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首相官邸の怪

 元サラリーマン改め、その政治家の秘書は、世間からの冷たい目に晒されていた。
 別にこの政治家の秘書が、何か悪い事をした訳でもない。だがこんな状況で、自分が地盤を引き継いで、議員になるなんて不可能事に思えた。とにかく世間からの圧が凄かった。
 今、自らが仕えている国会議員の支援者を回っているが、全く相手にされないか、クレームの嵐だった。地域の支援者に会えば、必ずどちらかの反応だった。文句を言われるだけましだったかも知れない。曰く、議員は一体何をやっている?本当に活動しているのか?だ。
 それはこの国会議員が、というよりは、今の議員たち全体に対しての不満だった。
 日本は今、来年度の国の予算がどうなるのかで揉めていた。というのは、国会議事堂が物理的に破壊されてから、オンライン国会を開いているのだが、毎回ダウンしてお話にならない状態が続いていた。サイバー攻撃が疑われていたが、犯人は未だ特定できていない。
 全世界的にインターネットが繋がり難くなり、日本もその影響を受けていると言われた。お陰でラジオがやや復権してきたが、テレビは地デジ化した影響で、同じくやられていた。
 現在、地球上に約80億の人間がいて、その80%がスマホを持ち、約64億が繋がらないネットに苛立っていた。PCやタブレットも入れれば、端末総数は地球人口を上回るだろう。だがそれが役に立たないとまではいかないにしても、接続が限定的になり、社会が分断された。
 ネットが全世界的に繋がり難くなった理由として、「流星雨の夜」の話が、まことしやかに出回っていた。アメリカの通信用低軌道衛星が墜ちたと噂されていた。GPSは死んだ。
 日本もこの渦中で、難局に立たされていた。不安と不満が広がっていた。
 始まりは、国会議事堂に対する潜水艦発射のミサイル攻撃だったが、全世界的なネット不安定化と相まって、想像以上の効果を上げていた。内閣総理大臣以下、政府閣僚が東京地下に隠れ、天皇は京都の御所に里帰りし、皇居は空になった。そして東京の中心が空洞化した。代わりに東京都知事が台頭した。警察を指揮して、首都東京の治安維持に乗り出す。
 いずれにしても、これまでに見られない現象が多発した。空転するオンライン国会、成立しない予算案、雲隠れする政府、政府の業務を代行する地方自治体、マスコミにやたらと露出する知事たち。潜水艦発射のミサイル攻撃の件は、政府からの説明がなく、不明のままだった。
 一方、アメリカ合衆国も、連邦政府が一年間の休業を余儀なくされていた。
 これまでも、連邦図書館が数か月お休みという事はあった。だが連邦政府全体が休業という事は前代未聞だった。当然、合衆国は大混乱に陥った。だが原因は赤字財政だった。
 お金のばら撒きをやり過ぎて、とうとう政府の予算が成り立たなくなってしまったのだ。
 歴代の大統領が、パンとサーカスよろしく、ずっと人気取り政策に走った結果だった。
 ホワイトハウスのオーバルオフィスは空席になった。大統領がどこかに行ってしまった。継承順位17位の退役軍人長官が、大統領代行を務めている。継承順位18位の国土安全保障長官が副大統領代行だった。彼らに報酬が払われているのかは定かではない。
 問題は、一体誰が政府の仕事をするのかだった。
 ただで働く人はいなかったので、多くの連邦職員が職場を離れ、政府の公共サービスが止まっていた。代わりに州政府とITジャイアントが、国の公共サービスを高額で請け負った。
 不思議な事に、アメリカ海軍だけが、まるで何事もなかったかのように、悠然と洋上に浮かんでいた。お金が一体どこから出ているのか不明だった。陸軍、空軍、海兵隊は、州軍に吸収された。あまり注目を浴びていない宇宙軍だけ海軍に吸収された。沿岸警備隊は残った。
 連邦政府が休業になった結果、西海岸ではカルフォルニア州が、突出して力を持つ結果になった。元々経済規模が大きく、イギリス、フランスを抜いている。ドイツに匹敵した。東海岸では、ニューヨーク州が引っ張っていた。南部ではテキサス州が存在感を放っていた。
 日本もこの状況に近づいていると言われた。EUは欧州大戦に掛かり切りで、それどころではなかった。もう誰が誰に対して、責任を持っているのか、分からない状態だった。政府があてにならないという状況を、日本人も長らく経験した事がなかったので、かなり混乱した。
