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めざせ、薄味のわかるオトナ

ここ2~3年だろうか。味が濃い食べ物を、身体がとんと受け付けなくなった。
ガツンと濃い味を食べたい! と思うのは2カ月に一回くらい。欲望に任せて濃い食べ物を摂取すると、その後3日間は後悔する。胃袋が心に向かって「悔い改めよ」と説教をする。近頃はその繰り返しだ。


最初に「あかん、濃いぃ。味が濃すぎる」と感じたのは、レトルトカレーだった。お湯かトマトジュースで薄めて食べたい、とメーカーさんにとっては非道なことを考えた。味が濃いのもさることながら、表面に浮いた脂がもあかんかった。とにかく〝重い〟のだ。
味が濃いので、当然ご飯が進む。いや、ご飯を食べないとカレーが〝薄まらない〟から、ご飯をもりもり食べてしまうのだ。明らかなカロリーオーバー、負のスパイラル。これはあかん。


そのうち、レトルトのパスタソースも「濃いぃ、重いぃ」と感じるようになってきた。ソース1人前に対し、パスタを2人前使わないと、私にとって適度な濃さにならない。またしても負のスパイラルだ。


冷凍食品のパスタも、数年前までは週3でお世話になっていた。カルボナーラやカニクリームなど自作しづらいソースも、冷食ならレンチンですぐに出来上がる。大変便利でありがたい。そしておいしい。おいしいことは変わらない(むしろ冷食の味はどんどん進化して、ここ数年で飛躍的においしくなっている! と思う!)んだけれど、いかんせん「濃いぃ、重いぃ」になってしまった。冷食のパスタにも、ゆでたパスタを投入したい。ソースの味をパスタで薄めたい。メーカーさんには重ね重ね申し訳なく思う。

(ちなみに現在、パスタについては、レトルトソースや冷食は一切買っていない。トマトやトマトジュース、ハーブ塩、オリーブオイル、粉チーズだけで味付けは十分になってしまった。)


さらに去年あたりからは、市販のルウで作るカレーすら濃く感じている。ただ、市販のルウは、ある程度自分で濃さを調節できる。水やトマトジュースを多くしたり、野菜をこれでもかとぶち込んだり、工夫ができるので良い。
しかし、来年あたりはそれもあやしい。ルウ自体をしょっぱいと感じる日が、すぐそこまで近づいている、気がする。恐らく2年後くらいには、スパイスカレーを自作していることだろう。


年齢を経て、味覚が変化してきた。身体が求める味や栄養素も変わってきているのだろう。それに抗う気はない。抗ったところでいいことは一つもない。
でも「ちょっと前までは、濃い味を喜んで食べてたのになあ」という一抹の寂しさはある。これが〝老い〟ってヤツかと。


食品を購入する際、パッケージにおどる文字も気にかかるようになってきた。減塩、糖質ゼロ、低GI、カロリー控えめ……いや、こんな文字におどっているのは、おどらされているのは、むしろ私の方だ。同じ食べ物なら、少しでも身体にいいものを、と考えてしまう。


〝身体にいいとされるもの〟〝身体が求めているもの〟〝心が欲しているもの〟この三者が、スロットの「777」のように揃うのが、一番望ましい状態だ。
しかしこのスロット、わかっていてもなかなか揃わない。特に疲労がたまっている時、心がくさくさしているような時は絶対に一致しない。「心」が濃い味に向かって暴走してしまうのだ。


では、「心」を落ち着かせるためには、スロットを穏やかに揃えるにはどうしたらいいか。
「そもそも心が疲れるようなことはしない」ことだ。
ふだんの薄味で満足できる精神状態を保つこと。穏やかに日常生活を送ること。これが一番だ。


「777」の内容は、年齢とともに変化する。
物は考えようだ。濃い味を受け付けなくなった自分を〝老いた〟と嘆くのではなく、薄い味もわかるようになった、〝オトナになった〟と褒めてやろうではないか。


めざすは〝薄味のわかる、穏やかなオトナ〟。ステキじゃないか。

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