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理由を問い続ける。800キロのスペイン巡礼日記とend of the world


バレンシアオレンジ色の朝陽が、濃紺の空の海に現れる。
曖昧に溶け合い出した境界を眺め、昨日の終わりを知る。
どれ程凍った地面を歩き、白い月を朝の空に見ただろうか。
彼らは知っているのだろうか。僕らがこの道を歩く理由を。

このスペイン巡礼は2013年12月1日に始まり2014年1月9日に終わる。40日近くをかけて800kmのスペイン巡礼に関する文章で、【巡礼編】と【end of the world編】の2編から構成される。世界一周をしていた旅の途中でのスペイン巡礼。人生の意味を問い、新しい人と出会い、別れに涙する。強烈に印象に残っている旅の記憶と旅の匂いを綴った日記のようなもの。

初めに。

「どこに行くの?」
「サンティアゴ・デ・コンポステーラまで」

「いいわね。いい旅を」

こんな会話があふれる場所、フランス・サンジャンピエデポート。
冬。風は冷たく、吐息は白い。

サンジャンピエデポートはフランス西端。大きな荷物に白いホタテの貝殻を括り、杖を持った人がそこらを歩いている。彼らはスペイン西の地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」までの800キロのみちのりを1ヶ月程かけて歩いて目指す。

サンティアゴ・デ・コンポステーラは、エルサレム/イスラエル、ローマ/イタリアと並んでキリスト教の3大聖地の1つ。800キロ続く道の名は【El Camino de Santiago/エル カミノ デ サンティアゴ】と呼ばれる。

フランスから始まる道。スペインから始まる道。ポルトガルから始まる道とさまざまな道があり、始める場所は各自の自由。始める時期もタイミングも各自の自由。現在も年間約20万人程が行っている巡礼の旅。

フランスの道の始まりの街と言われる「サンジャンピエデポート」は綺麗な家々が並び、道は石畳できっちりと舗装されている。街の上の草地には羊がのんびりと歩いている。穏やかな景色と静かな興奮に包まれた街で「見送りと始まりが共存する街」という言葉がとてもに似合う。

説明がすこし長くなっているが、もう少しだけスペイン巡礼の情報について書きたい。

スペイン巡礼はだいたいの人は夏から秋に行う。夏と秋の時期は自然が綺麗で人気らしい。僕が行った12月〜1月の冬の季節は、もっとも巡礼者が少なく夏の10分の1程度だ。雪のため封鎖されている道もあり、巡礼宿も多く閉まっている。僕はわざわざこの過酷な時期を選んだわけではなく、単に知らずにこの季節に来てしまった。

人も少なく過酷な冬のスペイン巡礼。これは2014年の僕の体験記。1万文字近くあるので、時間がある時にゆっくりと。

【end of the world】

今思い返しても「なぜスペイン巡礼を行ったのか?」という明確な理由はない。なんとなく直感で。ちょっとした冒険をしてみたかったという言葉が正しいような気がする。初日から大変なことが起こったのだけれども、もちろんそんなことが起こるなんて予想もしていなかった。ただ、不測な出来事が起こるから旅は楽しい。

なんて格好のいいことをいっているけれどもこれは無事に終わったから言えることだ。人間は記憶をすぐに美化する生き物だ。記憶なんて曖昧なものなのだ。

【巡礼編】

巡礼には登録が必要らしい。しばらく登録をできる場所がわからずさまよっていたが、なんとか巡礼のオフィスを発見する。今日の登録人数を見ると僕を合わせて4人。今目の前で説明を受けているイギリスとフランス人の夫婦と、スペイン人と僕。彼らの説明が終わり僕の登録が始まる。

説明は、簡単なものだった。

・巡礼者は【ブリグリノ】と呼ばれる
・巡礼者は、巡礼宿【アルベルゲ】に泊まれる
・巡礼者は、証明書【クレデンシャル】を常に持つこと
・冬のこの時期、初日のルートで山の道は必ず避けること

他にも何か大切なことを言われた気がしたが、案内のおばちゃんがフランス語と英語を混ぜて話すのでなんだかよく分からない。僕は、名簿に名前を書き込み、証明書【クレデンシャル】と初日の地図を貰った。

