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続・それもよかろう

それもよかろう力

自分の常識は誰かの非常識

初めてのことに出会っても
それもよかろう‥
まぁ、それでもいっかー

みたいな気持ちでいられたら、
ずいぶん楽チンなのかな、
ということを前回書きました。

とくに、異文化や、
自分の中の常識の枠を拡げるためには。


今から30年ほど前のことです。
青年海外協力隊員として
大学の副専攻科目の
日本語を教えていました。

初めてのタイ、
初めての海外生活、
初めての一人暮らしでした。

同僚のタイ人の先生方の中でも、
一番歳の近かったI先生とは、
いとこ?くらいの仲良しに。

わたしにとっては
学校のこと、学生のことはもちろん
タイ語の細かいニュアンスや使い方、
タイの習慣や疑問に思ったことなど
なんでも聞ける貴重な相手でした。

彼女は日本への留学経験もあったので、
日本人の思考や習慣の癖も
よくわかってくれていました。


その前に
当時の青年海外協力隊の
言語と文化の学習について
簡単にご説明しますね。

協力隊の語学訓練って?

協力隊の試験に合格すると、
当時は77日間の事前研修がありました。
各々が現地で使う言語の学習が第一目的ですが
77日間で学ぶ語学は、時間数、内容共に
中学校3年間の英語学習に相当する
と言われていました。

タイ語のタの字も知らない、
文字通り0の状態から始めて
中学英語分のタイ語四技能(聞話読書)を
学習し、
現地入りした時には

看板の文字はなんとか読める
自分の名前や簡単な文はタイ語で書ける
自己紹介や料理の注文は自分でできる
ゆっくり話してもらえば
お店での買い物や
道を聞く程度の会話(聞き取り)もできる

といった状態でした。


現地入りしたのちも
各地へ配属される前に
数週間の語学研修が用意されていました。

自分たちで予約をして、交渉をして、
近くの島まで旅行に出かけるなんていう課題も。

もちろん先生は一言も日本語を話さないので、
「先生〜、これタイ語でなんていうんですか?」
と、足で砂を指して言ったら
足で指すのはとても失礼に当たるのだそうで
「ミチコはこのまま帰国しなさい!」
とお叱りを受けたこともあり😂
言葉と一緒に文化や習慣も
たくさん教えてもらいました。

研修は大学の目の前という立地。
「友達を作ってたくさん話していらっしゃい」
という先生からの課題もあり
外国人を珍しがる学生たちに遊んでもらって
ネイティブの日常生活を観察、
食べ物の味と名前を覚え、
健全な夜遊びも覚えながら、
聞き取りと発音を鍛えてもらいました。

いよいよ配属先へ

そしていよいよ仕事開始。
最初の1ヶ月は
日本に留学経験のある先生のお家に
ステイさせていただき
今度は小さな子どもたちからの
容赦ない発音指導を受けながら
家庭内での、おそらくその社会階層での
一般的な日常生活の習慣を見せていただきました。

そうしてからの事です。

わたしは、親友とも言える
日本通の彼女の
ある行動が気になり始めました。


日本語科の教員室で
次の授業の準備や小テストを作っている時
わたしのペンや消しゴムなど
机の上にある文房具を
黙って自分のもののように使うのです。

わたしが席についていても
(つまり目の前にいても)です。

いいんだけど‥
別にいいんだけど!

でも、自分のじゃないよね?
自分のものみたいに使うじゃん‥

ある日、思い切って言ってみました。
「ねぇ、わたしのものを使う時、
ちょっと貸して、って言わないの?」


黙って使ってもいいですか?

彼女はちょっと驚いて

「え⁉︎貸さないの?」
と聞いてきました。

「いや、貸さないってことは絶対ないよ、
もちろん」

「じゃ、それ言う必要ある?」

そのペン立てに立っているようなものは
貸して、と言われたら
まず間違いなく貸すでしょう。
だったら

「貸して」
「いいよー」

のやりとりは、必要ないと言うのです。

なるほどね🧐
と思いました。
それも一理ある‥

ただ、
たとえ意味のあまりないやり取りでも
「ちょっとこれ貸してくれる?」
「いいよいいよ。どうぞ」

そのやりとりをしてから使う、
日本の言語文化を、
わたしは美しいと思います。
わたしはその文化で育ってきたし
その方が自分にはしっくりきます。


もしそこが日本だったら、

「たいていの日本人にとっては
一言断ってから、と言うのがルールだから
たとえ無駄に感じでも一声かけた方がいいよ」

と伝えたと思います。
なるべく摩擦レスで
日本社会に入っていってほしいから。

でもそこは日本じゃなかったから。
合わせるとしたら、わたしのほう。

きっと断らない、断られないという、
信頼関係のもと、
「目の前にある必要なものを使う」
という行為の自然さには、
心地よさも感じました。


その時が最初の
それもよかろう、
「なるほどね、それも、まぁ、ありかな」

体験だったのでした。
その後も、それもよかろう経験は続き、
またそのおかげで
8年もいられたのかもと思っています。


自分はしないけど、
(自分なら他の方法を取るけど)
でもそれでも別にいいよね

というスタンス。

異文化間の摩擦って、
意外と小さなことの
積み重ねからのような気がします。

取るに足らないような小さな擦り傷が
たくさん溜まってくると
耐え難いように思えてくる。

傷つきながら我慢していると
いつか嫌いになってしまうかも。

だから、
あっ、自分とは違うんだー
でも、
それはそれでよかろう
って思えたらな。

異文化の壁を
それもよかろう力で
低くしていきたいと願うのです。


最後までお読みいただき
ありがとうございます😊✨






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