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『芸術と科学のあいだ』ノート

福岡伸一著
木楽舎刊

 著者の福岡伸一の本職は分子生物学者であるが、科学エッセイも多い。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラー(著者の公式ホームページによれば87万部!)となった『生物と無生物のあいだ』や『動的平衡』シリーズなど、“生命とは何か”を動的平衡論から解明しようとする意欲的な著作を数多く発表しており、どれも面白い。

 この本は、日本経済新聞で2014年2月から2015年6月の1年半以上にわたって連載されていたコラムをまとめたものである。
 当時、本になったことは知っていたが、すぐに注文しなかったので忘れていたのだが、先月長崎に行ったときに、思い立って学生時代から行きつけの大正堂という古書店に行き、そこで見つけた。買いたかった本は背表紙を眺めていると思い出すものだ。当時の店主もご健在であった。
 本屋というのは、このようにまさに予期せぬ出会いの場だ。しかしいまは書店も古書店も、ネット販売に押されて厳冬の時代である。

 内容は芸術と科学の垣根を越えたエッセイで、取り上げたテーマが、芸術作品に止まらず、建築物と風景、絵画、写真、貴重な文化遺産、手稿、昆虫や動物と幅広い。そのどれもが興味深い。

 最初の話は、「NYの空から消えた対の均衡」と題して、旅客機による前代未聞の自爆テロで消えた世界貿易センタービル(WTC)を取り上げている。設計者であるミノル・ヤマサキはWTCの着想をスペイン・グラナダの丘に立つアルハンブラ宮殿の一対の塔から得たのではないかという説を紹介し、WTCがニューヨークの景観に果たしていた役割に言及している。

 分子生物学者である著者が特に関心を持っているのが〝らせん構造〟だ。銀河系、台風、鳴門の渦潮、バベルの塔、ケルト文化の文様、ソロモン・R・グッゲンハイム美術館などの近代建築、古代生物のアンモナイト、あさがおの蔓、蝶の口吻、人体の血流、はてはDNAの構造にまで大きな役割を果たしている〝らせん〟のエネルギーに言及しているのが非常に興味深い。

 ちなみに、中空のプラスティック樹脂で人体の毛細血管まで再現し、心臓の位置にポンプを接続して血流を再現しても、全身には行き渡らないそうだ。心臓の構造が作り出す血流のらせん状の渦が人体の毛細血管の隅々にまで血液を送り届けるのだ。絶妙な生命体の構造である。これはヒトだけの話ではなく、あらゆる生命体がそのような不可思議としか表現しえない構造を内包しているのである。

 もう一つは、著者の持論である〝動的平衡〟である。生命というものはこの動的平衡で成り立っている。
 私たちの身体はタンパク質や脂質といったミクロの粒でできているが、これらの粒々は機械の部品のように固定されているのではなく、ものすごい速度で日々交換されているという。今日、自分の身体を形作る粒は明日には壊されて排出され、食べ物に含まれる新しい粒に置き換えられる。
 友人知人と久しぶりに会ったときの常套句、「お変わりありませんか」は間違っており、昨日の私は今日の私ではないので、久しぶりに会った人との挨拶は、「お変わりありまくりですね」が正しいそうだ。その通りだが笑える。

 粒がたえまなく流れながらも、私は私であるという〝同一性〟を保つ仕組み、つまり変わりつつ不変を保つのが〝動的平衡〟なのである。その表現として、著者は千住博が2015年のベネチア・ビエンナーレに出展した『滝』の絵を取り上げている。
 余談であるが、私も千住博の『滝』の絵が好きで、軽井沢千住博美術館に行ったときに、購入したほどだ。ただし陶板に焼き付けられた滝の絵だが……。この美術館は建物内部も土地の斜面形状をそのまま生かしており、千住博の作品を飾るにふさわしい建物だ。

 閑話休題。レオナルド・ダ・ヴィンチは膨大な量の手稿(コーデックス)を遺しているが、その中でも「レスター手稿」の特徴は、文字がすべて鏡文字、左右反転で書かれていることだ。この謎を、著者はダ・ヴィンチがいつの日か大量活版印刷するために意図して書いたのではないかと推測している。

 そのほか、フェルメールの絵画や「漢倭奴國王」と「親魏倭王」の金印のこと。〈降りつもるのは時間そのもの〉と福岡が表現した東山魁夷の『年暮る』という日本画――筆者は山種美術館で見たが、静けさの音が聞こえるような絵であった――。そのほかジャクソン・ポロックの抽象画――不思議にずっと眺め続けたくなる――など多くの芸術作品が取り上げられており、どのエッセイも含蓄深く、読むと文系と理系が分離する前の幸せな時代に戻ることができる。

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