「2日目以降の地図は貰えないの?」

僕は聞いた。

「ここで、あげれるのは、初日のものだけ。」

まあ、しょうがない。不安はあるもののいよいよ巡礼が始まる。

巡礼のオフィスからしばらく歩き今日の宿泊場所を見つける。家の外についている黄色い貝殻のマークが目印だ。この巡礼では『貝殻』が全ての目印になる。宿の重たいドアをゆっくりと開けると、宿主の老婆が椅子に静かに座っていた。

家の中は薄暗い。彼女はゆっくりと立ち上がり僕に何かを言った。70過ぎくらいなのだろう。彼女は少しはにかんでベットルームを案内してくれた。40脚程のベットが並んでいた。先ほどのイギリス人とフランス人の夫婦に挨拶をし僕は自分のベットを選んだ。2段ベットの下段。

明日への期待とじんわりとした不安を感じながら夕食を探しに街に出た。日曜日だけれども多くのお店が閉まっていた。街のはずれにぽつんと光るお店を見つけ、ビールとピーナッツとサンドウィッチを頼み夕食とした。

宿に戻りリビングで日記帳のような情報ノートを発見した。いろんな国の人のたくさんの想いが綴られている。読んでいると60歳以上の方々もかなり参加されているようだ。必要なのは体力だけでなく、むしろ精神力なのだろうか。そして、そのノートの途中にこう書かれてあった。

”A journey of a thousand miles begins with a single step”

日本のことわざで言えば「千里の道も一歩から」。

【end of the world】

今でも、この日、この街のことをはっきりと思い出すことが出来る。これから、何が起こり、何を考えながら歩くのか。全てが分からなかった。ここから、始まりの場所「サンジャンピエデポート」は見えないけれども、思い出すことはかんたんに出来る。どんなに小さな【a single step】でもいいから動かないと景色も世界も変わらない。一枚の写真を見ていても、鳥は鳴かないし太陽も昇らない。

【巡礼編】

早朝。と言っても7時頃なのだが、ゴソゴソとみんなが動き出す。4人で簡単な朝食をすませ出発の準備をする。宿の老婆に挨拶をし、重たい扉を開け一歩を踏み出した。朝日はまだ見えなく外は寒い。

街の中をしばらく歩くと田舎道が開ける。動物の匂いを嗅ぎながらすこしずつ進む。牛、羊、鶏、犬。僕ら巡礼者は、貝殻のマークと黄色い矢印に従いながら歩く。交差点、ガードレール、道路、木々に様々な場所でその大切なしるしを確認する。一人で歩いているのだが不思議と寂しさは無い。歌を歌ったり、一人で漫才をしたり、動物と会話しながらゆっくりと歩く。

初日はずっと上り道だった。徐々に体力を奪われていく。どこかでランチをしたいけれど山道がはてしなく続く。そして、突如、雪道が現れる。トレッキング用の靴をはいているものの、もちろん雪の道は歩きにくい。登れど登れど、道は終わらない。持っている杖に体重を預け、雪道の途中で休憩をする。そして、また歩きだす。

鉛のように重たい足。初日からこんなにも辛いのか。想定外だ。中高の部活を思い出しながら、歯を食いしばって歩く。「苦しみが無くてはやりがいは無いだろう」なんて言い聞かせながら。

次第にそんなことを考える余裕すら無くなってくる。執拗に続く雪の道。周りの高い木々が空からの光を遮断する。立ち止まる回数の間隔が徐々に短くなって来た。この山道に入って、どれだけの時間が経過したのは分からない。そして、左の足が痙攣を始める。止まっても震えが止まらない。

そして、とうとう僕はこの雪道の途中で止まってしまった。息を切らし、杖を突き、空を見上げる。あとどれ程歩けばいいのだろう。終わりが分からない。不安がよぎる。もしかしたら、道を間違ったのではないか。確かに、貝殻と黄色い矢印を見ていない。一度不安がよぎるともう悪い思考は止まらない。

世界一周で使っている大きなバックパックを雪に投げ捨て座る。持ってきた最後のチョコレートを食べながら考えた。この道を進むべきか、戻るべきか。バックパックをここに置いていくべきか。あるいは、少しだけ持っていこうか。そんなことを考えながら僕は目をつぶった。しばらくの間。

ふと、声がした。目を開けると、目の前には、サンジャンピエドポーの宿で会ったイギリス人とフランス人の夫婦がいた。心配そうに僕を見つめ「大丈夫?食べ物か飲み物はいる?」と聞いてくれた。

