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『人類の起源――古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』ノート

篠田謙一著
中央公論新社刊

 人類の起源についてご興味のある方なら、直立猿人、北京原人、ネアンデルタール人、クロマニヨン人、ホモ・サピエンスという固有名詞は覚えておられるであろう。

 チャールズ・ダーウィンは1859年に『種の起源』を発表し、「進化による変化」という概念を提示して神の存在を介在させずに、生物としての人間の由来を自然科学として扱うことを宣言した。
 それ以降、私たちはどのように進化してヒトになったのか、大きなテーマになった。そして世界各地で発見されるごく断片的な化石を分類、分析してそれらの特徴から、およそ700万年におよぶ人類進化の道筋がおおまかに示されるようになった。それは多くの化石人類学者が世界各地の地層を掘り起こし、研究してきた賜物である。

 その化石人類学は従来、古人骨のミトコンドリアDNAしか分析できなかったが、2006年になって次世代シークエンサという技術が実用化され、ミトコンドリアDNAよりはるかに大量の情報を持つ核のDNAの解析が可能になった。そして2010年にはネアンデルタール人が持っているすべてのDNAの解読に成功し、DNA解析による人類集団の成り立ちに大きく貢献することになった。

 私たち現代人の学名は〈ホモ・サピエンスHomo sapiens〉。ホモはラテン語で〈人〉でサピエンスは同じく〈賢い〉という意味であるから、私たち現代人は自分たちで〈賢い人〉と名付けたわけである。
 たかだかこの100年余りの人類の歴史を概観しただけでも、幾度も戦争を繰り返しており、人類は総体的にいえば、決して賢いとはいえないであろう。自分たちで〈賢い人〉と命名すること自体余り賢いとはいえない。「俺は偉いんだ」と自分で叫ぶような人間とあまり違っていないような気がする。それとも〈賢い人〉になろう、そうならなければならないという希望的な命名なのであろうか。

 これ以上、戦争という愚行を繰り返すのであれば、私たちの学名を〈ホモ・ストゥルトゥスHomo stultus=愚かな人〉と変えた方がいいのではないか。

 それは余談として、リンネが提唱した「二名法」ではホモ=属名、サピエンス=種名ということになる。ちなみに「人種」というのは、さらに種の下位のカテゴリーであり、生物学的な実態はないので、自然科学の学術論文で「人種」という単語が用いられることはない。もし使っている研究があるとすれば、科学的に価値が低いものだと著者は言う。

 では、人類の起源はいつなのか。
私たち人類にもっとも近縁な現生の動物であるチンパンジーの祖先と人類の祖先が分かれた年代は、化石やDNAの分析によっておよそ700万年前と考えられている。
 ただし、ホモ属の誕生をもって人類の誕生と考えるのであれば、およそ250万~200万年前だと考えられている。
 さらに狭義な定義では、ホモ・サピエンスがアフリカから出て本格的に地球上に展開し、顕著な文化的発展が見られるようになるのは、5万年ほど前なので、それを基準とするのであれば、人類の誕生は5万年前だということになるが、アフリカでの発掘調査の進展で、文化的変化はもっと長いのではないかという疑問も出されている。

 現在、地球上にはホモ・サピエンスという一属一種の人類だけが生存しているが、数万年前までは同時に何種類もの人類が地球上に暮らしていた。ヨーロッパや西アジアではホモ・サピエンスとネアンデルタール人が3~4万年前まで数10万年にわたって共存しており、互いに交雑することによって遺伝子を交換していたことも解明されている。現にアフリカ大陸の外に住んでいる現生人類のゲノムの1~4%がネアンデルタール人由来であることが明らかにされている。
 それが何故ホモ・サピエンスだけが残ったのか、この書では遺伝子レベルの解析で、この問題の解明を試みている。

 第六章では、日本列島集団の起源と題して、日本人のルーツに迫っているが、日本でも縄文時代から弥生・古墳時代にかけて、大規模な遺伝的変化が起こっているのがゲノム研究からわかってきた。
 歴史の教科書では、「弥生時代になって古代のクニが誕生した」と書かれることが多いが、こういう書き方では、日本列島に居住していた人々が、弥生時代になって自発的にクニをつくり始めたと捉えがちであるが、これまでのゲノム研究の結果からは、おそらくその時代に大陸からクニという体制を持った集団が渡来してきたとみるのが正しいのではないかという。
 日本の古代国家の成り立ちについて見直しが必要かも知れない。

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