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【ショートショート】週末充実手帖

「まだ火曜日かよ。週末まで長いなあ。今日が金曜日だったらいいのになあ〜」僕は、昼飯の蕎麦屋のカウンターでつい独り言を言った。隣にいた男が僕の方を見て、
「お疲れのようですね。あなたににこれを差し上げましょう」と言って何かを差し出した。
「手帖?ですか」
「そうです。でも、ご覧下さい、普通の手帖とは違うでしょ?」
そう言われてよく見ると、それは一見ウィークリー手帖なのだが、少し違った。見開きページの大半を土曜日と日曜日が占めており、月曜日から金曜日までの5日分は、すみっこの小さな一つの欄にまとめられていた。
「まあ、言ってみれば週末充実手帖ですな。これに予定を書き込むと、ウィークデーはこの通り時間も圧縮され、あっという間に過ぎます。そのかわりウィークエンドはたっぷりゆったり時間が流れます」と男は言った。僕は、まさかとは思ったが、くれるというのだからとりあえず貰っておくことにした。「あ、それと、一度書いた予定は変更できませんので、ご注意を」と男は付け足した。

その日も残業して疲れて帰宅した。鞄を開けて、昼にもらった手帖を手に取った。あの男、なんだかおかしな事を言ってたなあ、と思い出した。でも、試してみるのも悪くないなと考えた。それにしてもウィークデーの欄は小さくて、ほとんど何も書き込めない。「通常通り」と書き、土日のスペースに計画をあれこれ記入していった。書き終えて、週末が強調されたページを見るだけでも、なんだか気持ちがゆったりした。楽しくなって、3か月先まで、ウィークデーには「通常通り」、週末にはたくさんの遊びの予定を書き込んだ。

翌日、いつもどおり9時に出社すると、会社は閉まっていた。時計を見ると確かに9時だが、「土曜日」と表示されていた。あの男の言ったことは本当だったのだ。どおりで電車が空いていたわけだ。それから僕は、時間の流れがやけに遅く、いつまでたっても日が暮れない土日を過ごした。手帖に書いたスケジュールだけでは時間を持て余すほどだった。一週間くらい休んだ気がした。

週明け、出社すると上司が「昨日は無断欠勤なんかしてけしからん。今日も遅刻だぞ」と言った。時計を見ると、「火曜日、11:00 a.m.」と表示されている。みんな恐ろしく早口で喋り、早送りの動画を見てるみたいだ。何をやったか分からないくらいの目まぐるしさで、あっという間に終業時刻になり帰宅するが、寝た気もせずに翌朝を迎える。普段の5倍速くらいで時間が進んでいて、めまいで吐きそうだ。

文字通り殺人的忙しさで、金曜日まで終わった。消耗してヘロヘロだ。あの手帖に「通常通り」と書いたのが間違いだったと気づいたが、一度書いた予定は変更できないのだ。むこう3か月、こんなウィークデーを過ごしてたら僕は間違いなく過労死する。どうすればいいんだ?

あの蕎麦屋だ!僕は土曜日に行ってみることにした。カウンターにあの男がいた。僕を一目見て、「どうです?週末充実手帖の具合は」と訊いた。「もうたくさんです。こんな手帖いりません。どうにかして下さい!」

「わかりました。お返しいただければ、あなたの時間は元に戻ります。その代わり、こんなのもありますがいかがでしょう?」

男は別の手帖を何冊か差し出して言った。それらには、「ウィークデー充実手帖」「スピード人生手帖」「超老後手帖」などと書かれていた。僕は「週末充実手帖」を投げ返し、逃げて帰った。


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