり、またNAPALM DEATHを通じてEXTREME MUSICの源泉を知り、真理に近づきたいと思ったからだ。自分がどこから来たかわからないものには、自分がどこへ行くかもわからない。NAPALM DEATHとINDUSTRIAL MUSICの関係性を紐解くことは、EXTREME MUSICを愛する者として自分がどこから来たのかを探索する内的宇宙の旅であったと言えるだろう。
 
 
 
 
 
 




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