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都内某所でガチ人狼に参加して人狼が嫌いになった話

今でこそオーストラリアでワーキングホリデーをしている僕だが、大学を卒業してからしばらくは都内で仕事をしつつ暮らしていた。IT業務で夜勤がメインだったため、平日の日中なんかに時間が空くことはしばしば。東京は娯楽が溢れる街。何か趣味を模索しようと、色々チャレンジしてみたものである。

知り合いの方にいわゆるボードゲームフリークがいたことがきっかけでボードゲームに興味を持ち、たまにボードゲームカフェというものに行くようになった。現存するボードゲームは数百種類以上。戦略と運がいい感じで混ざり合うこの手のゲームは、デュエマや遊戯王といったトレカ大好き少年だった僕にピッタリだった。

そしてボードゲームの延長で手を出そうと思ったのが、人狼である。

ボードゲームに手を出したため、今度は人狼でもやってみっか、という軽いノリで都内某所の人狼ができるスペースに行ってみたのだが、、、

そこで見事に人狼が嫌いになってしまった・・・

この人狼は、カジュアルにプレーするのととガチでやるのとでは大きく雰囲気やゲーム性が変化するゲームであり、僕はいわゆる、「ガチ人狼」の空気にどうしても耐えられなかったのである。

順に説明させていただきたい。

◯初心者が入りづらい

人狼はルール自体が特別難しいゲームというわけではない。が、ルールや役職だけでなく、「この人はこの役職で、今この役職がこういった行動をしたから、こういう状況が起こりうる」みたいなパターンを体系化することが、勝つためには非常に重要なゲームだ。熟練者はこのパターンの体系化が頭の中であっさりできており、それができて当たり前の元、議論が展開されてゆく。この時点でルールは知ってる、というだけの人はついていくのが難しい。

そして、ガチ人狼の醍醐味ともいえるものが、多くの専門用語、略語だ。CO、PP、ローラー、吊り、などなど。僕もそんな詳しくないがかなりの用語が存在すると思う。一つの文に2つも3つもこれらを詰め込まれて話されるともう訳が分からない。毎回誰を処刑するかの話し合いの時間は限られており、極力短い時間で会話を進めたいが故に略語が多いのだろうが、特にこれが初心者キラーの大きな要因となっているように感じる。

◯主張が強い

僕は決めつけて物を言う人があまり好きじゃない。100か0かの事象なんて世の中にはほとんどないからだ。それは例えゲームであっても揺るがない。人狼も、プレイヤーの発言、挙動からある程度誰がどの役職かを推測することは可能だが、最終的には推測に留まる。誰目線かにもよるが、100%はほぼない。

にもかかわらず、ガチ人狼に入れば、「いや、絶対そうです!」みたいな物の言い方をするのんがいる。

強い言い方になってしまうのは、プレイヤーの熱の違いだろう。「まぁ、勝てたらいいなぁ」といった温度でやってる僕と、「絶対、勝つ!」でやってるガチ勢では勝利への渇望の度合いが違う。勝つ確率を少しでも上げるためには、断言するような言い方で他人を論破するのもやむを得ないこともあるのだろう。

実際その主張が大きく当たっており、チームの勝利へ貢献したりすることもあるが、個人的にはあまり言われて気持ちのいいものではない。法廷で裁かれてるみたいでどうも気が滅入ってしまう。

◯ふざけれない

パーティゲームの醍醐味は、みんなでガヤガヤくだらんことを話したりしながら楽しめることだ。途中で脱線してルールとは違うような変なノリが誕生したりする場面なんて最高である。

が、ガチ人狼ではあらゆるおふざけが淘汰される。

彼らが求めているのは陣営の勝利。話し合いの場では面白いノリやワードではなく、ひたすらに情報を出すことが求められる。ふざけようものなら即時間を潰しているのでは、と疑われ、あっさりゲームから退場させられる。話し合って意見を出すことが主のゲームなので、そもそもふざけた雑談に向かないゲームなのだとは思うが、ゲームの進行と共にガヤガヤ、ゲラゲラ、そして和むという一連のパーティゲームの王道の流れがない、というのは悲しい気がする。

俺、そもそも人狼向いてないのかもね!おもしろを求めていこーぜ!!

おわりに

ガチ人狼がトラウマで、ここ何年も人狼というゲームはやっていない。

しかし最近、好きな芸能人たちが楽しく人狼をやっている動画をYouTubeでたまたま見たことで、次第に人狼が好きになりつつある。ワーホリ中に人を募ってやってみたいなと思いはするものの、未だに専門用語、略語が飛び交うスーパーガチ空間には行きたくない。

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