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Caol Áit / 妖精・天使・精霊

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アイルランドの伝承にいう Caol Áit を探し求める研究ノート、および、あっち系に見えますがマジメな妖精・天使・精霊の議論
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記事一覧

[書評]光のラブソング

この本に出会えた幸運をかみしめている。 著者は米国人女性。タイトルが『光のラブソング』とあり、それだけでは私の目にとまる可能性はほとんどゼロだった。この本が出ていることも知らなかった。 きっかけは2023年5月に『我が名はヨシュア』を読んだことにある。読み終わったときに、この方面で次に何を読むべきかと真剣に考えさせる内容の本だった。 途方に暮れつつ、ふと、同書の巻末の書籍広告を見ていたら、『光のラブソング』があった。同じ明窓出版から出ている本だから、編集者がこれと判断し

[書評] 豊かさと健康と幸せを実現する 魂のすごい力の引き出し方

神岡 建『〈改定新装版〉豊かさと健康と幸せを実現する 魂のすごい力の引き出し方』(ロングセラーズ、2015/2021) 神岡本の中ではバランスの取れた好著 ほんらい、著者の著述は読みやすいものだと思うが、本一冊として見た場合、必ずしも読みやすい本ばかりではない。 そのときどきの関心に引きずられて、深く掘りすぎて、かえって読みにくくなるケースがある。あとで、引いた視点で見た場合、何でそこまで掘るのだろうと思わされることがある。 そういうところが本書にはほとんどない。素直

妖精の起源(付:ルシフェル、人名レノン)

アイルランドの妖精譚の大部分は刊行されていない。いまだに収集者の手書きのカードが保管庫に収まっていて、いつの日か文字に起こす人が出るのを待っている。 duchas.ie というウェブサイトは、その種のコレクションが画像の形で集成されているところの一つで、篤志家の協力を待っている。そのうち、The Schools’ Collection という1930年代にアイルランドの生徒が収集したフォークロア・コレクションがあり、妖精譚が含まれている。 筆者は時間を見つけて少しづつ手書

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妖精にさらわれた男

アイルランドのフィドラーが妖精にさらわれた話を紹介する。19世紀末に収集されている。 Duchas.ie というウェブサイトに草稿のデジタル化作業を行う篤志家を募集している資料がある。そのうちの The Schools’ Collection という1930年代にアイルランドの生徒が収集したフォークロア・コレクションに妖精譚が含まれている。 筆者は時間のあるときにこの資料の手書きのカードを解読してタイプし、アップロードしている。するとサイトの校閲担当者が見てOKであれ

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自分の名前のこと。Mícheál と書いて…

ミオールと読めるのは、おそらく、ここ note で私の note をご覧になった方だけだと思います。  今から説明しますが、個人情報に関わることを含みますので、この先は有料とします。onomastics (名称学、固有名詞学)としての議論も含みます。   名前 Mícheál についてのあれこれです。  名前のつづりのこと、名前の意味、私に関わること、各国で同じ名前が変わること、名前から派生した名字、関連することばや文学作品、聖書の典拠などについてです。

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フォークロアっていうのは、ばかばかしいものか

〔アイヴァスが幻視したプラハ ↑〕 この世界の隣にある街(ある意味で異界)の住人が、自嘲気味に語る。 フォークロアっていうのは、ばかばかしいものでね。自分たちの儀式のほうが、あなたたちの世界の規律が秘められている雛形であって、あなたたちの世界が忘れてしまった意味を維持しているのが自分たちだって始終豪語している。ぼくは、それはどうかと思うんだ。 これはアイルランドの妖精の話ではない。チェコの話だ。住人はさらに語る。 ぼくらの街のひとびとは、あなたたちが来る数千年もまえか

