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cadence

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オバマ米大統領の広島でのスピーチ(2016年5月27日)を米ニューヨーク・タイムズは次のように報じたが、その際に、大統領の「口調」(cadence)が特別なものであったことを指摘している。そのことについて、詩的言語を分析する立場から述べてみたい。

cadence は NHK が「口調」と訳すが、韻律論の立場からいえば、「ことばの韻律」「ことばの調子、抑揚、リズム」と言ったほうがいい。

"At Hiroshima Memorial, Obama Says Nuclear Arms Require ‘Moral Revolution’" by Gardiner Harris. New York Times (May 27, 2016).

In his speech, Mr. Obama, using the slow and deliberate cadence that he uses on only the most formal and consequential occasions, said that the bombing of Hiroshima demonstrated that “mankind possessed the means to destroy itself.”

「キャッチ! UP」ではこう紹介した(NHK BS1, 2016年5月28日)。

ニューヨーク・タイムズ紙
『人類が自らを破壊する手段 手にした』述べた際の慎重な言い回し→最も重大な発言の時だけの口調

英詩のリズムを考える人間にはこの 'cadence' (「口調」とNHKが訳した)の問題は重要だ。

Oxford Dictionary of Literary Terms による説明。

cadence
The rising and falling rhythm of speech, especially that of the balanced phrases in free verse or in prose, as distinct from the stricter rhythms of verse metre. Also the fall or rise in pitch at the end of a phrase or sentence.

この説明は「抑揚」に焦点を当てる。詩における rising / falling rhythm の問題をとらえるときには強勢の配置の問題が重要だ。詩脚が弱強調なら rising rhythm, 強弱調なら falling rhythm とみなす。それでいくと、

possessed the means to destroy itself

は rising rhythm だ(iambic-anapaestic metre)。

※ iambic は弱強格の、anapaestic は弱弱強格の格調。

上記の NY Times のリンクに Obama 米大統領のスピーチの映像があり、その箇所を聞くことができる。それを聞いた上で cadence を少し分析する。

mankind || possessed | the means | to destroy itself

言葉の間のポーズが mankind の後が長く、possessed と means の後が少しある(長い方のポーズを || で、短い方を | で表した。語境界の記号を使うと、本システムでは hashtag 化してしまうので避けた)。

この部分を含むのはスピーチの最初のところだ。NY Times が記録したテクストから引用する。

Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated thatmankind possessed the means to destroy itself.

この散文を上記のような cadence で発音するのは、確かにただならぬ感じを与える。NT Times が 'only the most formal and consequential occasions' に使う cadence と表現するのは誇張ではないだろう。

mankind の後の異様に長いポーズは「人類」という語を聴き手に強く印象づける。possessed の後のポーズで「人類が所有した」ことが強調される。何を? the means の後のポーズで「人類が手段を所有した」ことが強調され、聴き手が次を聞くまえの緊張感はクライマクスに達する。そして、to destroy itself 「自らを破壊するという」を聴くや、深い絶望の淵に落とされる。

「人類が自らを破壊するという手段を所有した」と。こんな言葉は、だれが言っても軽々しく言える言葉ではない。ましてや大統領が発言するなら、一語一語に最大限の重みをのせて発音するのは当然すぎるほど当然だ。

詩的言語として分析すると、mankind - means の頭韻(人類が手段を)、possessed - itself の母音韻が強烈にひびく。さらに、気づきにくいが、destroyed - itself (自らを破壊)の頭韻は、不吉と感じられるほどの重いひびきだ。

※ 頭韻/母音韻は強勢のある音節の頭の子音/母音同士が一致する韻。

以上のように考えると、米大統領が、まるで一語一語切るように発音したのは、重大な真実を伝えるための必然であった。公式の重大事項の声明にふさわしい。

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