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母たるもの、自分自身を「ご自愛」ください。

昨日今日と、長男の行き渋りがすごかった。
朝起きた瞬間から「頭痛い。気持ち悪い。」と始まるのだが、学校に行きたくないのは私もわかっている。
熱を計り「熱が無いからとりあえず行きなさい。」と諭す。

行きたくないなら行かなくてもいい。
それも一つ。
でも、家にいてもダラダラテレビを見るだけ。
これが日常化してしまったら…と思うと怖い。
それは、私がつい先日『不登校児の家族カウンセリング』というサイトを見てしまったから。
「不登校児がその先どうなるか」という、悪い方に進んだ場合のケースがびっしりと書かれ、しかも「不登校から40年引きこもりになったAさん」みたいなドキュメント動画みたいのも貼り付けてあって、その動画は見なかったけど、タイトルだけで怖い。


なんか…
学校という場所が人生の全てではないし、行きたくないなら無理して行かんでも…と思っていたけど、そのサイトには「不登校は絶対ダメ!将来取り返しのつかない恐ろしいことになりますよ」と言わんばかりのことが書いてあって、かなりそれに触発されてしまった。


そもそも、私がそのサイトを見たのは偶然で、自分が苦しい時にアドバイスをもらったり話を聞いてもらえるところが欲しいと思って探してたら見つけたところだった。

待て待て私。
それは【煽り】も入ってるぞ。
相手も商売だ。


怪しい感じのところではなかったし、実績もありそうなところだったけれど、私はここには相談に行かないと思う。
いや、わからない。
今いろいろ動いていることに効果を感じられなかったらいつか行くかも。
でも、ここに行く前にまだやれることはあると思っているので、できれば行きたくない。
息子にとっては良くても、きっと私には優しくない気がする。


あのね、発達凹凸で辛いのは、もちろん本人なんだけど。
その子を育てている親も辛いのです。
「なんでうちの子が…」
という辛さじゃなくて。
定型発達じゃないということはもうどうでもよくて。
そうじゃなくて、定型発達で育ってきた自分が、我が子の見てる世界がわからないということが辛い。
どういう声がけを、どのようにしたらこの子の耳にちゃんと届くのか。
なんで自分が今まで普通にやってきたことがこの子には通じないんだろう。
なんでこんなに一方通行なんだろう。
冷静に話しても、怒っても、なんか届いてる気がしない。
その虚しさが、怒りになるのだ。
消化できない怒り。


検査を受けた時、発達支援センターで言われた。

「ここからが長い道のりです」
「周りの環境が大事」
「大人のサポートが大事」
「ひとつひとつ、取り説を作っていくような感じです」

ふむふむと聞いていたけれど、

「で?我々はどうしたらいいですか?」
という疑問が残った。
子どものためのサポートはまあ、ある。
親は?
環境が大事というわりに、一緒に暮らす親は放置かい。

自分なりに、声がけの仕方を工夫したり、やり方を工夫したりもやってみた。
でもそれって、できたのは仕事も休みの日長期休暇の時だけだった。
学校や幼稚園や仕事が通常通りになったら、声がけも戻った。
余裕が無くなったら元通り。
やり方や接し方を変えるのは、かなり頭を使う。
考えないとできない。
それを日常生活の中でずっとやってると、かなり疲弊し消耗する。
1人でやるには無理がある、と思った。
しんどい。


誰かに聞いてほしい。
アドバイスがほしい。

ずっとそんな気持ち。

でも、誰でもいいわけじゃなくて。
ちゃんとわかってる人に、プロに話したい。


子育てで辛くなるのは、間違いなく母親だ。
一番接している時間が長い。
母親だからこそ感じる違和感とかある。
それだけ、我が子のことには神経を尖らせて、日々生きている。
そして、子どもは母親の影響をもろに受ける。
「そりゃそうだろ」と軽く流さないでほしい。
本当に、そうなのだ。


だからこそ。
だからこそ。
母親は、自分を整えることに最大のエネルギーを使うべきだと私は思う。
とにかく、私は自分をどうにかすることが先決だと思っている。


私よ。
どうぞご自愛ください。
そんな感じだ。
伝わる人にはきっと伝わる。

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