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『時間の園丁』ノート


武満 徹
新潮社刊
 
 私が武満徹の名を知ったのは、「死んだ男の残したものは」という歌の作曲者としてである。
 私が中学生の頃はすでにフォークソングブームで、それに刺激されてギターを弾き始めた頃にこの曲を知った。作詞は谷川俊太郎。ベトナム戦争最中の1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられた反戦歌だった。
 音楽雑誌で楽譜を見て、コードも載っていたので、弾き語りをしていた。その後、高校で音楽部に所属し合唱指揮をしている時に、この曲が合唱曲に編曲され演奏されていたのを知った。いまのようにGoogleのような便利なツールもない時代で、音楽部の顧問教師に聞いたりして、クラシックから現代音楽、映画音楽、舞台音楽まで幅広く手がける世界的でも有数の作曲家であることを知った。
 
 この本は、毎日新聞に連載されていた『時間の園丁(ときのえんてい)』と題された彼の連載エッセイを中心にまとめたもので、音楽にとどまらず、広く芸術文化に対する考え方や峻烈な批評精神が面白く、彼の国内外の友人と幅広い交友関係とそのエピソードも書かれており興味深い。
 
 書名の『時間の園丁』は、わかりやすく言えば〝時間の庭師〟ということになろうか。音楽という時間の芸術を刈り込み整えて作品にするのが作曲家なのだという彼の考え方が凝縮した書名である。
「私は、作曲という仕事を、無から有を形づくるというよりは、むしろ、すでに世界に偏在する歌や、声にならない嘯(つぶや)きを聴き出す行為なのではないか」と書いていることからも、それが伺える。
 続いて、「音楽は、紙の上の知的操作などから生まれるはずのものではない。音符をいかに巧妙にマニピュレート(操作)したところで、そこに現れてくるのは擬似的なものでしかないように思える。それよりは、この世界が語りかけてくる声に耳を傾けることのほうが、ずっと、発見と喜びに満ちた、確かな、経験だろう。」と書いている。ここに彼の作曲に関する一貫した姿勢がある。
 
 それとは逆に、テレビの音の扱いの無神経さに彼は憤る。ニュース報道の背後にまで全く関連性のない音楽や音響を流し、視聴者の気分を煽ろうとすることを批判する。それに慣れてしまい、その傾向が長く続くようなら日本人の耳の感受性は、手の施しようもないまでに衰えるのではないかと憂える。
 武満徹は1996(平成8)年に65歳で亡くなったが、いまも健在であれば92歳。彼の耳にいまの音楽シーンはどう聴こえるだろうか。
 
〈希望〉というエッセイでは、人間はどうしてこのようにいつまでも対立と抗争を繰り返すのかと疑問を呈し、その状況を打開するには、自分たちの文化や伝統を絶対視せずに、相対化できる眼が必要だといい、私たちひとりひとりの生き方がこの地球の命運をいかようにも変えうるのだという人間としての自負と誇りを持つべきと説く。政治や軍事力に頼らない、小さな個々の生き方を連ねることでしか、この状況を打開する術はないのではないかとさえ述べる。
 一方で音楽というものの限界も理解しており、その無力さを認識することで、何ものによっても変えられない、感情の元素の基底にまで降り立ちたいと述べ、音楽の力に対する希望を失っていないのだ。
 
 ちなみに、武満徹が国際的な名声を博するきっかけになった曲である『ノヴェンバー・ステップス』は、ニューヨーク・フィル・ハーモニー管弦楽団の創立125周年を記念する曲として、レナード・バーンスタインの依頼によって作曲された琵琶、尺八とオーケストラのための音楽作品である。
1967(昭和42)年11月9日、ニューヨーク・フィルの本拠地であるエイブリー・フィッシャー・ホール(2015年にデイヴィッド・ゲフィン・ホールと改称)において、鶴田錦史(琵琶)と横山勝也(尺八)のソロ、小澤征爾の指揮により初演された。

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