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[書評] わたしはわたしで

東山彰良『わたしはわたしで』(書肆侃侃房、2023)

にじむ人間像の織成すドラマ

東山彰良が2016年から2023年にかけて書いた六短篇をまとめた書。

東山が直木賞をとった『流』(2015年)の登場人物、暁(シャオ)叔父さんの後日談である 'I Love You Debby'(2016年1月10日、講談社「現代ビジネス」で発表)を含む。

'I Love You Debby' が巻頭の短篇で、'REASON TO BELIEVE' が巻末の短篇である。

この構成をみると、音楽が作者の創作に関るところがあるように思えてくる。最初に本を手に取ったときに、同じようなことを感じた。

本書表紙の装画(渡邊涼太による)では人物が立っている。赤っぽいシャツを身に着けていること以外はほとんどなにもわからない。表情もわからない。

装画の左上から右下にかけて像をぼかす線が入る。この画像は、Bill Evans の 'Waltz for Debby' の official visualizer のそれを思わせる。この斜線が、まるで 'Waltz for Debby' のレコード溝へのアンサーソングのようにひびく。

つまり、人生をレコード盤に喩えるなら、それを生きる人はレコード溝のようにやや揺れながら廻りつづけ、決して一点にとどまって像をむすぶことがないのだ。音楽家の頭の中に像はあるにしても、外から眺める者の目に映るのは、レコード盤の溝のみなのだ。

本書の短篇を読むと、どの登場人物をとっても、像が揺らいでいる。とらえがたい。

巻末短篇の題はボブ・ディランと同じ年に生れた Tim Hardin が24歳のときに録音した歌 'Reason to Believe' から採られている。

同歌の冒頭がこの短篇に引用される。

If I listened long enough to you
I'd find a way to believe that it's all true

かりに作者がこの2行の形を念頭においたとすれば、you / true が二行連句をなす。このことは歌が進むにつれて大きな意味を持ってくる。言うまでもないが、定型詩における押韻はことばの意味を強調し深めるはたらきをする。

「わたし」は「あなた」に真実をみたいのだ。だが、歌の続く箇所で「あなた」は〈真顔で嘘をつく〉(本書248頁)存在であることがわかる('you lied straight-faced')。

そんな「あなた」とつきあう「わたし」はどうすればよいのか。歌のブリッジ部分で  'Someone like you makes it hard to live'(あなたのようなひとは生きることをむずかしくさせる)と唄われるのは、「わたし」のいつわらざる実感だろう。

「あなた」の像が嘘で覆われさだまらぬ以上「わたし」の像もさだまらぬ。しかし、その像を求める葛藤そのものがうみだしたような作品ばかりが本書には収められている。

発表された時期の時事問題を反映した作品も少なくないが、それらよりも、ある程度普遍性をそなえた作品のほうが長く読みつがれるだろうという気がする。

例えば、「ドン・ロドリゴと首なしお化け」。これは米国の 'The Legend of Sleepy Hollow' のようなお話(Washington Irving の1820年の作品)の言わばメキシコ版といえる。その「首なしお化け」が最後に男の〈頭上の雲霞〉によじのぼり姿を消す際の幻想性は、著者ならではの筆力がかもしだすもので、畢生の傑作『ブラックライダー』(2014年)を想起させる。

#書評 #東山彰良

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