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あと1ヶ月と少しで母になる

あと1ヶ月と少しで母になる。産まれるまでは、そして産まれたあとも何が起こるかわからないけれど。「残りわずかなひとり時間、楽しんでね」と出産した友達に言われるいまの気持ちを、これまでを振り返りつつ、まとまりのないままでも書き留めておこうと思う。

退職、日本での暮らしを一旦閉じてドイツへの移住、夫との新しい環境での生活、全てが1年以内に起きた。ドイツにきて1年足らずで妊娠して出産することになるとは自身でも思いもよらなかった。わかったのは移住して3ヶ月ほど経った昨年の秋で、嬉しさよりも不安と心配がまさって第一声は「どうしよう」。嬉しいことのはずなのに、すぐに喜べない罪悪感も重なって、涙が出た。

判明してから1週間後、最初の婦人科検診で心拍が確認できて、「ああこれは覚悟しろって赤ちゃんが言ってるんだな」というようなことを思ってまたじんわりと涙が出た。不安の涙というより、「本当にいるんだ」という、どこかほっとした涙だったように思う。先生に「出産を希望するか」というようなことを訊かれて、あれほど狼狽えていたのに「もちろん」とすぐに出た自分の言葉に、少し驚いたことも覚えてる。

その時思った「覚悟」は、まだどこか旅人気分でいた私がこれからドイツで暮らしていくこと、命を宿したこと、その新しい命と自分の体に対する責任、そういったことをひっくるめての「覚悟」だったような気がする。

それからは、つわりが始まり、ドイツ語学校に行かなきゃと思うのに体が動かない、怠けているわけではないのにとにかく無気力で、家でひとり、何もできない自分が嫌で、涙が出た。先々を考えすぎて、新たな不安の種を勝手に増やしては、どんどん気持ちが落ち込む日々。

「お腹にもうひとりいるんだ」って思って前向きになれる日もあれば、身近に話せる友達もまだいない暮らしの中でどうしようもなく孤独に思えて、無事に産めるのかどうか果てしない不安に襲われて、夫が仕事から帰ってくるまでドイツの冬の暗い部屋でひたすら泣いた。

すでに母はおらず、住民票と保険を抜いてきた日本に帰っての出産という選択肢はすでになかったのに、「日本だったら」というたらればの願望ばかりが出てきて、そんな自分が更に嫌になった。私の場合、つわりは、体より精神的にしんどかった。

つわりで苦しんでいる頃、思いがけずメッセージをくれた日本の友達には妊娠を伝えて、話を聞いてもらったり、助産師の友達にはアドバイスをもらったりした。いつ伝えるのが正しいかなんて分からなかったけど、一人で抱えているのは重すぎて、どうしようもなかった。

言葉もままならない、知らない土地で新生活を始めたばかりでの妊娠に怖がる私に、「ベストな環境やタイミングで妊娠するなんて、ほんの少しなんじゃないのかな」と言ってくれた友達(2児の父)。本当にそうかもなぁと思ったし、いつしか、このタイミングで新しい命がやってきてくれたことに意味があるんだろうな、と思うようになっていた。

とはいえ、友達に妊娠を伝え「マタニティライフを楽しんでね」と言われると、「まったく楽しめてないな、楽しめるものなのかな。そのためには何をしたらいいんだろう・・」とへこんでしまうほどには常に気持ちに余裕がなかった。

母じゃない状態には戻れない

その頃から7ヶ月。巡って季節は春、もうすぐ夏になる。

最近は胎動が激しくてろくに眠れない。当初の漠然とした得体の知れない不安から、産むときの恐怖、陣痛に耐えられるかな、ここでちゃんと育てていけるのかな。。という不安が大きくなってきた。妊娠期間中は常に不安なんだなぁ。

進学、就職、結婚、移住、今までのどの人生の転機も、極論を言ってしまえば「合わなかったらやりなおせばいい」。けれど、出産はそうはいかない。

産まれたら、二度と「母じゃない」状態には戻れない(可能性としていろいろなことが起こりうるけれど、「母じゃなくなる」ことはないと思ってる)。

なんというのか、事前と事後でここまで変わる人生の転換期って出産ほど大きなものはない気すらしてしまう。それほどに、正直、こわさもある。うん、こわい。その見えない変化が怖いし、ちゃんと母になれるのかな、育てていけるのかな、と怖い。

産まれる前の気持ちには二度と戻れないから、とりとめのないことでも今思うことを書いていこう。

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