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天真爛漫と言われてみたかったけど 【リレーエッセイ⑫】

文坂ノエさん主催のリレーエッセイ「あぁ、愛しのコンプレックス様」12番走者としてバトンをいただきました。11番走者はマリナ油森さん(選んでくれてありがとう!)。13番走者は最後に発表します。


みなさんは「人からよく言われる形容詞」をお持ちだろうか。

簡単に言えば「優しい」とか「几帳面」とか「君って〇〇だね」って、そういうもの。

私はある。ずっと変わらずある。昔から、それこそ小学生ぐらいから今まで「冷静」「客観的」と言われてきた。うろ覚えだけど、通知表の先生コメントでも「一歩引いて周りを見ることができる…」みたいな文言が書かれるような子どもだった。

幼い頃、私にとってそれらは何の褒め言葉でもなかった。可愛げがない、甘えられない。これが私の大きなコンプレックスだったように思う。

「天真爛漫」「無邪気」こういう言葉が似合う女の子に憧れた。中学時代の親友は、まさにこれを地でいくタイプで、私が天然くせっ毛で悩んでいた当時、親友はサラサラストレートで、もう何もかもが羨ましかった。

ケラケラと笑う彼女は、その場を明るくする天才だった。太陽みたいな人ってこんな子のことを言うんだろうなと眩しく思った。

人格に影響を与えたもの

突然だけど、私の家族はいわゆる「ステップファミリー」だ。実父は私が母のお腹にいた時に亡くなっていて、その約6年後、母は兄と私を連れて今の父と再婚した。数年後に弟が生まれる。

それ自体は特に何てことない。死別でも離婚でも養父母に育てられた経験がある人は多いと思うし、不幸だなんて感じたこともない。

今の私に大きな影響を与えた要素があるとするならば「その事実を知らないフリして過ごしてきたこと」だと思う。

お父さんができた

私が5歳か6歳のときだった。いつも遊びに来ていた「おじさん」が「お父さん」になった。幼かったからか、よく居たからか、何の抵抗もなかったと記憶している。

やがて気付いた、重要なこと。どうやら家族の中で、幼い私は今の父が養父なのを「知らない」という設定になっているらしかった。養父と母と兄の中で、私にとってはそう信じて育つのが幸せだと判断したのだろう(兄は再婚時すでに小学生だったので状況を理解できる力があった)。

私は何かがきっかけで、養父が本当のお父さんじゃないと気付いた訳ではない。もともと分かっていたのだ。5歳の私も兄と同じように。侮ってはいけない。

秘密を抱える孤独

その後、改めて正すキッカケもタイミングも逃し続け、20年以上の日々を「真実を知らない娘」として振る舞った。その間には本当にいろんなことがあった。

家族団らん中に昔話が出たとき、いつも少しだけ泣きたくなった。その寂しさにも似た感情を、孤独と呼ぶのだと知ったのは、もっと大人になってからだ。

本当に言いたいことは言えず、本当に聞きたいことは聞けず、取り繕ってばかりいる。表面上は普通に接しているけど、人との間にはどんどん壁ができていく。

物事に動じない子。感情を露にしない子。先生や同級生からはしっかり者だと思われていたが、これは私の望んだ姿ではなかった。

海外で再び子どもに戻る

自分の冷めた性格がコンプレックスだった。それは後から考えると思春期なら誰でも持つような些細なものだ。

けれど、打ち破るのに必死だった。立ち振る舞いだけが上手くなった私は20代の頃やたらと八方美人になってしまった。現に、当時の親友に「みんなにいい顔すんな」と呆れられ、同じ理由で彼氏からフラれたこともある。

内側から迸るような熱が欲しいのに、何をしても手応えがなく、上を見ればキリがない。そうこうしていたら随分と遠くまで来てしまった。俗に言う「自分探し」。言葉にしたらひどくダサい。