「もう2,3キロするとこの上り道は終わり下りに入る。そうしたら、次の街は直ぐ見えるからあとすこし頑張ろう」

この言葉は暖かく僕は救われた。彼らに手を振りしばらくして僕は再出発をする。のろのろと歩き、1時間程歩いて山の頂上を超えた。悲鳴をあげる体と一緒にゆっくりゆっくりと。

やっと街が見えてきた。今日の終わりだ。1軒のカフェバーを発見し入る。そして、先ほどの夫妻と再会した。イギリスの男性の名前はジョン。彼は、到着した僕に真っ先に「おめでとう」と祝ってくれ、そして1杯のビールを奢ってくれた。サーバーから注がれたキンキンのビール。喉から胃に落ちるビールがうまい。冷えきった体を暖炉であたため、思考を失った生き物のように僕は揺れる炎を眺めた。

しばらくして巡礼宿で手続きを行いベットで横になる。疲労困憊のはずなのに、頭が異常に冴えてまったく寝れない。夜7時頃。ジョン達が教会に行くというので僕も一緒に行った。ミサだった。初めて教会で司祭と祈りを捧げる人を見た。白い衣装をまとった司祭は3人。彼らはどこか遠くを眺め、お辞儀をし壇へ上がる。そして、祈りが始まった。スペイン語で祈られるそれは、どこか天から降りてきた言葉のように綺麗だった。

「サンタマリア」という言葉だけ聞き取れる。そしてみなは十字を切る。膝をつきながら祈る人。今にも泣き出しそうな人。無表情に正面を見る人。祈りは歌へと変わった。司祭は、中央にある分厚い聖書を開き読み始めた。新しい体験はいつも面白い。

ミサが終わり夕食を僕ら4人で食べた。

「不思議よね。こうして、昨日まで全く知らなかった人達と食卓を囲んで食事をするなんて。まるで家族みたいね」

スープが暖かくてとても美味しい。

ジョン夫妻は仕事の休暇で来ているらしく、3日間だけの巡礼。奥さんが過去に2度巡礼を行っていて、今回は夫を誘い来ているらしい。夕食を終えると睡魔がやってきて眠りにつく。そして、ようやく長い長い初日が終わった。

【end of the world】

初日はとにかく本当に辛かった。心が折れそうだった。本当にみんなこの道歩いたのだろうか?僕が道を間違ったのでは?靴が悪い?バックパックのせい?思考はどんどんネガティブになった。

靴はシェアハウスメンバーの長谷部君に選んでもらった。行く前に色々とスペイン巡礼について教えてくれた福田君。そして、砂漠ランナーのまもり君の言葉を思い出す。

「砂漠マラソンが教えてくれた事があるねん。絶景って、ただその場所に行っても絶景やないねん。途中での、苦しみや痛みが、そのただ綺麗な景色を絶景にするねん。」

なるほどねえ。

【巡礼編】

目覚めた体をゆっくりと起こす。下半身が痛い。両足の裏が特に痛く立っているだけでも痛い。筋肉痛の痛みとはまた違いトイレまで歩くのもままならない痛みだ。

一緒にいたスペイン人から痛み止めのクリームを貰い、入念にマッサージをする。痛みを堪えながら今日を開始する。

山道の綺麗な景色が広がっているけれども、楽しむ余裕はまったく無い。しばらくすると雪に覆われた道になった。

「ここ歩くの?ここはCaminoの道なの?」

もう、なんだかどうでも良くなってしまって雪道を小走りする。途中で小さな集落を通り、パンとハムとコーラを買って簡単なお昼とした。道ばたにカバンをおろし休憩。

スペインの集落は驚く程ひっそりとしていいた。スペインのイメージと言えば赤。情熱で大地を鳴らす民族を想像していたが、巡礼の道で会う人々は、冬の厳しい雪に耐える雪国の人々のイメージに近い。

途中の街で教会を発見し休憩をする。とにかく休憩が多い1日。3時に鐘の音が街なかに響きわたる。ある一人の男が近寄って来た。セルビアから来た男だった。ひげで顔の下半分がよく見えないほど濃い。

