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75/1096 あなたには「真実」が見えていますか・・・?

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。
3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で75日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。
そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

75日目になって思うこと・・・本当に、一日は一日だ。いや、当たり前なのだけどね。でも、以前は日にちの過ぎるのが早すぎたり遅すぎたりということが多かったのだが、1日1歩、3日で3歩、3歩歩けば3歩進む~!と、日々が一日一日過ぎていくことを実感するようになった。
これまで生きてきて、この感覚を知らなかったということに自分で改めて驚いてしまう。「あれ!もう1ヶ月すぎたか~~」とか、「うお!まだたったの5日~~?!」とかを43年やってきたということだ。
そこに吹き込んだ新しい風、この『一日一歩感』が、この先の人生にどのように作用していくのかを見るのが楽しみだ。
自分のことをこうして、他人事のように、映画を見るように観ながら、そこに生身の五感によるこれ以上ないほどのリアルな実感を持っている、という味わい方をするのは本当に面白い。

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リアルな実感、と書いたから、今日はそのことについて書いてみよう!
わたしたちが生きている実感は、本当に個々それぞれで違う。例えばとても単純化した例をあげてみると、”子育ては大変だ”と信じている人の目には、道ですれ違う子連れのお母さんの姿は、ああ大変そうだな、とか、ああ偉いな、というふうに映るだろう。しかし、”子育ては楽しい”と信じている人にとって、同じ景色はまったく違ったものに映る。きっと、いいな、楽しそうだな、という感想を持つだろう。
 
両者が一日幼稚園見学、というものをしたとして、片方は「今日は大変なものを見て気疲れした一日だった・・・」と思うのに対し、もう一方は「今日は一日中楽しいものを見て元気をもらっちゃった」と思うかも知れない。

わたしたちは人によって千差万別の信念体系を持っていて、それぞれの信念が別の信念から派生していたり信念同士が支え合ったりしているものだ。
それは一本の樹のように根があり、幹があって、枝葉をつけていて、これがわたしたちの実感を創り出している。いかにも真実であるように、いかにも辻褄が合っているようにリアリティを持たせているのだ。

さらに、その信念には意識できているものと無意識のものがあって、わたしはそのうちのほとんどが無意識なものだと思っている。
「わたしはこれを信じている」とわかっているもの、つまり自分で客観視できているものというのは意外とどうにでもなるものだ。しかし、無意識に信じていることがその信念の樹を形作っているとなると、これは自分で気がつくことも難しく、その信念の樹によって強くリアリティを持っている自分自身がそれを扱うとなると、困難を極めると言えると思うのだ。

わたしが夫に出会ったばかりの頃、わたしにとって、夫は身体の大きな男性だった。ゲゲゲの鬼太郎の『ぬりかべ』とどこかかぶったイメージを持っていた。それが、わたしの目には真実だったのである。

当時、イタリアという国に来て、言葉も通じなければ習慣も文化も常識も知らなかったわたしは、自分のスペックがドラえもんののび太くんと同等になってしまったことにすぐに気がついた。

そしてわたしが唯一頼りにできる人物はわたしの夫であった。夫はわたしの生活のあらゆることを握っており、言い方を変えればわたしの社会的な何もかもをコントロールできる立場にあったため、わたしにとっての命綱と言える存在だったのだ。

夫は当然国内のどこに行っても母国語のイタリア語で話すし、ドイツに行けばドイツ語を話すし、スロベニアに行けば英語を話して、スペインに行けばスペイン語を話した。もうそれだけで、わたしはそこに大げさにも人として完全に敗北したような実感を持ってしまった。
ヨーロッパ中で結婚相手を選ぶことができたというのに、なんでわたしのような小国から来た子連れのバツイチののび太と結婚してしまったのだろうということにも、謎が深まるばかりであった。夫は当時、のび太であるわたしにとって、ジャイアンとドラえもんと出木杉君とのび太の両親、ひとり五役という状態であった。

その当時は、夫がキッチンに現れると、本当にドンデンドンデンドンデン!!というBGMが脳内に再生されるほど、わたしにとって大きなマッチョ系ぬりかべのようなものが現れたイメージがあった。キッチンが小さく感じられる瞬間だった。圧迫感もすごくて、うわっ、でか!!といつも思っていた。

夫はバナナを食べる時に、わたしのように手が汚れるのを気にした皮のむき方をせず、グワッグワッと一気に全部むいて、2口で食べる。一本のバナナを食べるのに、数秒しかかからないのだ。
マッチョのぬりかべがドンデンBGMとともに現れ、バナナを数秒で食べるところを何度も見るうち、『バナナを二口で食べる圧迫感のある筋肉ぬりかべ=マウンテンゴリラ』という等式が知らずのうちにわたしの無意識の中に潜り込んで、わたしの目に、夫をマウンテンゴリラに見せるようになってしまった。それがこのときのわたしのリアリティだったのだ。