 幕末、江戸幕府と明治政府が内戦していた時以来だった。当時、西から官軍がやって来ると、江戸っ子は徳川を呼び捨てにするようになった。今の東京都民の気持ちはそれに近い。
 東京では、都知事が絶対権力を持っているかのように振る舞っていた。警察権力を掌握しているからだ。そこには所謂「特警」問題も絡んでいた。デジタル化を推進する元デジタル庁改め偵察総局も動いていた。東京は、かなり異なる風景を見せるようになっていた。
 それにしても、内閣総理大臣の雲隠れは、正直言って迷惑だった。国会議事堂は確かにミサイル攻撃で破壊されたが、首相官邸は無事だった。だが市ヶ谷の駐屯地がミサイル攻撃を受けて、迎撃に失敗して、大きな被害を受けていた。どうやらこれが影響しているらしい。
 政府閣僚、国会議員がミサイル攻撃を恐れて、東京地下に隠れる中、都知事だけが、堂々と都庁に出勤して職務を遂行していた。毎日、派手な記者会見をして、存在をアピールする。
 世間は都知事を拍手喝采していたが、その政治家の秘書は何かおかしいと感じていた。なぜミサイル攻撃を恐れていないのか不思議だった。会見の様子を見ていると、単に勇気があるというのとは違うと感じた。どちらかと言うと、何か知っているという風に見えた。
 がら空きになった首相官邸もおかしな噂が流れていた。管理上、無人という訳にも行かず、少数の警備の者がいる筈だが、幽霊騒ぎが起きたのだ。首相官邸は昔から、二二六事件の亡霊が出ると言われていた。決起した青年将校たちの亡霊だ。だがこの幽霊騒ぎは妙だった。
 佐藤と名乗る旧軍の大佐が現れて、警備の者と戦闘になったらしい。拳銃も発砲したし、負傷者も出たと聞いている。やけに具体的だった。だからこれは幽霊ではなく、生きた者の仕業ではないかと疑った。だが非科学的な現象を起こし、警備の者たちを打ち倒したらしい。
 これは世間のマスコミも掴んでいない情報だった。国会議員近辺で流れる噂の一つだった。議員の秘書になってから、世の中の見方がかなり変わった。異様な情報が流れて来る。それは国内海外を問わない。ちょっと耳を疑うような話ばかりだ。国会議員とはこういうものかと思ったりもした。それだけ、国の中枢に近づいたという事だろう。そしてこの国にはよく分からない魑魅魍魎が蠢いていると感じた。特にあの偵察総局と特警は要注意だ。敵だと思っている。
 その政治家の秘書は、地域で議員を支援する活動と別に、個人的な調査活動を行っていた。サラリーマン時代の習慣かも知れないが、気になる業界情報は、関係者から直接ヒアリングするか、現地に入って見聞するのだ。あるIT企業が上場するまでの道のりを調べた事もある。
 今回は、首相官邸の怪を追い掛けていた。無論、正面切って入れる訳でもないので、現地潜入捜査となる。夜、外に立っていた警備の者の目を搔い潜って、敷地に侵入した。
 深夜の首相官邸は無人だった。内部に少数の警備の者がいる筈だが、人の気配が全くしない。幽霊屋敷だ。国会議事堂ミサイル攻撃事件、幽霊騒ぎと事件が続いているからかも知れない。
 さて、どうやって建物の中に入ろうかと考えていたが、ふと正面玄関の扉が僅かに開いている事に気が付いた。不用心だ。空き巣に入られる。無論、罠の可能性もあった。
 だがその政治家の秘書は、自分は大丈夫だという確信があったので、堂々と正面玄関から入る事にした。虎穴に入らずんば虎子を得ずだ。大ホールを歩く。奥に誰か立っていた。
 「……佐藤大佐か?」
 「いかにも。やはり来たな。悪業の男よ」
 その影は旧帝国陸軍の将校の姿をしていた。暗闇の中、朧だが、幽霊騒ぎの張本人だろう。
 「お前は何者だ?何をしている?まさか『帝〇物語』でも気取っているのか?」
 だが次の瞬間、佐藤大佐は真横に立っていた。軍刀を滑らせる。抜刀術か。
 「……来来、我的朋友」
 その政治家の秘書が呟くと、軍刀と木の杖が交わった。火花が散る。
 「全く、便利に使いおる。わしは何とか戦争のサーヴァントじゃないぞ」
 仙人だった。佐藤大佐はすぐに下がる。
 「もうそんな力を付けていたのか……」
 佐藤大佐の声が聞こえた。暗闇に隠れてか、ふいに姿が見えなくなった。鬼火が発光した。
 人間のようだったが、確かに非科学的な現象を起こしている。あるいはトリックか?