「やあ。どうしたんだい?」

「ちょっと疲れて、休憩中」

僕はそう答えた。

彼は、この巡礼の道を聖地サンティアゴから逆走して歩いているらしく、今日で1ヶ月程になるらしい。

「君はなぜこの巡礼に参加しているの?」

僕は解答に戸惑った。僕が巡礼をしている理由。そして、この800キロもの道のりを歩こうと思う、動機、モチベーションはなんなのだ。

しばらく考えて答える。

「まだ、上手に言葉に出来ないのだけれども、一つの挑戦だと思っている」

僕は続ける。

「こんなに長い道を歩くことは始めて。今、1年間の旅の途中で、毎日楽しいのだけれど、何かが足りないんだ。何かが。そして、今はまだ分からないんだけど、僕は『新しい何か』を探している。それは僕の近くにある気もするし遠くにあるのかもしれない。その『何か』を歩きながら、考え探したいと思っている」

彼は僕の目の前で静かにうなずいていた。しばらくして口を開いた。

「僕は、クリスチャンでも無いんだけど、今は聖書の勉強をしている。ほら、バックにも入ってるし、ipadでも読める。読んだ後に自分で考える。これがとても面白いんだ。そして、知れば知る程、僕の知らない扉が開いていくのが分かる。そして、それをさらにさらにって追求をしているんだ。鍵はどこだ。扉は何だ。って。この先には、何があるんだって。この巡礼は、スピリチュアルな事を考え、そして気付く事にもの凄くいいんだ」

と興奮気味に語った。彼が純粋に楽しそうに話すのが羨ましかった。彼から少し元気を貰って7キロ程先の今日の宿泊場所に到着した。

【end of the world】

「なぜ行うの?」

この問いこそ、この巡礼の道で一番多く聞かれる質問なのだ。
そして、最も大切な問いである。

名前は?出身は?Why?大体、この3つが問われる。

「理由」はなぜ必要なのか。

世界にもし僕しかいなかったら、この道を歩く理由を言葉にする必要があるのだろうか。自分の奥底にある何かが囁いたから。なんとなく。でもいいのだと思う。

ただ、自分以外の誰かは理由を知りたがる。「君はなぜそれをしたの?」理由というのは、自分以外の誰かに説明するために必要なのではないか。時には自分を納得させるために必要なのだ。別に言葉として探さなくてもいいのかもしれない。感情なんて、不安定で消えたり現れたりする気分屋だ。それを言葉というかっちりとした、形あるものにするには、エネルギーがいるし、感情の一表面をなぞっただけになることもある。

そして、この『理由』は、今この瞬間には分からない事もある。なんでやっているんだろう。後から振り返って考えるとその理由は分かったりすることもある。でも、いつまで経ってもなぜその行動をしたのか分からないこともあるのだから不思議なものである。

直感。本能。

一番『言葉』から遠い言葉。

【巡礼編】

2日目、3日目ともに、相変わらず痛みと戦いながら終わる。何かについて考える余裕もなく。3日目はパンプローナという街についた。街に放つ牛を市民で追い立てる牛追い祭りが行われる街。毎年けが人がでるらしい。

ただ、そんな荒れ狂ったイメージとは違い、町並みはとても綺麗で中心部にはバーがずらっと並ぶ。そして、Caminoショップを発見し、湿布クリームとスペイン巡礼の本を入手した。早速、その本を読んでいて一つ重要な事に気付く。バックの重さだ。

「基本的に体重の10パーセント程にすること。
10キロ以上なら、バックの中身を見直して下さい」

僕のバックは28キロだった。世界一周中だったので、全ての荷物が入っている。とにかく本が多い。英単語帳、スペイン語の文法書、小説。そして、なぜかスラムダンク。安西先生、巡礼がしたいです...。宿にそっとスラムダンクを置いて僕はまた歩き始めた。

翌日からもゆっくりと歩き、のろのろ進んで行く。前を見ても、後ろを見ても誰もいない。ただ、あるのは道だけだ。道も空も羊も僕と会話してくれない。風の音が音楽に聞こえることも、羊の鳴き声が僕を癒す効果になることもない。ああ、誰か会話して下さい...。と願っても何も起きない。

湿布クリームの効果があったからなのか痛みに慣れてきた。そして、頭の中も少し余裕が出てくる。この頃から「無意識になにか思い出す」ということが起こるようになった。それは突然に。小学校時代から、中学、高校、大学、社会人の生活まで。頭の中には過去と未来とが入り乱れ時系列がわからなくなる。頭の中にあるのは、現在とそれ以外。その物語はどんどんと進んでいく。そして、思い出された物語が勝手に進んでいく。まるで夢でも見ているかのように。


