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ハーメルンの笛吹き

 1284年6月、ドイツ北部の話である。
 水車の町ハーメルンは、鼠害(そがい)に悩まされていた。
 町に大量のネズミが発生して、穀物を喰い荒らすのである。
 クマネズミという黒いネズミで、登攀性が極めて高い。
 このネズミは高い処も、低い処も、自由に動き回る。
 1346年、人類を激減させた黒い死の源とも言われている。
 ハーメルンの人々は、ほとほと困り果てていた。
 そこにネズミ捕りを名乗る男が現われた。
 現代でも西欧には、ネズミ捕りの名人はいる。
 別に珍しくはなかった。だがこの男は変わっていた。
 まだら模様の服を着ていた。赤、黄、緑だ。
 そして笛を吹きならす奇妙な男であった。まだら男と呼ばれた。
 だがこの時代、このような服を着る事は異例だった。
 身分によって、服の色は定められている。
 例えば、一般人は、灰色に近い色の服を着ている。
 ユダヤ人は黄色の服を着ている。基本的に一色だ。
 このような複数の色の服は、貴族でないと着る事が出来ない。
 正体不明の男だったが、身分が高い可能性があった。
 だが町の顔役は、そうは思わず、まだら男と接触した。
 「………ネズミ退治を依頼したい」
 「分かった。幾らだ?」
 「……20シリングだ」
 「いいだろう。請け負った」
 会話はそれだけだった。証文は交わしていない。
 まだら男と町の顔役は、口頭の約束を交わしただけだった。
 
 それから数日後、再びまだら男が現われた。
 ネズミを退治するので、見ていて欲しいと言った。
 町の顔役や住民たちは、その様子を見守った。
 まだら男は笛を吹きながら、町の全ての通りを歩いた。
 すると家という家からネズミが飛び出して、まだら男の後を追った。
 凄い数のネズミだった。大群だ。こんなにいたのか?
 町の人たちは驚いた。そして笛の音に耳を傾けた。
 それは音楽ではなかった。何かもっと別の音だった。
 町の顔役はその様子を見届けると、まだら男が歩いた通りを確認した。
 舞楽禁制通りだった。この通りでは、音楽の演奏は禁じられている。
 その後、まだら男はネズミを引き連れて、ヴェーゼル河まで行った。
 ネズミどもは、まだら男について行き、川で溺れて、全て死んだ。
 こうして町のネズミは退治された。まだら男はハーメルンに戻った。
 「ネズミを退治した。報酬をくれ」
 「……舞楽禁制通りで笛を吹いた。規則違反だ」
 「どういう事だ?」
 「……罰金として報酬は全て没収する」
 「約束が違う」
 まだら男は激しく怒った。
 「……規則は規則だ」
 町の顔役は、澄ました顔をしていた。
 「ではお前たちの大切なものを奪おう」
 まだら男はそう捨て台詞を吐いて、ハーメルンを立ち去った。
 
 1284年6月26日月曜、ヨハネとパウロの日の朝、まだら男は再び現れた。
 今度は赤い帽子を被り、恐ろしい顔をしていた。狩人の出で立ちだ。
 町の人たちが何事かと見守っていると、まだら男は言った。
 「約束通り、お前たちの大切なものを奪いに来た」
 まだら男は笛を吹きながら、町の全ての通りを歩いた。
 すると家という家から子供たちが飛び出して、まだら男の後を追った。
 大勢の子供たちだ。全員で130名だ。こんなにいたのか?
 4歳から19歳までの子供たちで、その中には町の顔役の娘もいた。
 今年19歳になり、両家の親が決めた婚約さえある。どういう事か?
 町の人たちは驚いた。そして笛の音に耳を傾けた。
 それは音楽ではなかった。何かもっと別の音だった。
 まだら男と130名の子供たちは、ポッペンベルグで姿を見失った。
 子守娘がついて行き、引き返したので、話が伝わっている。
 「300年後、また会おう。お前たちの大切なものを奪いに来る」
 まだら男は立ち去った。1584年6月26日は恐怖の日になった。
 町は大騒ぎになった。母親たちは泣き叫び、我が子を探し求めた。
 町の顔役は、方々に使者を派遣し、子供たちを捜索した。
 だが全ては徒労だった。子供たちの行方は分からなかった。
 
