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1085/1096【質問回答】どのくらいからが”尽くしすぎ”なのか/平穏な日々なのに成長していない気がして身悶えてしまう

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で1085日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。点線以下が本日の話題です

1085日目。実はもう毎日投稿の大変さみたいなものが、喉元を過ぎようとしている。喉元すぎればなんとやらで、もう大変だった感じがしない。もうなんだかどこの誰の話だったのだろうという気さえする。

わたしはこうしてなんでも忘れていく。だからあまり細かいことは気にしなくていいのだと思う。それよりも、この9月はわたしにとって毎日投稿が終わるのもあるけれども、この自然界の流れが大切な時期に入っていて、それがわたしたちひとりひとりにも大きく影響しているということに非常にピンとくるものがある。

今月は自分の喜びに従って生きていくことを、未来に向かってやまびこを呼ぶように宣言するとき。「おーい未来の自分よー!今から楽しくて嬉しいあなたに会いに行くよー!楽しみにしていてねー!」とまっすぐに呼びかけること。

そのためのアイデアやプランをウキウキ話して、それを覚悟して楽しむとき。遊びだからこそ本気で、外側に囚われずに自分を感じ自分と話し合って、自分をこれまでの人生でいちばん、最高に愛していくと決めるとき。

その、今月の流れを楽しみながらゴールを迎えよう。毎日投稿全体もそうだけれども、ここから残りの11記事に触れた人の「気」が良くなって高まって元気や勇気や優しさが湧いて、心が空を飛んでしまうという、つまりこの毎日投稿が「読んでくれた人のアンパンマン性を引き出してしまう」というこの確信を、思いっきり楽しもう!

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本日はこちらの2つのご質問に回答いたしますよ。

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これはですね、尽くすということを、どれくらいやっていいのかという考え方がおかしいのです。わたしも以前は質問者さまとおなじように、やりすぎかなと思うことがよくありました。とくに男性に対して!

どれくらい尽くせばいいのか、相手によって変わるのか、正解はない、ということはどれもズレてしまっています。

正解は、尽くすということを少しもしない、です。

たとえば、わたしたちが誰かの笑顔を見たくて、自らの喜びとともに行動を起こしたときって、「わたしはこの人に尽くした」とは思いませんよね。それは自分のしたいことだからです。自分のしたいことを、行った。そのことを、他者に尽くしたとは感じません。

たとえば、誕生日にサプライズを仕掛けて相手を思い切り喜ばせたくて、せっせと仕込みをして当日は大成功しました。相手はとても驚いて喜んでくれました。そのときあなたはなにを感じますか。「わたしはこうして相手に尽くしている」という思いでしょうか。違いますよね。したいことをしたあとの「ああ嬉しいな、楽しかったな」という思いですよね。

忍耐のもとで、なにかを他者のためだけにやったとき。自分の望んでいないことを、他者のためになると勝手に考えてやったとき。自分がやらなくてはならない、自分がやらなくては相手がだめになってしまう、と考えて自分にムチを打ってやったとき。仕方なく他者を優先して自分を使うとき。こういうときにわたしたちは、”相手に尽くした”と考えがちです。そして、こういう思いで行うことは一切しなくていい、ということなのです。

つまりは、それらを自分が納得していて、自分がそうしたくて、それが自分の幸せであると認識してやっているのなら良いのです。そうでないときにはわたしたちはどうしてもどこかで見返りを求めてしまうし、見返りをもらえないことを悲しく思い、その相手を悪く思ってしまいます。

だから「相手に尽くそう」という意識でなにかをしなくていいのです。「相手を喜ばせたい。相手が健康でいてほしい。相手が元気になってほしい。その自分の喜びのために、わたしが好きでやっているんだ」と思えることをしていけばいいのですね。そう思えないことは、キッパリとしなくていいということです。

あなたが女性であれば、やりすぎかなぁと思うことをしてしまったときは、自分の相手への信頼を見直すいいチャンスだと思いますよ。「任せておいたら絶対ダメだから」「この人はちゃんとやれないから」「わたしがいないとダメだから」という思いが根源となっているのであれば、思い切って観点を切り替えてみると良いと思います。

そうした不信感を理由にやっていることは、相手の力を奪ってしまうからです。過保護の大元は不信感なのですね。やってあげると自分が安心できますが、相手を本当に思ったときにはあえてやらないのが良い選択であることもありますよね。もしそんなところがあると感じたときには、ちょっと勇気を出して相手にお任せしてみてください。

するとそこから、他者への不信は自分への不信感であったこと、逆に言うと自分への信頼と他者への信頼は同じものであったのがわかると思います。そこから互いに成長していけると最高ですね!

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自分の中から湧いてきた違和感を、無視しようとしなくていいのです。もしも成長していない気がして身悶えまでするのであれば、それははっきりとした自分からのサインです。

退屈しているとか、隠れた欲があるとか、ワクワクしたいとか、そういうことを見て見ぬ振りをしていると、このままではいけない気がしてソワソワしてしまうのです。

平穏はありがたいと考えるものであって、自分を無視してまでキープするべきものではないですよ。人には必ずリズムがあって、活発なとき、平穏なとき、少し落ち気味なときなどが波のようにやってきます。

今の時期は、本当はなにが嬉しいのか、ということがとても大切です。これを探ってみてください。なかなか見つからないときの探るポイントは、壮大で立派でなくていいということ。コソコソしてでもやってみたいこと。嬉しくてほくそ笑んじゃうこと。

ぶっちゃけたら、誰にも言わなくていいのであれば、夢の世界であれば、誰にも批判されないのであれば、失敗しないのであれば、怖くないのであれば、笑われないのであれば、なにがしたいのか。どうしたいのか。なにが嬉しいのか。

そこで浮かんでくること、それに関することが、あなたが今冒険してみたい方向なのです。そこに少しずつ、そして軽やかに、歩みを寄せていってみてね。自分の感覚を、他者の意見や自分の都合で潰したり説得してやめさせたりしないで、大切に尊重してあげてください。

もしも見つからなかったら、それでも大丈夫。そのときには、今の生活の中で、自分の気分を常に「愛」とともにあるように自分を調整していってみてください。自分や他者を虐げないように。信頼と調和を感じる方に。少しでも喜びがあり、軽くて優しくてふわふわして、純粋で潔くて、ワクワク・ルンルン・ウキウキ・スッキリする方に。

”いい感じ”のするように、できるところから日常を整えていけばいいのです。これでバッチシよ。なぜかって「好きなことをして生きる」「好きを仕事にする」というような大きな目標だけが良いのではなくて、日常に喜びをもたらしていくことがいちばん大切だからです。そこからの想定外の変化を楽しみにしてね!

さて、今日はここまで。

それではまた、明日ね。



毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)