夜、一緒に泊まっていた人と会話をした。
会話は、名前は?出身は?Why?からやはり始まった。

彼は、韓国人のトゥバン。29歳。会社を辞めて、このスペイン巡礼に来たらしい。

「いや、なんだか疲れちゃってさ。僕は、会社でもの凄い働いていたんだ。朝早くから、夜遅くまで。時には、休日だって出社する。日本の会社も似たような感じだって聞いたよ。大学を卒業して、今まで毎日必死に働いた。感情の無いロボットのようにね。

ただ、ある日突然、自分がなぜ、何のためにこんなに働いているのか分からなくなった。急に。そして、自分が何者であるのか、分からなくなった。Who am I? 俺は、誰なんだって。そこで止まってしまった。そして、この会社でこれ以上働く目的も何もかもが一気に崩れて無くなってしまった」

彼は静かにそう語った。

【end of the world】

スペイン巡礼の道では、皆何かを背負って歩いている。

どこか弱さを抱えながら、それを撫で見つめる時間。ふとした時に、感情、記憶、考えが体を通り抜ける。その繰り返し。気まぐれに吹く風と同じく。

何かの大義名分を掲げている自分は強い。何かを強く信じている自分は強い。これをやるのは、先輩のためだ。国のためだ。家族のためだ。ただ、時にそこに自分を失う。

自分らしさ。自分のアイデンティティ。自分の核。

宿でよんだ小林秀雄の本の中に自己と個性についての記述がある。

独創的に書こう、個性的に考えよう、などといくら努力しても、独創的な文学や個性的な思想が出来上るものではない。あらゆる場合に自己に忠実だった人が、結果として独創的な仕事をしたまでである。

そういう意味での自己というものは、心理学が説明出来る様なものでもなし、倫理学が教えられる様なものでもあるまい。ましてや自己反省という様な空想的な仕事で達せられる様なものではない。

それは、実際の物事にぶつかり、物事の微妙さに驚き、複雑さに困却し、習い覚えた知識の如きは、肝腎要の役には立たぬと痛感し、独力の工夫によって自分の力を試す、そういう経験を重ねて着々と得られるものに他ならない

他人と違う人生を送りたい。自分だけの人生を。自分を確認するために、他人と何か違う事をしなくてはいけない。こんな感情をよく持っていた。

【巡礼編】

翌日からもう一人の韓国人RANが加わった。23歳。ドイツでバイトをした後にこの巡礼に来ているようだ。彼と一緒に歩きながら色々聞いてみた。

「僕は30歳まで旅をしたい。沢山行きたい国があるし。僕は大学にも行っていないし、今は大きな夢が無い。英語で説明するのはなんて言ったらいいのか分からないんだけど。少しずつ考えていけたいいと思ってるんだ」

歩いている途中で彼は大切そうに父親の写真を取り出した。

「父は今病気なんだ。そして、父さんはとても不幸な人生だったと思う」

それ以上に彼の父について聞くことは出来なかったが、彼もまた何かを背負って歩いているようだ。そして、僕はしばらくRANと一緒に歩くことになった。

冬の日照時間は短い。歩ける時間が短くなる。朝7時頃。まだ外は暗く頭にヘッドライトを付け、暗闇の朝の道を進んだこともあった。ある日は、霰が降って来た日もあった。道路は凍っているから下り坂は注意をして歩かないと直ぐに滑る。冬の厳しい道を進み続けた。歩く時は黙々と歩き、宿で皆と再会をする。ある日、あまり多くを語らないイタリア人のエミリオが僕らに教えてくれたことがある。

彼は、イタリアに巡礼宿を持っているらしく、この1ヶ月閉じてこの巡礼に来ているらしい。

「RAN。この前、君に自分の運命について感謝した方が良いって言ったよね。初日に君が山の道に入って生きていたことを。俺は今年大切な友達を無くしたんだ。今でも信じられない。自分の知らない自分の手の届かない場所で起こることは、僕らには何もする事が出来ない。でもそれは起こるんだ。どうしようもない。ただ、自分で出来ることは自分で防げる。自分で自分の人生を捨てることは、決してしてはいけない。失うことと違って、捨てるのはいつだって自分がやる事なんだ。」

