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私の看護道⟡.·*.

先日、子供と話していて、将来の職業ってどうやって決めたの? 

なんで看護師になったの?     と。

子供の頃から単になりたいものというのは
たくさんあったけど、花屋とか。
何の職業につきたいか?という現実的な事を考えたのは、高校生の時だったと思う。
正直そのような事を真面目に考えた事がなかったし、毎日ぼーっと生きていたと思う。
けれど、進路選択というやつをしなければならないので、悩んだ。

高校1年生の夏だったと思う。
絶対看護師になりたい!という親友がいた。
その親友に誘われて、病院での看護体験に参加する事に。
最初はどんなことをするのかも興味もなかった。
当日は何をしたのか記憶があまりないのだけれど、入院中の患者さんの話し合い手だったと思う。一緒に地域のお祭りのテレビ中継を見た記憶がある。
ただ孫のように喜んでくれた事は覚えている。

その体験後、別に看護師へ熱い思いが湧き上がるわけでもなかった。けれど、
理数系コースにいつの間にかいて、何となく看護専門学校へ行くという選択の中にいた。

おもしろいのが、その時も沼&推し活に明け暮れていた私。バイトをして、好きなバンドのLIVEに行っていた。これがきっかけになり、地方出身者の私は都会に行きたくなった。
そして、沼&推し活が私のやる気スイッチをONにしてくれたのだ!! 


私はとある病院附属の看護専門学校を目指す⟡.·*.

はっきり言って、合格は無理だと担任にも言われた。
試験日がかなり遅く、友達が進路決まって遊んでる中、毎日朝早く学校に行って、
1人でひたすら勉強した。
人生で1番勉強したと思う。間違いない。
他にも県内、県外の学校は受けて合格した。
本命は、合格発表が3月末ギリギリで、毎日憂鬱な日々だった。

そして本命校から封筒が届く。

OPEN!!   

『 補欠合格 』の文字……

なんともいえない雰囲気が一瞬流れた後、とりあえず合格で良かったねってなった。
自分的には思いっきり、喜べず、微妙な気持ちだった。

そして、この学校で看護師を目指す!
看護専門学校は3年制で履修科目を終え、卒業すれば、
看護師国家試験の受験免許が得られる。
というわけで、卒業したら看護師になれるわけでわない。
学校はなかなかハードで、2年生になると現地実習が毎日始まる。受け持ち患者さんの情報集収をして、看護計画を立てる。それに基づき患者さんにケアをさせてもらい、計画の評価・修正を行う。
これを色々な科をグループでまわり繰り返していく。

私たちの時代はまだ、先生・先輩は厳しいがあたりまえの世代だった。
実習する先の担当してくれる看護師さんがおっかねぇ、おっかねぇ(   ߹ㅁ߹)ってこともよくあり、精神的なストレスは半端なく、実習を続けられない子もいた。

なんとなく看護師の道へ進み、なんとなく日々看護師へ近づいていく私。
ふと、看護師の仕事が嫌いではないことに気づく。むしろ看護師になりたい!と思えるようになっていた。

あっという間の3年間。
就職はそのまま附属の病院に就職する事にし、採用となった。
しかし問題は国家試験の結果。
これまた3月末に発表。
そのため、不合格なら先に合格していた准看護師として働き、また来年正看護師の国家試験を受けなければならなかった。

試験問題傾向が大きく変わった年で、
気が狂いそうだったけど、合格していた⟡.·*.
看護学校の先生には「あんたは落ちたと思ってたよ。良かった良かった。」って。
先生よ……。でも感謝しかない⟡.·*.

そして次の気がかりは配属先である。
私は『救命病棟24時』というドラマにバリバリ憧れていて、
恥ずかしくも救命救急センターに希望を出していたのだ。
希望したくせに、だんだん恐ろしくなった。
おっちょこちょいのすっとこどっこいの私が、そんな1秒争うようなところで働けるわけがない。
またまた落ち着かない日々……

そして、勤務初日!
まずはオリエンテーションというやつが、何日かあり、その初日に配属先が発表となる。
友人たちの配属先がどんどん発表され、
救命救急センターでは自分の名前は呼ばれず……
これはこれで、

ドッキドキ。一体どこにいかさかれるの?


私の配属先は
『消化器外科病棟』  だった。
きっと外科系希望ということで、配属されちゃったのかな。

そして、その後その病棟へ連れて行かれ、紹介される。
病院には外科病棟が2つあり、配属されなかった方の病棟で実習をしていた。なので、配属先の外科はお初。が、しかし、きびすぃ先輩たちがいる病棟で有名だった……
そして、そして、
私の指導係の看護師さんが、
超絶厳しいウワサの先輩だったのだ。|゚Д゚)))
ここからノンストップでハラハラな新人時代に突入=3 =3 =3
私の新人時代のおもしろエピソードは山ほどある。というか、恥ずかしくて人様に話せないような失敗談である。それはまた別な機会に書くことがあれば書こうかな(¬ω¬)

結局、成り行きで看護師になってしまったような私。
今思えば、嬉しいことも辛いことも悲しいこともたくさんあったのだけれど、なんだか20年以上も看護師をしている。

これが運命というものなか?

1つわかったのは、その時々の選択を自分でしたきたという事。
親も先生もあーしろ、こーしろとは言わなかった。その時々でアドバイスはしてもらっていたけれど。
若くて未熟なりに自分で悩んで考えて決めていたんだなと、note書いていて気づく。
結局、勝手に決められたり、やらされているようなうちは、何事も楽しくないし続かないし、変わらないよな。

子供たちをみていてもそうだ。
患者さんをみていてもそうだ。
色々簡単ではないけれど。

さて、私の看護師人生はまだまだ続くと思われます。自分的には健康第一に仕事を続けていければと。目標とかないっていう……
もう若くないから体力的にしんどい時はしんどいのです。ちゃんと食べてちゃんと寝る!これが1番。
何事もほどほどがベスト⟡.·*.


はぁー毎日暑すぎて、щ(゚ロ゚щ) オーマイガッ。
マンゴージュース飲みたい🥭

お付き合いありがとうございます( ᴗˬᴗ)
















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