そこから何年かの間に、わたしと夫の関係はずいぶんと大きな変化を見せた。わたしにとって、夫は徐々にジャイアンではなくなり、出木杉くんではなくなり、両親ではなくなり・・・これまた知らずのうちに、いつの間にか命綱ではなくなっていったのだ。

あるときわたしは、並んで歩く夫に違和感を感じるようになったことに気がついた。わたしの靴のヒールのせいなのか、はたまたまたわたしの背が伸びてしまったせいなのか、夫がどうも小さく見えるのである。わたしは何度か自分の身長を測り直した。それほどに不思議だったのだ。

そしてある日のこと、わたしはソファに寝っ転がっている夫を見て両目が飛び出るほどギョッとした。夫が、マウンテンゴリラではなく、なんと人間の大きさをしていたのだ。印象として3/4ほどに縮小してしまったように背が縮まっている。
どうした・・・!なぜこうなった!!こんなんじゃなかったぞ?!
わたしはまず、夫のジーンズがマウンテンゴリラ用ではなく人間用の大きさをしていることに驚いた。本当に嘘みたいに短くなっているのだ。ドッキリだったらどうしようと思うほど、ジーンズの丈が短くなっている。そして信じがたいことだが、夫もその中にちゃんとすっぽりと収まっているのだ。脚を切られてしまったみたいに。目を疑う光景であった。

わたしは思った。まて・・・!夫は確かにこの大きさだった・・・・ずっとこの大きさだったはずだ。そう、ちゃんとソファに横になれる大きさだったのだ・・・!!
今までだって、幾度となくこうしてわたしの前で横になっていたし、そういえばいつもちゃんと足が肘掛けに乗っかっていたではないか!
なのにわたしが勝手に自分の印象のとおりに、夫をマウンテンゴリラの大きさに見ていただけだったのだ・・・わたしはそれほどまでに、自分にとって夫を影響力のある人物として認識していたということなのだな・・・・

笑えそうで、なのに泣きそうな変な気持ちになった。イタリアに渡ってきた頃の、言葉の通じないあの心細さをカバーしてくれた人物を、脳はこれほどに重要なものと位置づけ、視覚情報さえも処理したとおりにはわたしに認識させなかったのだ。逆に言えば、わたしの心情をそのまま正確に認知していたと言えよう。それが、あんなに夫を巨大に見せていたなんて。

これを読んでくださる読者さまも、『魁‼男塾』という漫画をご存知だろうと思う。読んだことはなくとも、名前だけは聞いたことのある方が多いのではないだろうか。
その漫画の中に、『大豪院邪鬼(だいごういんじゃき)』という人物が登場する。この人物は、そのあまりの強大な力により、周囲の者には背丈が10mほどもあるように見える。しかしこれは“闘気”と“威圧感”による目の錯覚であり、実際の身長は2m強なのである。

これを読んだときにはその秀逸なギャグ要素に笑ったわたしであったが、今はただの笑い事ではなく、自身の経験からこうしたことは充分に『あり得ること』という位置づけとなっている。

見よ、この邪鬼さまの大きさを・・・・!

2mほどの男が、これほどに大きく見えるのである・・・!!

あまりに巨大だ・・闘えたものではない・・・!!

わたしたちは、見ているものを真実のままに見ているつもりである。しかし、果たしてそれは、本当にそのとおりの存在なのだろうか?
わたしは、目に見えるものはわたしたちにとっての、その瞬間の都合でしかないのだと思う。良い意味で、自分の見ているものを信じなくなったのだ。
わたしが、勝手に自分の都合に合わせて見ているだけなのだと、そう思っている。目の前でマウンテンゴリラが人間と化したのである・・その衝撃たるや、狐につままれたかのようであった。己の視覚を疑うようになるに充分なだけの破壊力のあるできごとであった。

こう書くとなんだか「わたし、もう誰も何も信じられないわ・・・!うわーん」みたいなドラマにありがちなシーンを思い浮かべてしまうが、そんな困ることではないどころか、これがけっこう面白いのである。

わたしはこう思う、こう見える。けれども、他の人にはまったく違って見えるんだろうな。と自然に思えると、人ってみんな違うんだな。ということが苦もなく受け入れられてしまう。人の意見が違ったって、しゃーないのだ。全員が違うのだ。同じものを見て、まったく違う景色を見ているのだ。見えるものも、それによる印象も、それによって思うことも、そこから体に現れる反応も、それによって強める信念も、すべてが違う。むしろそれが自然なことなのだ。

・・・かくして夫は、わたしにとって普通の人間の体躯に見えるようになった。今は、ドラえもん役だけを担ってくれている夫である。
だからといって、さすがにお腹にポケットは見えないけどね。(笑)

というわけで、今日はここまで。また、明日!


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