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シン・防衛構想、八咫鏡・天叢雲剣・八尺瓊勾玉

 病院のベッドの上で、その内閣総理大臣は、シン・日本国憲法準備委員会が上げてきた草案を読んでいた。議員一年生が肝入りで進めてきたが、進捗は芳しくなかった。聖徳太子の17条の憲法を基に、新たに草案を作るように指示したが、結果は無残だった。
 付帯条項が特盛で、内容的に現行の日本国憲法と変わらない内容となっている。役人たち、憲法学者たちの力作だ。よくもここまで、変えたものだと思う。芸術的でさえある。もうどうしても変えたくないという思いが滲み出ている。そんな草案だった。
 ただ一つだけ、付帯条項が付いていない条文があった。第一条だ。和を以て貴しとなすだ。ここだけは、誰も何も手をつけていない。そのままだ。準備委員会も、ここだけは変える必要はないと思ったのだろうか。これはこれで妙に響いた。ちょっと不思議だった。
 やはり、聖徳太子は日本人に浸透している。考えとして、第一条は承認されている。
 ――だがこれは全体として無理だな。人々の心に、日本国憲法が焼き付いている。
 内容を変えようとしても、付帯条項で全部縛って、役人たち、憲法学者たちが、やりたい方に持って行ってしまうのである。所謂、専門家の意見という奴だ。この際だから、専門家は全員クビにして、ド素人を集めて、議論した方がいいのかも知れない。
 そもそも日本国憲法だって、GHQの指示で、素人集団が短時間で作り上げたものだ。なぜか草案にH・G・ウェルズ(注94)のドキュメントが選ばれている。そのため妙に空想的な内容になっている。発想の系列も、カントの『永遠平和のために』に近い。
 それはともかく、専門家は何人集まっても、同じような意見しか言わない。これでは現状何も変わらない。また役人と妙に親和性が高いのも、専門家の特徴だ。有害ではないか?準備委員会そのものが間違っているのだろう。総理大臣は解散を命じた。白紙だ。
 次に総理大臣は、とあるアンケートを読んだ。核武装に関する国民の意識調査だ。予想通りというか、反対意見が多数だった。一つ間違えば、沖縄や東京に水爆が落ちていたかもしれないのに、それでも反対意見が多数だった。賛成意見は微増だった。
 ――これも無理だな。人々の心に、非核三原則が焼き付いている。
 唯一の被爆国として、非核三原則だけは、譲れない一線であるという気迫のようなものが伝わって来る。左翼だ。最近、世界各地に核が落ちて、意識が変わったかと思ったが、そうでもなかった。むしろ、反対運動が盛り上り、日本中の地方都市が平和都市宣言した。
 宣言さえすれば、核が落ちて来ないと本気で思っているのか、知らないが、それでも日本知事会を中心に、日本の地方都市は軒並み、平和都市宣言を出している。
 総理大臣は嘆息した。実は、議員一年生も、日本の核武装には反対だった。
 その理由は、些か変わっている。日本は、歴史的に見て、核と相性が良くない。最初に原爆を都市に投下されただけでなく、最初の水爆実験でもなぜか日本の漁船が被爆している。そして近年は、地震を原因とした大規模な原発事故まで起こしている。
 これはもう核に祟られていないか?どうして日本ばかり核に狙われる?
 だが純軍事的に言って、合衆国の核の傘ぬきに、核を非武装で通すのは、自殺行為だった。だからどうしても核がいるという議論は理解できた。確かに核は必要だろう。だが議員一年生としても、理性が核武装OKでも、違う処がNOと言っていた。だから考えた。
 ――やはり、何年掛かっても、この計画で行くしかないか。
 総理大臣は、病院のベッドの上で、シン・防衛構想の草案を見た。秘策だ。
 「お食事をお持ちしました」
 若い女性の看護師が、銀の台車で食事を配膳した。白いご飯と佃煮だ。
 「……これは?」
 議員一年生は箸で、佃煮を挟んだ。長い後ろ肢がある。どう見てもバッタだ。
 「沢山取れましたので、今、院内で昆虫食に取り組んでいます」
 バッタの食べ過ぎで、腹を壊して、皆で入院したのに、この病院は何を考えている?
 「昆虫食は駆除祈祷行為・反省的苦行・食料不足を除いて、原則禁止とする」
 総理大臣は、そう指示を出した。こんなの非常時以外、食えたものではない。