 「君子危うきに近づかずじゃ。何でこんな危険を冒した?」
 仙人は文句を言った。油断なく周囲を警戒している。鬼火が増えていた。いや、人魂か。
 「いつぞやの一万円を返そうと思ってな」
 その政治家の秘書は、懐から聖徳太子の一万円札を出した。牛丼屋の一件以来となる。
 「そいつは持っておけ。今はこいつを何とかせねば……」
 人魂が襲い掛かってきた。人の顔が見える。B級映画のホラーシーンのようだ。だが仙人が全て、攻撃を逸らし、亡霊たちはあらぬ方向に走って行った。帝国陸軍の軍服を着ている。
 「……あれは正真正銘の幽霊のようだが、あの男は何者だ?」
 その政治家の秘書は仙人に尋ねた。人魂を召喚して、使役しているように見える。
 「生きた人間じゃが、普通ではない。多少仙術に覚えがあるようじゃが……陰陽道か?」
 佐藤大佐が不意に正面に現れた。相変わらず神出鬼没だ。
 「目的を伝えよう。今ここでお前を討つ事だ。悪業の男よ」
 「ここで戦おうと言うのか?」
 政治家の秘書がそう尋ねると、仙人が苦しそうに言った。
 「……ここで戦うのは不利じゃ。あまりにこの場所は穢れておる」
 逆に佐藤大佐にとっては、ホームのような環境なのだろう。悪霊憑きの霊能者か。
 「俺が騙されて、人の罠に落ちるのはいつもの事だが、罠は食い破ってこそだ」
 「……何か偉そうな事を言っておるが、働くのはもしかしなくてもわしか?」
 仙人は嘆息した。不意に複数の靴音が大ホールに響いた。拳銃を構える音がした。
 警官たちが拳銃を発砲して来た。だが動きがおかしい。でたらめに飛び跳ねている。
 何だ?キョンシーの類か?頭にお札でも張ってあるのか?ちょっとキモい。
 「俺は人が操れる。」
 佐藤大佐がそう言うと、仙人が言った。
 「こやつ、死霊魔術師の類か」
 「違う。ブゥドー教だ。西アフリカで修行した。これは生きたゾンビだ」
 佐藤大佐は再び軍刀を構えた。帝国陸軍の怨霊たちが再び集う。
 「お前は偵察総局の者か?」
 その政治家の秘書は尋ねた。だが次の瞬間、佐藤大佐の目が怪しく光り、何かが乗り移った。
 「いかん!」
 仙人が政治家の秘書を突き飛ばした。間一髪で逃れる。木の杖で牽制する。
 「もう持たん。先に逃げてくれ」
 どうやら仙人を酷使し過ぎたようだった。実体が薄れている。
 「……俺を悪業の者と言ったが、それはどういう意味だ?」
 最後に政治家の秘書は、その場を離れる前に尋ねた。
 「そのままの意味だ。何だ?思い出せていないのか?」
 佐藤大佐は不敵な笑みを浮かべて言った。
 「何の事かさっぱり分からん。悪業なら覚えがあり過ぎてな」
 「……やはりお前は思い出せていない」
 政治家の秘書は、これ以上の会話は無意味と考えて、背を向けた。だが佐藤大佐は叫んだ。
 「お前こそ、日本の敵だ!必ず斃してやる!」
 
          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード37

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