彼がゆっくり話す言葉は重たかった。何かを失うこと以上に辛いことは無い。彼は手を固く握り仰いだ。

【end of the world】

エミリオが語った時の状況を良く覚えている。寒いドミトリーで火を囲みながら皆で話していた。いつも食事の話しかしなかったのだけれど、この日初めて彼について聞いた。自分の意思で捨て、失ったものでさえ、後悔することは多くある。

もの凄い依存をしていることが常に自分のそばにあると、それが当たり前になってしまいその大切さを忘れてしまう。この状況がまるで永遠に続くかのような錯覚を覚えて。でも、この世の中に永遠ということはありえないからこそ、永遠という言葉を好み、僕らは使いたがる。

失って初めて気付くこともあるけれどもう元には戻れない。親への愛を歌う、ある歌手が言っていた。僕が忘れかけている永遠の錯覚は何だろうか。

【巡礼編】

歩き始めて20日が経った。クリスマスイブだった。豪雨と強風がスペインを襲う。この日は山の上からのスタートだった。

僕らは風で体制を崩されながら必死に歩く。ポンチョは風によりまくられ、雨が隙間から容赦なく僕らを襲った。隣にいる人の声も聞こえない。片手でフードを抑え必死に前を見ながら歩いた。

宿まで残り10キロ程の道の途中に大音量の音楽を流すバーがあった。そこは明らかに馴染まぬ存在だったけれど、なんだか神々しく思え入ってみた。

姉妹で営んでいるバーだった。スペイン語がよく分からない僕は適当にたのんだ。とにかく暖かいものが食べたかった。野菜炒めのような物を頂いたあと、コーラにデザートを彼女らの好意で貰った。

「今日は大変な日ね。」

窓を強く打つ雨を一緒に聞きながら外を眺めた。

しばらくして、一人のスペイン人が店にやって来た。彼はビールを頼み姉妹と楽しそうに会話している。そして、飲み終わった頃に僕を見ると、

「巡礼者だろ?僕も街まで行くから、一緒に乗っていかないか」

巡礼は、基本的に徒歩、自転車、馬に乗って行われる。もちろん車に乗ることはダメだろう。迷った。巡礼を僕は徒歩で行っているのだ。弱き僕の心がささやく。今日はイブだ。サンタクロースからのプレゼントだろう、と。暫く悩み僕は車に乗り込んだ。

夜、宿ではイブを祝いワインを飲んでダンスをして盛り上がった。

翌日も相変わらず雨だった。昨日宿で会ったセシールを加え、RANと僕と3人で歩き出す。今日は平坦な道が続く25キロ程の道のりだ。セシールの初日の道としてはとてもいい条件だった。進むにつれて、僕らは山道へと入っていった。そして、気付くと僕らは山の頂上にいた。そして、雪が降ってきた。

「ホワイトクリスマス」

皆で、笑いながら空を眺めた。雪の降り方はどこの世界も一緒だ。どこからか舞い降りてきてゆっくりと地面に落ちる。昼になる頃まで僕らは歩き続けた。疲労が見えてきたとき、偶然とある民家の扉が開いた。

「オラ!」

彼は家でコーヒーでも飲んで行かないかと僕らを誘ってくれた。このクリスマスの時期だけ家族でこの山中で過ごしているらしい。英語の先生をしている夫婦だった。僕らはスープとワインを頂いた。

「次の街まで、どれくらいですかね?」
僕らは聞いた。

「今日は何処に行く予定なんだ?」

「ビアフランカっていう所なんですけど」

夫妻が戸惑った表情を見せる。

「今日、ビアフランカに行くことは多分出来ないだろう。ここからは非常に遠いし山を超えなくては行けない。今日は天気も悪い。」

僕らは道を間違いどこか知らぬ山中にたどり着いていたのだ。3人で顔を見合わせてとりあえず笑った。3人で歩いていると、こんな突然の事件の際に、気持ちを分かち合えるから本当にいい。

夫妻からアドバイスを貰い、この山を下った次の街に泊まる事にした。深く感謝し僕らは山を下った。時刻は夕方4時頃。次の街にたどりつき宿を探した。

「この街に宿はある?」
道端を歩いていた人に訪ねた。

「残念だけど今の時期、この街の宿は閉まってるわ。」

途方に暮れる僕ら。この次の街にも宿は無いらしい。困っている僕らをいた彼女がこう言った。

「いいわ。車に乗って。私が送ってあげる」

僕らは冷えきった体を車に入れた。車の中の暖かさが心地よかった。そして、宿の手前で降ろしてもらい何度も彼女に感謝した。彼女の車を見送った後、少し歩いて僕らは宿の扉に手をかけた。

