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[書評] 自分を休ませる練習

矢作直樹『自分を休ませる練習』(文響社、2017)

マインドフルネスは中今そのもの

一見、外国産にみえる「マインドフルネス」は、〈ずっと昔から日本人がやってきていたこと〉と著者は述べる。それを表す言葉が神道でいう「中今」であると。

「中今」は〈今を生き切ることこそ大切という意味を持つ言葉〉だが、〈マインドフルネスは中今そのもの〉であると著者は言う。

「マインドフルネス」は新しいことでなく、〈日本人が当たり前に知っていた感覚〉であり、〈「本来の自分を取り戻す」ということ〉であると。そのためにはまず、〈自分の心身を解放すること〉が先決であると著者は力説する。

そのための方法や実践的アイディアが満載の本である。

例えば、世の中には〈こうすべきと考える人〉がいる。それはまじめな考えなので否定はしないが、問題はそれが〈自分にとどまらず、次第に他人にも同じように強いるように〉なることだという。

そこが厄介である。なぜなら〈人は皆、違う価値観で生きています〉というわけである。

頑張る人は尊敬されるが、えてしてそういう人は〈「頑張りすぎる人」化〉すると著者は指摘する。それは〈良い意味での「いいかげんさ」が不足している〉のだろうと推測する。

そこで、著者は〈頑張りすぎて、自分のからだを、周りの誰かを、苦しめていませんか。〉と問いかけるのである。

日常生活で「残心」(ざんしん)を生かしたらどうかと著者は勧める。

弓道、剣道、柔道、伝統芸能などで使われる言葉で、〈それを終えた後、力をゆるめる、あるいはくつろぎながらも、まだしっかりと注意を払っている状態〉を意味するという。

日常でこれを実践する例として、〈ドアや襖は、静かに、最後まで締める。湯飲み、コップ、食器は、静かに置く。静かに歩く。無用な音を立てない。〉を挙げて、こうした〈「美しい所作」は心とからだにいい〉と説く。

また、〈食べ物を箸でちゃんとつまめるか、外出の際に階段を踏み外さないか〉といった動作への注意も大事だという。前者は脳機能、握力、視力がしっかり機能している証拠であり、後者は脳機能、脚力(腰、太もも、膝、ふくらはぎ、足首、足指など下肢全体の総合力)、視力がしっかり機能している証拠であると指摘する。

〈常に緊張する必要はないのですが、自分に注意を払う〉ことが大切であると、著者は述べる。

このように、著者はやさしい言葉で日常生活ですぐに応用できる数々のアドバイスを紹介する。それが舶来の「マインドフルネス」と本質的に同じ神道的中今の精神であることを知ることができる。

繰返し読んで座右の書とするに値する本だ。

#書評 #矢作直樹 #中今

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