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それもよかろう

重要なメッセージ?

2023年末
お風呂に入っていた時のことでした。
子どもたちが小さかった頃に、
面白がってよく読んでいた昔話のことを、
突然思い出したのでした。

命を助けてもらった動物が、
恩返しをする系のお話です。
ただ、この話が私たち親子の間で
ツボだったのは、
若くて美しく、
気立も良い働き者の娘が
「お嫁さんにしてください」と
お願いしに行った相手が
さほどパッとしないおじいさんだったこと。

しかも、
それに対するおじいさんの返事が

「それもよかろう」

だったことです。

わたしたち親子は少なからず驚きました。
おじいさん強気‥

「おぬしのような娘さんが、
わしのような老人に⁈もったいないことじゃ」
とか、
いっさい言わない。
そして、夫婦になります。

でもなんで急にそんな話思い出したんだろう?
そう考えながらお風呂を出ると、
ちょうど子どもたちが
葬送のフリーレンを観ているところでした。
劇中の似たような台詞に出てきたらしく、
長男がわたしを振り返って言いました。

「おかあ、覚えてる?
“それもよかろう”
昔話の!」

あ、ここで伏線回収なんだ、
と思いながら
「うん、覚えてるよ。
ずうずうしいおじいさんね」



伏線は回収したものの
これがなんだと言うのでしょう?

2024年のわたしに必要なメッセージ?

「わたしなんて‥
全然たいしたことないし‥
これといって取り柄もないし
今やっていることだって
まだまだだし‥ウジウジ👉👈」

というそれ!
もう要らない!
ということなのでしょうか。


考えていくと
「それもよかろう」
は、すごい姿勢だなと思えてきます。

それ以上でも
以下でもなく
差し出されたものは受け取る。

そして他の人の行為に対しても
批判もジャッジも
自分の常識とは違っていても
「なるほど。それもよかろう」
と、受け入れる。


(もちろん犯罪や
他人を貶める行為は別として)
わたしたちが、もう少し
「それもよかろう」
姿勢を大きくできたなら
世界はもっと生きやすくなるのでは‥

わたしがなぜ
自分の好奇心にまかせた経験や
異文化のことを伝えたいと思ったのか
それは
自分の常識は、誰かの非常識
だから
「それもよかろう」
と思ってもらいたいからなのかな
と思ったのです。


異文化を受け入れるとき


わたしは
タイ🇹🇭の北部チェンマイ付近で
合計9年近く過ごした経験があります。

それ以前は横浜の日本語学校で
講師をしていました。
アジアを中心とした、
様々な国からの学生たちと過ごしていましたが
それは日本の常識の中での生活です。

一方、タイに住むということは
タイの常識の中での生活をするということ。


わたしは
星の海王星みなのか、
数秘の33みなのか、
どこに住んでいても
いつもちょっと異邦人のようでもあり
どこに移住しても
ずっと前から住んでいたかのように
暮らせてしまうようです。

30年前のチェンマイで
トイレや洗濯の仕方が
生まれた家とは全く違っていても

「こんにちはー」と聞こえた時には
その人はもうわたしの家の中にいて
「水飲ませてね」
と聞こえた時には
もう冷蔵庫を開けている‥
ようなことがあったとしても

割合すんなり馴染んでいけたのは
最初の頃に
「それもよかろう」
を体験できたおかげかもしれません。



長くなってしまったので
続きはまた次回に

最後までお読みいただいて
ありがとうございます😊✨



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