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[書評] 光明瞑想

サティヤ・サイ・ババ『サイ ババの光明瞑想』(サティヤサイ出版協会、2011)

シュリ サティヤ サイババがすべての人々に推奨している光の瞑想方法

東山彰良の『わたしはわたしで』を読んでいて突然サイババが出てきた。何の脈絡もなく。しかし、サイババのことばは主人公に影響を与え、ある行動を起こさせるきっかけとなった。

べつに東山氏が日頃バジャン(サイババ賛歌)を熱心におこなっているというわけではおそらくなく、サイババの金言をネットから拾ったという体裁になっている。

それでも、そのことばには力があった。

なぜだろうと考える。

本書を読んでいて、〈真理(サティヤ)とは永遠に変わらぬもの〉というサイババのことばに出会った(68頁)。

この真理の性質について、本書の後半に含まれるアート・オング・ジュムサイ・ナ・アユタヤ博士(Dr. Art-Ong Jumsai Na Ayudhya)の解説「真理と光明瞑想」が参考になる。

博士によると、〈真理とは変化しないものです。今日真理であるなら、それは明日も真理であり、明後日も真理でなくてはなりません。〉とのことだ。

さらに、〈過去においても、今日真理であったものは昨日も真理であり、無限に過去にさかのぼっても真理であったに違いありません。〉と。

なるほど、それが真理の性質なら、サイババのことばの力はおそらく真理の力なのだろう。

だから、何の脈絡もなく小説に放り込んでも、そのことばが登場人物を動かすだけの力を発揮するのだ。

博士によれば、このような真理を内面への旅で発見する方法が光の瞑想である。

この瞑想では呼吸が大事であるが、その呼吸の具体的な方法が、ネドじゅんさんが説く右脳活性化の方法とそっくりであるのに驚く。

ひとつ違うのは、本書では、その呼吸に合わせて〈簡単な言葉〉を唱えるよう奨めていることだ。

もうひとつ、サイババ提唱の瞑想法だけしか読んでいなければ、評者はおそらく、その方法は自分には無理だと諦めただろう。が、この博士の親切丁寧な説明のおかげで、ひょっとしたら自分にもできるかもしれないと勇気を与えられた。

その意味では、サイババのことばと博士の解説を組合せた本書はすばらしい。

サイババが呼吸に合わせて〈簡単な言葉〉を唱えるよう奨めていると上に書いたが、37-39頁に説明がある。

それによると、吸うときに「ソー」、吐くときに「ハム」と唱えよと。この「ソー ハム」は〈私は神である〉という真言(マントラ)という。

本書の注には〈サンスクリット語で「ソー」は「神である」、「ハム」すなわち「アハム」は「私は」の意。光明瞑想におけるソーハム瞑想は、集中・黙想・瞑想の三段階のステップの最初のステップ、集中にあたる。〉と記されており、そのあとに次の字が印刷されている。

सो

これが「ソー」の字。

हं

これが「ハム」の字。

サイババのことば(呼吸に合わせて〈簡単な言葉〉を唱える)について、アート・オング・ジュムサイ・ナ・アユタヤ博士は次のように解説する(85-86頁)。

一番良いのは、尊敬する聖者の名前かマントラを唱えることです。たとえば、仏教徒であればブッダという言葉を使うとよいでしょう。息を吸うときに心の中で「ブーッ」と唱え、吐くときに心の中で「ダー」の音を唱えるのです。キリスト教徒であれば「ジーザス」(イエスの名前)と唱えることができます。吸うときに「ジー」、吐くときに「ザス」です。イスラム教徒なら「アッラー」という言葉を使えます。マントラを使うのであれば「私はそれ(絶対実在・神)である」という意味の「ソーハム」がよいでしょう。息を吸いながら「ソー」、吐きながら「ハム」です。

サンスクリット語の発音にくわしくない評者にはこの博士のことばもありがたい。サイババのことばと博士の解説がセットになった本書にあらためて感銘を受ける。

#書評 #サイババ #瞑想

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