30歳で仕事を辞めてアメリカへ旅立ち、暮らし始めてようやく気付いたのは、どこにいたって誰といたって、スペックだけ変えたって、自分は自分だという至極当たり前のこと。

「海外で暮らす私」はさぞかしキラキラしているだろうと想像していた。ところが、待っていたのはとことん己と向き合う時間だ。言葉がうまく使えない。右も左も道がわからない。見知らぬ土地で、私はまた子どもに戻った。

アメリカでは「口に出さない」は「思っていない」と同意義である。察する文化などない。言わなければ無かったことになるだけ。大切な人への気持ちさえも。それって随分もったいなくないか。

自分の思っていること、考えていることを拙い英語力で表現する。どうやったら相手に正しく伝わるだろう。その繰り返し。目の前のことで精一杯。みんなにいい顔するほどの余力など残らない。そもそもそれ自体が何の意味も持たない。

この国で暮らすことは、私にとってまるでリハビリのようだった。

コンプレックスの先に

海外暮らしを始めて、もう一つ気付いたのは。月並みながら、日本にいたときの自分がいかに多くの人に甘えて、また支えられて、生きていたかということだ。

甘えられないと思っていたのに、しっかりと充分すぎるほど甘えていた。周りの優しい人たちが自然に受け止めてくれるから、気付いてなかっただけで。

私は、自分が感情をうまく表に出せない性格になったのは、両親が真実と共に向き合ってくれなかったせいだと思っていた。

でも、本当にそうだろうか。

今の性格を過去と紐づけるのは簡単だけど、その過去がないバージョンの人生はどうやったって知りえない。だから確信の持ちようがない。「あの経験があったから」天真爛漫でも無邪気でもいられなかったのか?そうじゃなくても、あんまり変わらない気がしている。

冷静なところも客観的なところも、30年以上そう言われるなら、文章からも同じ印象を持たれるなら、私はそうなんだと思う。今では割と好きだ。

もう一つの原点

ずっと心に残っている言葉がある。高校時代に出会い、毎日のように電話をかけてきては、私に「冷たい!」と怒ったり泣いたりしていたあの男の子が言ってくれたこと。

「あなたは冷たいけど、温かい人です」

太陽のようにたくさんの人たちを明るく照らすことはできないかもしれない。でも、せいぜい手の平に入るぐらいの小さな灯火で、目の前の大切な人を温めることができれば。

それで充分じゃないかって、最近は思っています。


終わり。

(娯楽ないみさん、素敵な宣伝ポスターありがとうございました!)

【13番走者の発表】

最後に、バトンをお渡しする13番走者を発表します。このかたです!

こっこさん


最近は長編小説をアップされていて、終盤へ向かう物語の行方や恭介のモラハラ彼氏っぷりを、みんながヤキモキしながら見守っている(結香も結構フラフラしてると思うぞ ←小声)。

私にとってこっこさんは「小説の人」だ。

初めて存じ上げたのは「紅茶のある風景 投稿コンテスト」だった。応募作品を眺めていたら、こっこさんの小説を見つけた。

私は情報を取り扱う編集者やライターをやっていたのだけど、本当にやりたいのは「ストーリー」を紡ぐことなんじゃないかと思い始めてnoteにやってきた。いつか小説も書いてみたいなぁ、と思う私にとって、こっこさんは憧れ。

コンテンツ論もしかり。私は漫画やドラマが好きだけど、レビューが下手で書けたためしがない。私が書きたいものを、すでに高いクオリティで書いている人、それが彼女だ。

お気付きだろうか。そんなこっこさんは、意外にも自分のことについてあまり書かれていない。

次の走者の打診をしたとき、こっこさんはやや渋っていた(えぇ、気付いています)。でも、私が読みたいと思ったから口説いた。そしてOKをいただいた。ありがとうざいます。やったー!

どうぞ、のんびりとゆるやかに。こっこさんが書かれるコンプレックスに関するエッセイ、とても楽しみ。

バトン、たしかにお渡ししました。では、また!


最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。