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生後82日の息子と一緒にボロボロ泣いた。

真っ赤な顔をして我が子が泣いている。

朝から何度も、目を閉じて眠ったと思いベッドに寝かせるとぐずる。そのたびに抱き上げ、あやす、の繰り返し。手首は腱鞘炎一歩手前のように痛み、先週から痛みを増した腰は、2ヶ月を過ぎていよいよ重くなってきた子を抱き上げるといまにも砕けそう。9月に入ってからぐっと気温が下がったドイツ、風邪の前兆か疲れが出たのか、鼻炎と喉の痛みがひどい。息苦しい。

思えば満身創痍だった。

子どもは顔をしわくちゃにして泣いている。ずびずび。せき込みしゃくりあげている。見ているこちらも悲しくなる。泣き止ませないと。でも、このままでもいいやとも思う。あまり深く考えられない。分からない。

泣き止まない我が子を抱き上げ、私も泣いていた。


慣れないドイツで慣れない子育て。

産後に日本の友達とskypeで話すと「意外と元気そうで良かった!」と言われたし、何よりこどもはべらぼうに可愛いし、私自身、「(思いのほか)大丈夫でよかった~」と思っていた。

でも、少しのことで心の糸が切れてしまうほど、疲れていた。

どこにいても「孤育て」になる可能性はあるし、それは日本に居たら解消されるものとも限らない。けれど、まだ頼れる人や知り合いは少なく、気心の知れた友人がいない国で、母国語でも第二言語(私の場合は英語)でもない言葉で生活するストレスと心の不安定さが、孤独感を増している面は確かにあった。

先日、友達とメッセージのやり取りをして、「(移住、妊娠、出産と)この一年、本当によく頑張ったよ!」と言われた言葉が胸に響いていた。

うん、私がんばった。現在進行形でがんばってる。はず。

でも、なんのために?誰のために?

そもそも何かのためでないと頑張れない?

勉強や仕事とは違う、評価者のいない、点数のつかない頑張り。

日々生活していること自体を評価してほしいというのも、変な話だ。

「でもさ、大人もだれかに褒められたい、認められたいよね」とも言った友の言葉が的を得ていた。

* * *

そういえばと思い出したことがある。

昨秋、ドイツに越してきて間もない頃、イギリスに留学中で日本に帰国間際の友人が遊びに来てくれた。

3年間の学生生活をイギリスで過ごした彼は、初年度の不安定さをマズローの5段階欲求説にあてはめて、「イギリスに来たばかりの頃は、「生理的欲求」と「安全の欲求」しか満たされていない。他者と関わり、集団に属する「社会的(帰属)欲求」、自分を認めたいかつ認められたい「承認欲求」、創造的活動につながる「自己実現の欲求」の上位3つが満たされていなかったので、自信がないしすごく不安だったんですよね」と言った。

それから彼は言語をさらに磨き、大学での居場所を開拓し、課題でも評価を得、自信がついて、最後の3年時にはだいぶ気の持ちようが違ったと言っていた。

そうか、(学校や職場、コミュニティなど)社会的にどこにも属していない私、満たされていない帰属欲求。不安定さはそこからか。当時、自分が抱える不確かさの理由が説明されたように感じて納得し、その話を記憶していた。

* * *

帰属する居場所がほしい。認めてほしい。自分をなにかで表現したい。そう思うのは自然なこと。

母親になって82日、当然だが子どもにかかりきりになり、外(社会)とつながることが少ない私は、その手段が見当たらなくてもがいている。

ドイツに来て以来、生活言語が変わり、リズムが変わり、周囲の人も仕組みも環境そのものが変わって、ゼロからのスタートで誰も知らない存在としての私。

マズロー説でいうところの欠乏欲求のひとつ、「社会的(帰属)欲求」からして満たされず、さらに自分のアイデンティティの後ろ盾を失ったような気がしていた。

「そんな中で頑張ってるんだから」と、我が子はこれ以上ないほどかわいいのにそれでは飽き足らず、何らかの評価を求めてしまう自分がときに嫌にもなった。

いろいろな思いが交錯して、涙が出た。

もう泣いてしまえ。

止まらなかった。

この日記を下書きに保管して数日。

本当にただの日記。なんの示唆も解決策も今後の展望も、ない。読み返して、迷ったけれどそのままポストすることにした。

こんな日もあったなと、いつか笑いたい。そんな日が来るといい。

今日も我が子は必死にお乳を飲み、満足そうな顔をして、鼻の頭には私のトレーナーの跡をつけている。それが、たまらなく愛おしい。


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