 後日談として、二・三人の子供たちが戻って来たと言われた。
 口が利けない子と耳が聞こえない子だった。
 だがこの子たちは、行先を示す事ができず、手がかりは掴めなかった。
 また途中で上着を取りに帰り、はぐれて帰って来た子がいた。
 この子供は、丘の「穴」の中に、皆入って行ったと話した。
 数年後、風の噂で、子供たちはジーベンビュルゲンにいると伝わった。
 ハンガリー東部の山間の土地だ。なぜそんな遠い処にいるのか?
 この事から、まだら男は、植民請負人で、貴族だとも言われた。
 この時代、ドイツから東方に向かって、植民活動が盛んだった。
 植民請負人が村で人を集めて、東方で新しい村を開拓するのである。
 開拓後数年間の租税は免除される。開拓地では集団結婚もあった。
 そのため希望者はかなりいた。誰もが苦しい生活から逃れたかった。
 元の村から移動し、元の村と同じ名前を付けた。馴染むためだ。
 ハーメルン市は、子供たちの集団失踪を忘れないため、碑文を残した。
 マルクトのガラス絵だ。ハーメルン市の最古の教会でもある。
 
 Am Gage Ioannis/Et Pauli CXXX/Sint Binnen/Hammelen Ge/Faren THo/Kalvarie unde/
 Dorch Geled in/Allerlei Gefar/Gen Koppen Fur/Bracht unde Verlorn
 強いて訳せば「ヨハネとパウロの日(すなわち六月二十六日)に、ハーメルン市内で130人の者がカルワリオ山の方向(すなわち東方)へ向かい、引率者のもとで多くの危険を冒してコッペンまで連れてゆかれ、そこで消え失せた」となる。(注110)
 
 現在はもう碑文は残されていないが、写本から伝わる内容だと言う。
 この事件は、謎に包まれたままだが、実は続きがあった。話はこうだ。
 6月26日木曜夕方、丘の「穴」の中から、130名の子供たちが現われた。
 「この丘を下れば、ハーメルンに行ける」
 ハーメルンの笛吹きはそう言った。子供たちは喜んで帰った。
 ふと先頭を歩く19歳の町の顔役の娘は、後ろを振り返った。
 するとまだら男は、「穴」の側で手を振っていた。
 19歳の町の顔役の娘も、軽く会釈して、別れを告げた。
 
 ハーメルンに戻ると、町は大きくなっていたが、寂れていた。
 見慣れない建物もあったが、誰も知っている人がいなかった。
 言葉が微妙に通じないし、服装も変わっていた。まだら模様だ。
 子供たちは通りを歩いて、家を探したが、別の家が建っていた。
 同じ町のようだったが、かなり様変わりしていた。
 舞楽禁制通りもあるし、ネズミもいた。だが異なる。
 自然、子供たちは教会の前を目指した。広場がある。
 「ここはハーメルンですか?」
 町の顔役の娘が、広場を車椅子で渡る老人に声を掛けた。
 「……ああ、そうだ。ハーメルンだ」
 まだら模様の服を着た老人は言った。車椅子は浮いている。
 「今は何年何月何日ですか?」
 「……2284年6月26日だ」
 子供たちは沈黙した。1,000年後の世界だった。
 「子供たちを元の時代に帰して下さい」
 町の顔役の娘が、そう訴えた。子供たちも一斉に泣き出した。
 
 その後、ハーメルン市の高官たちが集まり、協議した。
 「可哀そうだ。元の時代に帰してあげよう」
 「……だが我々には無理だ。「扉」は扱えない」
 この時代、人類は激減し、文明は衰退していた。20億しかいない。
 「それは上に頼めばいい。問題は因果律だ」
 「……このまま元の時代、元の場所という訳にはいかないな」
 高官が、手元のドキュメントを見た。ジーベンビュルゲンの資料だ。
 「ここに、ハンガリーで聞きなれない言葉を話す子供が沢山出たとある」
 「……よし、それで手を打とう」
 こうして、129名の子供たちは、「扉」を渡って、1284年に戻った。
 だがハンガリーは遠くて、ドイツのハーメルンには戻れなかった。
 仕方なく、ジーベンビュルゲンで新しい村を開拓した。
 そしてそこには、ハーメルン市の顔役の娘はいなかった。
 
 注110 『ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界』阿部謹也著 ちくま文庫 p27~28
 
            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺016

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