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[書評] 世界一美しい日本のことば

矢作直樹『世界一美しい日本のことば』(イースト・プレス、2015)

不安や後悔は「幻」であること

日本人が知っておきたい47のことばを収録した本。ばらばらな内容でなく、著者の思想が一貫して流れ、読み進めるうちに個々の言葉を有機的につなぐ、ある考えがあることが感じられてくる。

例えば、次のようなことばが取上げられる。

◎おかげさま 人間関係をなめらかにする極意
◎水に流す 「しつこい怒り」を手放すシンプルな法
◎無常 この世のすべては移ろいゆく
◎住めば都 「執着」を手放すと人生はラクになる
◎因果 「結果」には必ず「原因」がある
◎笑う門には福きたる あなたの表情、固まっていませんか?
◎みたま 私たちに宿る永遠の存在
◎ふるさと 大事にしたい心のよりどころ

このようなことばのリストをみると日本語の名言集・名句集の趣きかとみえそうだが、実際には、漢字についての珍しい由来を含め、ネットにころがっているようなありきたりの考えとは遠く離れた、貴重でかけがえのない思索が積み重ねられる。

上にあることばでも、本書を読めばありきたりでない、本質的な角度から捉えることができ、外国人と日本の思想を議論するような場合にも参考になるかもしれない。

以下、そういうことばの例を少し挙げてみたい。括弧内にことばの番号(1-47)をそえる。

「距離をとる」(4)——著者は〈このことばを「愛の基本」〉と考える。どんな間柄でも〈距離が近すぎればトラブルのもと〉になる。〈感情はエネルギーですから、距離が近くなればなるほど、ぶつかったときの衝撃が大きくなる〉という。〈距離をとるというのは、エネルギーのバランスを保つこと〉と言えると。〈自分は自分、相手は相手。おたがいのバランスがとれるところまで、適度な距離をとることが必要ではないでしょうか。それが相手に対する「愛」だと思います〉と著者は述べる。

「必然」(7)——著者は〈「人生に偶然はない」「起こることはすべて必然である」〉と確信する。「偶さか」(たまさか)は「滅多にないこと」の意味で、『源氏物語』や『竹取物語』にも登場する〈長い歴史を持つことば〉であるという。〈私たちは、いま自分が置かれている環境に対して、どこか「偶然に組みこまれている」という意識を持っています。そうではありません。「すべてはつながっている」という事実を思い出してください。〉と著者は言う。

「言わぬが花」(13)——著者は東大病院の救急部に着任したときに、よそ者として敵意を持つ相手に囲まれたが、けんかをせず、余計なことを言わないことを心に決めた。余計なことを言わないために著者がとった方法は「ばかになる」ことだったという。〈自分に対して明らかに敵意を持っている相手には、積極的にばかになる。ばかになって、「ああ、そうですか」と受け流す。ちょっと抜けているくらいがよい〉と。紫式部が彰子のサロンに入ったときに敵意の壁に囲まれ、とった方法がやはり「ばかになる」ことだったのを想起する。

「中今」(18)——古神道で〈「いまこの瞬間こそ真実であり、過去も未来も実体がない」という意味〉のことば。〈流れる時間の中心点はいまであるという発想であり、過去や未来は、現在の中にすべて「織りこまれた状態」〉というわけだ。ここで中という象形文字について興味深いことを著者は述べる。〈今は会意文字とされていますが、もともとは「(人の下に横一本)」(しゅう)(集まるという意味)から派生した文字〉との説を紹介するのだ。〈この二つの文字が合体することで、時間の中心が表現されている〉と著者は考える。ちなみに、中の字を手許の複数の漢字辞典で引いてみたが、この説も元の字も出ていなかった。珍しい見解に属するのかもしれない。

ともあれ、〈いまこの瞬間を生きる〉ということから、〈あんなことしなければよかったと後悔する過去も、これからどうなるんだろうと不安に思う未来も、すべて幻にすぎない〉という思想に至る。要は〈不安や後悔は「幻」であること〉に気づけという考え方だ。サイババの瞑想にも通じる気がする。あるいはトルストイの〈過去も未来も存在しない、あるのは現在という瞬間だけ〉ということばにも。

「無明を知る」(23)——〈無明の知とは、「自分が知らないという事実を知っている」こと〉と著者は言う。ソクラテスの〈無知の知〉に通じる。釈迦は〈そこに闇があるのではない、光がないのだ〉と説いたが、その〈「光」とは、無知を自覚し、知恵を得ようとする純粋な心のこと〉だと著者は指摘する。親鸞の『教行信証』における〈無碍の光明は、無明の闇を破する恵日なり〉(〈一切妨げられることのない光は、煩悩という闇を打ち破る太陽のような知恵である、という意味〉)のことばを想起する。

〈私たちがこの世に生まれてくる最大の目的〉である〈学び〉について、著者は〈すべての学びは「気づき」から生まれます〉と断言する。自分が〈知らない〉と気づいて初めて知ろうとする努力が生れる。神の助けの手は、自ら気づかない者には差出されない。

ほかにも多くの示唆に富むことばが満載だが、最後にひとつ。

「不滅」(27)——釈迦は〈無常の中に不滅がある〉と説いた。仏教ではこれを〈常に移り変わっていること、同じことが一つとしてないことは、すなわち滅することがないと解釈〉するという。

著者には『人は死なない』という著書があるが、魂はどこまでも続いていくという本質的な意味において人は死なないとの主張である。日本のみならず世界中で〈魂は続くということを思い出す時期にきている〉と著者は述べるのである。

#書評 #矢作直樹

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