世界戦争の時代と日本――考えるべき神、アマテラス


 戦争をどう考えるか。ガザ・ウクライナでおきていることは他人事ではないと考える場合、そこには個人によって色々なニュアンスがあるでしょうが、まず私は、この日本の国家がアジア・太平洋地域で少なくとも2000万人、国内で300万人を死に至らしめた国家であることを考えます。この数値は確定したものではありませんが、膨大なものです。たった70年ほど前の出来事ですが、この絶句する事実をどう受けとめていますかということです。
 私は前近代史を専門とする歴史家で、3・11以降、この国土が地震と火山の巣であることをはじめて実感し、その研究を行う中で神話時代の人々は神話の世界観の問題として、人間の基本に関わる問題としてそれを知っていたことを知りました。そこで日本神話の研究を始めましたが、その至高神がタカミムスヒ・カムムスヒであることをあらためて確認し、そして彼らが雷・地震・火山の神であることを知りました。
 逆に普通、神話の至高神とされるアマテラスはアメノミナカヌシとペアになる神として、天武・持統の時代に新たに皇祖神として国家的な意味づけをあたえられた「作られた神」であることを知りました。これらの神は王権が隋唐を中心とする東アジア文明を全面的に導入し、とくに道教、さらに仏教・儒教の影響の下に国家を荘厳するために作られたものです。それは七世紀近江戦争(いわゆる壬申の乱)を経験した国家が、作りだした国家思想であって、その根は戦争にあります。天武が道教の天文や占術をもって全軍を指揮したというのは事実でしょう。
 この戦争は日本史上初めての戦争として巨大な結果をもたらしました。王家にとっては骨肉相食む呪われた戦争であって、奈良王朝は、その直接の影響の中で王家内部の王位継承候補者が処刑され、流刑され、多くの貴族も同じ運命をたどるというきわめて陰惨な王朝となりました。天武・持統は文明化のなかで始めて本格的な戦争・人殺しを行った夫婦であり、彼らが領導した国家が作りだしたアメノミナカヌシとアマテラスは戦争国家の神であったことを忘れてはなりません。彼らの子孫は天武・持統の作りだした国家によって呪われた運命の中に置かれたのです。このような国家を少しでも美化することは歴史学にとって許されないことです。奈良王朝の作りだしたものを全否定しようというのではありませんが、歴史家としては、『万葉集』の編者、大伴家持は、その中で、闘争し、死去するという凄惨な人生を送ったことを忘れることはできません。
 溝口睦子さんが『アマテラスの誕生』で述べているように、本来のアマテラス(正確にはオオヒルメ)は、弟に妥協するむしろ穏和な神として描かれています。しかし奈良王朝の神としてのアマテラスは、歴史神話学の立場からいえば、実際にはそのような戦争を合理化するための皇祖神であったというほかありません。
 さて、70年ほど前の対アジア・アメリカ戦争においてもアマテラスは戦争の神でした。文部省が日中戦争直前にだした『国体の本義』の冒頭が「第一 大日本国体 一肇国」は「大日本帝国は、万世一系の天皇、皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給う。これ、我が万古不易の国体である」とあります。この「天壌無窮の宏謨(こうぼ)(宏大な計画)」や「皇祖の神勅」とはアマテラスの天壌無窮の神勅であることはいうまでもありませんが、この天壌無窮の神勅こそ、持統がかかげた国家神、アマテラスを新たな皇祖神とすることの宣言であったといってよいわけです。
 そして、日本の対アジア・アメリカ戦争は、このアマテラスを戦争の女神として戦われました。これを忘れてはなりません。私は日本軍が得手勝手な希望的観測と世界戦争の時代に対する無知によっていわゆる「無謀な戦争」を引き起こした理由の根本に、一種の神話的な投企の心情があったことは確実であり、その背景にはアマテラスを信じた国民の主体的意思があったことを無視できないと思います。これが膨大な犠牲の重要な原因だったのであって、アマテラスについての事実を伝えることは戦後派歴史学にとって根本的な責務であると考えるものです。
 溝口睦子さんがいうように、そろそろ、このような作られた神アマテラスをその本来の弟に妥協するむしろ穏和な神に戻し、その呪縛をとき、それによって日本神話の神々をも正確に認識するべき時期であろうと考えるものです。日本神話の理解におけるアマテラス中心主義は打破されねばなりません。それは対アジア・アメリカ戦争を主体的・客観的に捉え直す上で必須の作業です。
 そして、その代わりに雷・地震・火山の神であるタカミムスヒ・カムムスヒが奈良王朝以前の神話の至高神がであったことをあらためて歴史の常識にしたいと思います。雷・地震・火山は列島の諸民族にとって、根がらみのものであり、列島にすむ人々にとって忘れてはならない神であるからです。

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