同じ山を何度も登る理由
そしてなんなら毎回同じ場面で写真を撮るよね。
今日久々にハイキングに行ったので撮った写真を交えながら、タイトルの内容について書きたいと思う。
まず、山を登る理由。
別のnoteでも書いたかもしれないけど、いくつかある。
山の写真を撮りたいとか、山(自然)の中に身を投じることでメンタル・フィジカルのストレスを解消させたいとか、そういった理由がある。
ハイキングは適度な速度で登れば適度な運動なのでストレス発散に適している。
結構な高年齢の人で毎日山登っていますという人もいるくらいなので健康には良さそう。僕はハイキングを生涯運動の一つにしたいと思っている。
緑に包まれると体内の炎症レベルが下がる、と本で読んだことがある。
人類は自然と共生していた時間の方が長いのでそれもあり得る話と思っている。
趣味としてハイキングをおすすめしたいというのはこれまでも別のnoteでしているので、今回のnoteではタイトルにあるようにホームとなる山を見つけて何度も登ることをおすすめしたい。
その理由を書いていく。
僕も以前は毎回登る山を変えていた時期があった。
知らない風景を知るというのが楽しい時期だ。
でも今は何度登ったかわからないような慣れ親しんだ山を好んで登っている。
山にはストレス発散のために登るという目的もあるので、慣れている山→迷うリスクがない→常に道を意識しなくてよいので思考のために脳のリソースを使わない→よりリラックスに繋がるからだ。
慣れている山を登っているときは、単純に写真に収めたい場面を探したり、Podcastを聴きながら登っているのでその内容について自分なりに考察してみたりと、”ながら登り”も可能だ。
次に、季節の移り変わりを体感できるということ。
春になると新芽が出てきているなとか、初夏には新緑が美しいなとか、秋になると落ち葉が増えてきたなとか。
初めてきた山だと季節を感じることはできるだろうけど”変化”まではわからない。
あとは、僕は全く重視していないけどハイキング中のコミュニケーションの楽しみというのがあるかもしれない。
僕がホームとしている山では「毎日登っています」とか「もうすぐ1000回目です(その山には登った回数を記録する仕組みがある。ちなみに僕は50回程度)」とか、日常としてのハイキングがある人も多い。
そういった人たちは登り降りのすれ違いの際に会話を楽しんでいる。
(病院の待合を井戸端にしている人たちなんかとはえらい違いだ)
今日も降っているときに、登ってきた女性に「やまとぐさ見かけた?」と話しかけられ、やまとぐさがどんな植物かわからず、すぐスマホで検索し「今日は見ていないです」と答えた。「昨日、テレビで見てね。見てみたいのよ」と女性。すると別の人が降りてきてと、女性が「やまとぐさ見かけました?」と話しかける。その降りてきた人は「やまとぐさはまだ早いんじゃないか?〇〇ルートに行ったらあるかも」みたいな会話をしている。
こんな感じで(大阪だからかもしれないが)知らない人同士でコミュニケーションが発生している。その人たちもいずれ顔見知りになるのだろう。
同じ山に登るのは退屈と思うかもしれないけど、100回、1000回と登っている人がいることからもそういうことはないのではと思っている。
(50回登っている僕も退屈という感情はまだない)
家族の都合でそう頻繁に登れないけど、僕も1000回目指してみたい。
(毎週1回登っても約20年かかる・・)
それでは
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