 「今日は国民の皆さんに、大切な話があります。日本の防衛に関する話です」
 総理大臣は、職務に復帰すると、早々に国民向けの談話を発表した。テレビ局、オンライン、ラジオも含めた全オープンチャンネルだ。国民は一体何事かと眉を潜めた。
 「我が国は核武装をしません。その代わり、新しい防衛構想に取り組みます」
 議員一年生は、勝負に出た。この状況下では、アイディアで勝負するしかない。
 「それがこれです」
 画面に概念図を映した。よく弾道ミサイル防衛構想で見るような概念図だ。だが肝心のミサイルはどこにも描いていない。空に衛星と、地上にレーダーがあるだけだ。一見して、よく分からない図だった。これで一体何をしようとしているのか?
 「説明します。ちょっと動かしてみましょう」
 総理大臣がスタッフに合図を送ると、動画のように画面が動いた。
 空から複数の弾道ミサイルが降って来る。超極音速ミサイルだ。すると、地上の発電所とレーダー施設の間から、一条の光が天に向かって放たれた。空に浮かんでいた衛星が反射して、弾道ミサイルを一瞬で全滅させた。その後、あらゆる角度から繰り返された。
 「お分かり頂けましたでしょうか」
 強力なレーザーを地上から打ち上げて、ミラー衛星で反射して、弾道ミサイルを迎撃する。光の速さで迎撃するので、いかに超極音速ミサイルと言っても、勝負にならない。
 「これはあくまで防衛システムですが、軌道エレベーターとセットで考えています」
 概念図に、軌道エレベーターが追加された。細長いチューブのような塔が、宇宙に向かって伸びている。成層圏を突き抜けている。因みに、柱島と名付けてられている。
 「将来、ここに宇宙港を開いて、日本が地球圏に進出する足掛かりとします」
 シャトルが地球と月と火星を行き来するイメージが映されていた。視聴者は唖然とする。
 「残念ながら、我が国のロケット技術はかなり遅れていますが、これで挽回して行きましょう。ここから先は、先の防衛システムの話に戻ります。各名称を説明します」
 八咫鏡(やたのかがみ)はミラー衛星だ。八つある。高軌道に打ち上げる。天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は大口径レーザー発射装置だ。発電所と直結している。八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は発電所だ。場所は新潟の柏崎刈羽原発だ。
 「計画には10年を要すると試算しておりますが、急げばもっと早いかもしれません」
 総理大臣による国民に対するプレゼンは終わった。質疑応答に入る。
 「……総理、これは形を変えた核兵器ではないでしょうか?」
 週刊ユウヒの女性記者だ。相変わらず、嫌な処を突いて来る。
 「そう捉えても構いませんが、これは攻勢兵器ではありません」
 議員一年生は、嘘を吐いていたかもしれない。八咫鏡を全地球上に配置して、反射に反射を重ねれば、理論上、地球のどんな場所でもレーザー攻撃できる。究極の攻勢兵器にもなる。流石に、山とか海の中は死角になるが、それでも制空権においては無敵となる。
 「……原発でないと高出力レーザーの要求値を満たせないのでしょうか?」
 「別に火力発電所でも、要求値に達せれば、同じ効果は得られます」
 それは嘘ではないが、経済的ではないという問題がある。だがオミットした。
 「……新潟の柏崎刈羽原発を選んだのは、他意はないと?」
 週刊ユウヒの女性記者は、さらに斬り込んで来る。
 「場所は仮置きです。よりよい場所があれば、そちらにしましょう」
 実は世界最大の原発施設を動かさないと、電力が足りなかったりする。本当は、全部止まっている東日本の原発の再稼働に漕ぎ着けたいという狙いもある。この辺りは経済的な理由で、日本知事会が推し進めている政策とも合致する。協力できる筈だ。
 「……大陸がこれは過剰防衛だと言ってきた場合、どうお答えしますか?」
 それは想定している。何が何でも妨害を仕掛けて来るだろう。
 「それは攻勢兵器ではないという先の回答と同じです」
 「……技術的な困難はないのですか?」
 「原理自体は、虫眼鏡の熱線と同じです。それほど難しくない。大規模なだけだ」
 これもちょっと嘘だったかもしれない。原理が単純でも、規模が大きくなると制御が難しくなる。今回、発電所、レーダー、衛星、発射砲を同時にコントロールしないといけない。システム的に複雑で、複合統合制御でエンジニアたちの頭を悩ませる事だろう。
 「……軌道エレベーターは格好のテロの標的になりそうですが」
 「そのためのシン・防衛構想、八咫鏡(やたのかがみ)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)だ。これで柱島軌道エレベーターも守る」
 これはセットで運用する事を考えている。とにかく日本と地球圏を繋がないと、地球上の資源が干上がった時、真っ先に日本がやられてしまう。そのための脱出口だ。今のうちに確保しておかないと、将来日本人は全滅するかもしれない。生存戦略だ。
 「……一種の生存戦略と理解しますが、これをナチスの東方生存圏、大日本帝国の満洲国建設みたいに言われた時、どうしますか?」
 それは曲解だ。幾ら何でもそんな事は言ってこない。いや、大陸は言うか。
 「我々は滅亡する権利も有している。その時は一瞬で、美しく散りたい」
 内閣総理大臣がそう言うと、皆は首を傾げた。
 「……生存権を否定していらっしゃる?」
 違う。人は名誉を犯された時、自殺する事もある。それを言っている。だが選択肢として存在する事と、実際に選ぶ事は、かなり時間と距離がある。だがそういう道もある。
 「無論、滅亡しないという道もある。皆さんがどちらを選ぶにしても、私としては、皆さんに、選択肢を提示しなければならない。それが私の職務だ――他に質問は?」
 
 自分が最善と信じても、他の大多数が別の道を選べば、そちらに流れるのだ。これは民主主義の仕組み的として、そうなっている。だがこの国の国民は知らない。内閣総理大臣というものが、どれだけ権力を持ち、どれだけ独裁的にやれるのかを。
 内閣総理大臣は所謂、首相ではない。大統領でもない。謎の権力装置だ。誰も罷免できない。本人が限界だと思わない限り、続けられる。そもそも任期というものが定められていない。これは民主主義にとって恐るべき事だ。だが誰も不思議に思っていない。異常だ。
 議員一年生は、自分は悪い人だと広言している。だが悪人ではないと高言している。
だから内閣総理大臣という謎の権力装置を使って、行ける処まで、政治的限界性を引き出してみようかと考えていた。それが国際社会の敵、日本と言われても、あるいは、彼個人が、松岡洋右の再来、日本の敵と言われても、構わないと思っている。
 もしこの謎の権力装置を止める事ができるとしたら、本人の肉体を破壊するか、本人の心を折るしかないだろう。議員一年生は岐路に立っていた。
彼が、悪になるか、善になるか、それはまだ誰も分からなかった。

注94 Herbert George Wells(1866~1946年)『タイム・マシン』イングランド
 
         『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード115

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