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番外編:想定外はいつも隣…⑧

ずいぶん日にちが空いてしまいました。
2月22日、無事に97歳の誕生日を迎えることが出来た母のその後について、
書き続けていきたいと思います。

転院早々、コロナ感染を告げられた母でしたが、
隔離期間中も発熱することなく、過ごすことができました。

担当医からリモート面会の予約を許されていたので、
2月27日、転院後初めてのリモート面会に行きました。

受付けで名前を告げると、タブレットを渡され、別室へ案内されました。
しばらく待っていると、母の病室から看護師さんの声が聞こえ、
ベッドに横たわっている母の顔が映し出されました。
母の鼻には、経鼻栄養のチューブが入っていました。
通常であれば、本人がタブレットを持ち、お互いに話をするのでしょうが、
母の場合は、それが出来ないため、看護師さんが側にいて、カメラの位置を調整してくれていました。
母は、こちらが見えているのか、そして、私の声が聞こえているのか、
わからないまま、私は、一方的に話しました。
母がコロナに感染していてビックリしたこと、経鼻栄養のこと、私がちょっと肩を傷めたこと、毎日のちょっとしたことなど。

時間にして10分にも満たなかったような気がします。
どれだけ私が話をしても、返事はありません。
それでも、私は満足でした。
母の顔が見れたこと、タブレットに写る私をじっと見ていてくれたこと。
母はきっと、理解してくれたと自分勝手に思い込むことにして、
ひょっとしたら、もうこの先、母の声を聞くことは出来ないかもしれないということに慣れなくてはいけないと、自分自身に言い聞かせていました。

短いリモート面会を終えて、タブレットを受付に返しに行くと、
「先生からお話があるそうなので、少しお待ちください」と受付の方に言われ、しばらく待っていると、ソーシャルワーカーの方が担当医の部屋へ案内してくれました。
先生のお話によると、経鼻栄養の方は、今のところ順調で、少しずつ割合を増やしていく予定であること。腎臓、胆嚢などの数値も好くなってきていること、だが、やはりこの先、何が待っているかはわからないので、様子を見ていくつもりであるとのことでした。

挨拶をして、部屋を出ると、母を担当しているスタッフさんが、タブレットに保存された写真を見せてくれました。
そこには、寝台型の車椅子を少し起こして座っている(寝ている)母が、写っていました。
「昨日の写真ですけど、少し、身体を起こすことが出来たんですよ」。
スタッフの方は、笑顔で私にそう伝えてくれました。
思わず、「この写真、ください」、そう言いたくなり、ぐっと堪えました。

転院後、初めてのリモート面会。
帰り道、少し心が軽かったことを覚えています。

3月に入り、その後も週に1度のリモート面会でした。
3月半ばの面会の時、看護師さんが母の体位を変えようとしてくれたとき、
母は「痛っ!」と小さく声を上げました。
えっ!母の声だ!母は声が出るんだ!
それは、人間の反射的な反応なのかもしれませんが、母の声を久々に聞いた瞬間でした。
結局、面会中に、母の声を聞いたのはその瞬間だけで、
相変わらず、私が一方的に話をするだけの面会でした。

母の症状が安定してきたら、今度は、次の転院先を決めなくてはなりませんでした。
何件か病院が候補に挙がり、最終的に、家から車で10分ほどのところにある病院へ転院することが決まりました。

ようやく転院先がきまり、ホッとした矢先、リモート面会の後、
担当医から話があるとのことで、部屋へ通されました。
私の目の前には、モニターに映し出されたグラフがありました。
いくつもの折れ線グラフが重なったようなもので、
私にわかるのは、体温だけでした。
何となく雰囲気から、良い話ではないような気がしました。
そんなときは、ザワっとした空気でわかるものです。
先生が言われたことは、経鼻栄養の割合を増やしていき、最初は調子良かったのだが、ここのところ高熱が頻繁に出ているので、この状態のまま、転院することは出来ないから、点滴に戻す方が良いかもしれない、とのことでした。
身体から力が抜けていくような気がしました。
「経鼻栄養の割合を減らして、点滴と併用ではダメなのでしょうか?」
私も、必死に食い下がりました。
その後、私は先生に対して、何を話したのかは覚えていません。
ただ、先生が最後に、「もう少し様子を見て、今後熱が出ないようでしたら、このままいきましょう。」と、言われたことだけ覚えています。

「今後、転院まで、熱が出ませんように」
毎朝、仏壇に手を合わせていました。

3月27日、この日もリモート面会。
いつも通り、私が一方的に話をして、最後に「また来週ね」と伝えると、
「楽しみにしてる」と…。
はっきりと、母が話したのです。
「今、母、話しましたよね?」と、母に付き添っていた看護師さんに確かめると、「はい。話されました。」と答えてくれました。

「楽しみにしている」
それは、とてもか細い声でしたが、はっきりと聞き取れました。
あの時の思いを何と書けば良いのか上手く言葉には出来ません。
「感動」とか、そんな言葉では伝えられない思いです。

嬉しくて、ただ嬉しくて、ひとりニンマリしながら、
受付けにタブレットを返しにゆき、その後、担当医との面会がありました。
先生の部屋へ通されると、すぐに言われました。
「このままでいきましょう。なんとかお母さんは乗り切ってくれたようです。大丈夫でしょう。転院は30日でいいですか?」
「はい、構いません。先生、さっき母、喋ったんです。」と、
嬉しくて、ついつい先生にまで話してしまいました。
先生は、ただ微笑んでみえました。

3月30日、母は、3件目となる病院へ転院しました。
移動車の中、私は、母の手を握り、桜が満開な事を伝えていました。



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