見出し画像

[書評] 花宴

紫式部「花宴」(11世紀)

物のあはれと 朧月夜

源氏物語の第8帖「花宴」を読む。源氏は桜の宴で漢詩を作り、「春の鴬囀るといふ舞」を披露する。宴が終り、月の美しい晩に誘われ、酔心地の源氏は、藤壺周辺を訪ねるが戸が閉まっている。弘徽殿の渡り廊下で、ふと「朧月夜」の古歌を口ずさむ美しい声を耳にする。

歌っていた女性が源氏の近くへやって来たので、とっさに袖を捉えると、「 あな、むくつけ。こは、誰そ」(あら、嫌ですわ。これは、どなたですか[渋谷栄一訳])と言う。

そこで源氏は次の歌を詠む。

深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろけならぬ契りとぞ思ふ
(趣深い春の夜更けの情趣をご存知でいられるのも前世からの浅からぬ御縁があったものと存じます[渋谷訳])

朧月夜(この女性[実は弘徽殿の女御の妹])は、人を呼ぼうとするが、源氏に人を呼んでも何ということはない、じっとしていなさいと言われ、その声が源氏の君であることを覚る。その時、女性は心の中で「情けなくこはごはしうは見えじ、と思へり」(物のあわれを知らない強情な女とは見られまい、と思っている[渋谷訳])というようすである。

興味深いことに、この源氏の歌および朧月夜の反応の両方に「(物の)あはれ」(対象に触れて感ずるしみじみとした情趣)が出てくる。源氏は月夜の情趣を解する女性との前生の縁をうたい、朧月夜は情趣を解さぬ女とは見られたくないと思うのである。

以下、物のあはれについての本居宣長の考え、伊勢物語69段との関連、英訳を少し見てみたい。

本居宣長の物のあはれ論は、『紫文要領』(1763)、『石上私淑言』(1763)などを経て『源氏物語玉の小櫛』(1796)まで5つの著書で展開される。ここでは『源氏物語玉の小櫛』でのそれを見る。

宣長の文章は現代の日本人でも、次の通りほぼそのまま読める。

さて、物語はもののあはれを知るを旨とはしたるに、その筋にいたりては、儒仏の教へには背けることも多きぞかし。そは、まづ人の情(こころ)のものに感ずることには、善悪邪正さまざまある中に、理(ことわり)にたがへることには感ずまじきわざなれども、情は我ながらわが心にもまかせぬことありて、おのづから忍び難きふしありて、感ずることあるものなり。源氏の君の上にて言はば、空蝉の君、朧月夜の君、藤壺の中宮などに心をかけてあひ給へるは、儒仏などの道にて言はんには、よに上もなき[決してこの上ない]、いみじき不義悪行なれば、ほかにいかばかりのよきことあらんにても、[源氏の君は]よき人とは言ひ難かるべきに、その不義悪行なるよしをば、さしもたてては[取り立てては]言はずして、ただその間のもののあはれの深き方をかへすがへす書きのべて、源氏の君をば旨とよき人の本(ほん)として、よきことの限りをこの君の上に取り集めたる、これ物語の大旨にして、そのよきあしきは儒仏などの書(ふみ)の善悪と変はりあるけぢめなり。さりとて、かの類ひの不義をよしとするにはあらず。そのあしきことは今さら言はでもしるく[明白であり]、さる類ひの罪を論ずることは、おのづからその方の書どもの世にここらあれば、もの遠き物語をまつべきにあらず。物語は、儒仏などのしたたかなる道のやうに、迷ひをはなれて悟りに入るべき法(のり)にもあらず、また国をも家をも身をも治むべき教へにもあらず。ただ世の中の物語なるがゆゑに、さる筋の善悪の論はしばらくさしおきて、さしもかかはらず、ただもののあはれを知れる方のよきを、とりたててよしとはしたるなり。この心ばへをものにたとへて言はば、蓮(はちす)植ゑて愛でんとする人の、濁りてきたなくはあれども、泥水(ひぢみづ)を蓄ふるがごとし。物語に不義なる恋を書けるも、その濁れる泥(ひぢ)を愛でてにはあらず、もののあはれの花を咲かせん料(しろ)[材料]ぞかし。

林望氏はこの『玉の小櫛』の一節を引いて、物のあはれの物とは魂のことであり、物のあはれとは〈魂がしめつけられるような感動をすること〉であると語る(〈『源氏物語の楽しみ方』を著者の林望さんと楽しむ〉、ライブ配信、2021年4月28日)。

物を魂というのは、踏みこんだ発言だが、物のあはれとは確かにそのような面がある。

伊勢物語69段「狩の使」は昔男が伊勢斎宮と逢う夜の話である。

月のおぼろなるに、小さき童を先に立てて人立てり。男いと嬉しくて、わが寝る所に率ていりて、子一つより丑三つまであるに、まだなにごとも語らはぬに帰りにけり。
(月のおぼろな光の中に、小さな女童を先に立てて、女人が立っています。男はたいそう嬉しくて、自分の寝所に連れて入り、子一つから丑三つまで[午後11時から午前2時頃]一緒にいましたが、まだ満足に語り合わないうちに女は帰ってしまいました。[坂口由美子訳])

別れ際に斎宮は杯の台皿に歌の上の句を書いて出す。男はその杯の台皿に松明の燃え残りの炭で下の句を書き足す。歌は次の通りである。

かち人の渡れど濡れぬえにしあれば
また逢坂の関は超えなむ

(徒歩の人が渡っても濡れない浅い入り江ですから、私たちのご縁もほんとうに浅いので……(しかたのないことです、あきらめましょう)、
私はまた逢坂の関を超えて参りましょう。そしてきっとまたお逢いしましょう。[坂口訳])

〈古典の改め〉サイトは、源氏物語第8帖「花宴」における扇の交換が、この伊勢物語69段「狩の使」の杯に対応すると指摘する。興味深い見解だ。

源氏の歌(深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろけならぬ契りとぞ思ふ)の英訳を古い方から4つ見てみる。「あはれ」に相当する部分を太字にする(明示していないサイデンスティカをのぞく)。

まず、ウェイリ(Arthur Waley)。

That both of us were not content to miss the beauty of this departing night is proof more clear than the half-clouded moon that we were meant to meet.

次にサイデンスティカ(Edward Seidensticker)。

Late in the night we enjoy a misty moon. There is nothing misty about the bond between us.

タイラ(Royall Tyler)の訳。

That you know so well the beauty of the deep night leads me to assume
you have with the setting moon nothing like a casual bond!

最後に、ウォシュバーン(Dennis Washburn)。

That you admire the beauty of a setting moon
Obscured by misty clouds in the depths of the night Intimates that our bond is not at all obscure.

今回は英訳を見てもほとんど収穫がない。ウェイリを継承して the beauty と言ってみたところで、物のあはれに近づくとも思えない。

#書評 #源氏物語 #花の宴

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?