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木に夢中なこのごろ


幸田文『木』に触発されて

わたしはあまり植物に興味のあるタイプではありませんでした。わが家の庭づくりにも全然関与しておらず。

それが『PERFECT DAYS』を観て幸田文さんの『木』を読み返してみて、俄然、木に、それも樹皮に興味がわいてきて。人生何が起こるかわかりません。

木は着物をきている、と思いあててからもう何年になるだろう。北海道へえぞ松を見に行ったとき、針葉樹林を走りのぼるジープの上で当惑したことは、どれがえぞ松だか、みな一様にしかみえず、見分けができないことだった。仕方がないので、目的地へついてから、教えを乞うた。あなたは梢の葉っぱばかり見るから、わからなくなっちゃう。幹の色、木の肌の様子も見てごらんといわれた。つまり、高いところにある葉や花にだけ、うつつを抜かすな、目の高さにある最も見やすい元のほうを見逃すな、ということである。そのときに、これは木の装いであり、樹皮をきものとして見立てれば、おぼえの手掛かりになると知った。

この、「木は着物をきている」という発想が面白くて、ジョギングの最中、樹皮ばかり見るようになった。

最初はクスノキ

ある日、樹皮が深い縦じま模様で、枝がカクカクした感じで伸びている木が気になった。かっこいいな~、これは何という木なんだろう?
帰ってきて夫に聞くも、特徴をうまく伝えられず。
夫は自転車で見に行ってくれて、「クスノキだよ」と教えてくれた。

そしたら他の場所でも「クスノキだ!」とわかるようになり、楽しくなってきて。字を覚えた子どものよう。

以来、木の特定に夢中になる。つるつるしたの、ざらざらしたの、皺が入っているの、剥げているの…細いのから太いの太さもいろいろ。改めて、木ってすごいなぁって。大きくて、美しくて。ほんとに素晴らしくて圧倒される。自然の脅威を感じてドキドキもする。

少しずつ覚えています

ジュゴンの肌みたいだなぁと思って興味をもっていた木は「ヤマモモ」だった。そうか、名前って大事なんだね。名前がなければ特定して区別することも、記憶することもできない。

先日サイクリングしたときには、タイサンボクとユズリハが似ていること、あとトチノキ、ケヤキなんかを教えてもらって、覚えた。

GWに夫の実家(岩手)に行き、盛岡に日帰りで遊びに行ったときには、ベニバナトチノキを覚えた。アカバナアメリカトチノキとセイヨウトチノキの雑種。

つるつるの樹皮、大きな葉っぱが特徴

セイヨウトチノキ=マロニエなんだね。そんなことも知らなくて。
何せわたしが樹皮だけでわかる木って、自慢じゃないけど桜と松くらいなものだった。桜は光沢があって横じまが入ってる。子どものころ登ったりして親しんでるから、花がなくてもこれだけは見分けられた。

昨日は散歩中に夫に教えてもらって金木犀、椿、柿、ビワの木を覚えた。
金木犀や椿は花が、柿やビワは実がなっていればわかるけど、それらがついていない状態で特定できる人って少ないのでは? わたしはそうでした。
でももうわかる! 金木犀は水玉っぽい模様。椿はつるっつるの本当にきれいなお肌。柿とビワもそれぞれ特徴がある。

夫が先生、新たな楽しみ

夫は歩く百科事典。何でも知っている。
もともと虫や植物(に限らずありとあらゆる生き物から天体まで)の知識が豊富な上に、今もなお虫やら植物の図鑑を眺めながら晩酌しているような人だから、詳しいにも程があるでしょってくらい詳しい。そんな優れた先生がすぐそばにいるのはラッキー。ビギナーのわたしにとってすごくいい環境。

いろいろ説明してくれても、これまでは興味なさ過ぎで全然聞けなかったのだけど、今は一生懸命くらいついていこうとしている。人って変われば変わるもんですね。

木を見分けるためには樹皮だけではダメで、葉や全体の形にも目を向けなくちゃいけない。
幸田さんとは逆ですね。

植物の中ではハーブのことが少しわかるくらいで、花にも詳しくないわたし。
でも木に付随して、草や花にも興味が出てきました。人生の新たな楽しみができたぞ。

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