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書いているのは自分ではない

小野美由紀さんの次の発言が印象的だった。 小野:「自分が書いている」と思うとしんどいけど、「自分の中の他人がやっている」と思うとラクになりますよね。 出典:「限界集落で「創作」を語る:ヒビノケイコ×小野美由紀×イケダハヤト」(2016/02/17) この考え方は何も新しい話ではない。古くは古代ギリシアの頃から、作家や詩人にはダイモン(daemon, 半神半人、神と人の間の霊的存在)が降りてきて書くものだということになっている。人間が自分で書くという観念はそもそもなかった

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[書評]赤毛のハンラハンと葦間の風

イェーツの幻の物語(1897年版『秘密の薔薇』) W.B.イェイツ『赤毛のハンラハンと葦間の風』(平凡社、2015)  1897年版『秘密の薔薇』に収められた物語「赤毛のハンラハン物語」の本邦初訳。くわえて、1899年の詩集『葦間の風』初版から十八篇の詩を訳してある。  本を手に取るよろこびが味わえる。小さな緑の本。背表紙に題名等が金箔押し。端正な函に収められている(函の絵は1927年版の挿絵から第二話の「縄ない」)。すみずみまで気の配られた本。大きさは同じ平凡社の東洋

Fairy Bush

'fairy bush' 「妖精の木」について、興味本位や空想をもとにふれたものは別として、フォークロア学からアプローチしたものがある。ふつうは植物を観る際に植物学的知識をならべた後に附けたしとしてフォークロアを添えるものが多いが、逆の行き方もある。植物についてフォークロア学の知識をならべた後に附けたしとして植物学的知識を添えるものである。その観点からすると五月のサンザシ、特に一本ぽつんとあるサンザシはフォークロア的にどんな意味をもつのか。

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Is (コピュラ)は用法の奥が深くて、先日出した本では「好き」を表現する is のことは書かなかった。前から一度考えてみたいと思ってたのでそのうち考えてみます caol áit (thin place) 聖俗の帳が薄い所 https://jp.pinterest.com/pin/515240013596556021/

妖精譚の今日 (Eddie)

アイルランドからエディー・レニハン (Eddie Lenihan) が2016年来日した。招聘した人から話を聞き、ショックを受けた。今日のアイルランドでは彼が妖精譚を話すと「嘘を話すな」と言われるのだという。(彼は2年後にまた来日するかもしれない)

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カプリシカ

西宮北口駅の北西出口からすぐのカプリシカに行った。 行って分かったのが店名がアイルランド語であること。 capall uisce 「カプリシカ」とは聞いた発音をそのまま書いたものかもしれない。 店長談では(ネッシーのような)神話的な珍獣との説明だった。 が、アイルランドの神話伝説や詩歌に親しむ者には、この名からはある世界が広がる。 水の馬は英語で water horse ともいう。沖から押寄せてくる波頭が、並び疾駆する馬と幻視される。ちょうど次の絵のような。 ア

[書評]『ドラゴン・ヴォランの部屋』

アイルランドの作家シェリダン・レ・ファニュ(1814-73)の日本における作品集の第2弾。第1弾『吸血鬼カーミラ』(平井呈一訳、1970)から47年経っている。 短編4本、中編1本が収められている。この作品集に対する評価は読む人の立場によって変わるだろう。怪奇幻想小説を求めて読むと満足度はおそらく低い。超自然要素を含むポーばりのサスペンス小説をアイルランドとイングランドを舞台に展開した文学と考えればおそらく高評価になる。ジェーン・オースティンとの影響の相互関係がある作家とい

見えないものと語らう

3月11日にあたり、東北の霊魂のことを考えていたら、ある聞き書の本の抜粋を読んだ。「携帯に届いたメール『ありがとう』――被災地での「霊体験」を初告白。遺族たちはこうして絶望から救われた」という記事。 かねて、仮に「震災怪談」の名で、東北の出版社を中心に収集されていた話とどこか似ている。 *** 青山繁晴さんの「青スポ」というコーナーが「虎8」で始まり、第1回がアイルトン・セナの話だった。彼自身がオートレーサだから詳しい。セナが他界したとき、そのレース場つきの医師が語った