ただ、宿の扉は開かなかった。僕らはこの街で立ち尽くした。次の街さらに次の街に宿が無いことを知っている。そして、今日出発した街からここまで4時間以上かかることも知っている。時刻は午後4時30分。日の入りは午後6時。明るい時間は残り2時間程。この山中で、この雨の中過ごす事は出来ない。

一気にクリスマスにこれ以上無い暗雲が立ち篭めた。とにかく近場の街についての情報を集める事が必要だった。近くの街まで歩くのか。あるいは、もし可能ならば、誰かの家の玄関でいいから、泊めてもらいたい。

近くの民家のドアホンを押す。軍服を来た、かっぷくの良い親父が出て来た。彼は、英語を話せなかったが僕らはジェスチャーで色々と伝えた。

「25キロ先に大きな街がある。そこなら宿があるはずだ」

25キロ。徒歩で6時間程の道のり。今日歩くのはかなり厳しい。彼は、車のエンジンを付け、扉を開けた。彼は片道30分程の道のりをこのクリスマスの夕方にも関わらず、見ず知らずの僕らを送ってくれたのだ。街についてからも、街中の人に聞きながら、僕らが泊まれる安い宿を手配してくれた。

ありがとう。本当にありがとう。

「グラシアス」

この言葉で彼に感謝の気持ちが通じただろうか。僕らはこうして知らぬ街の知らぬホステルでクリスマスを過ごした。

翌日、僕らは巡礼の正しい道に戻らなくては行けなかった。この街から、どのように行くのか分からない。どうやら、バスも出ていないようだった。3人で相談して、本来なら今日ついているはずだった、「ビアフランカ」までヒッチハイクを試みる事にした。

もはや、巡礼でヒッチハイクというよく分からない状況が楽しくなってきた。朝からカフェに入って、白い紙に「ビアフランカ」の文字を書き準備をした。僕らの横に愛想の良い警官がコーヒーを飲んでいた。彼らに頼んでみた。昨日のまでの雨が止みいい天気だった。朝の10時頃。僕らはスペインのパトカーの中にいた。彼は快く「良いよ!」なんて言ってくれたのだ。ここ数日は変わったことがよく起きる。もちろんビアフランカからは、しっかりとまた巡礼の道へと戻った。

ここ数日は自分が想像していないことが起こる。イブに立ち寄ったバーがそのトリガーを引いたように思えてならない。

RANがアルケミストの内容を教えてくれた。

「著者もこの巡礼を歩いていて巡礼の本を出しているんだよ。そして、アルケミストもこの巡礼の道にかなり影響されているらしい」

主人公の名前はSantiago。主人公が夢見たことを追いかけ「前兆」と「大いなる魂」に従いながら話は進む。まるで、突然幸福の世界から来た鳥が自分の元へ舞い込みそれを追いかけていったように感じるが、その鳥も結局は自分の世界に生きているのだ。Follow your heart. ただ、自分に従って進む事を一度失うと、その声を取り戻す事に時間がかかる事を知っている。

他の世界から、僕の中に語りかけてくることはない。世界は結局、自分の世界であり、他人の世界は他人の世界なのだ。干渉することも、混ざることも無い。同じ物を、同じ経験をしても、出来上がる世界が違うことを知っている。声とは何なのだろうか。どこかに生息する生き物なのだろうか。君は、彼らと一緒なのか。

【巡礼とend of the world】

残り5日間。ガリシア地区と呼ばれるスペイン西部は毎日が雨だった。道路に表示されている目的地までの残距離の標識「サンティアゴ 100」を見て喜んだ。同時に終わりへの悲しさがこみ上げてくる。この800キロの巡礼がまもなく終わる。もちろん終わることを目的に歩いて来たのだけれども終わることがなんだか悲しかった。ゴールまでの過程が楽しかった。目的地点に行くことが僕らの目的ではなく目的地点までを楽しむ。数字が減っていくのを見るのは不思議な感情に包まれていた。

巡礼を開始してから35日後。僕は聖地サンティアゴコンポステーラに着いた。大きな街で街の入り口から大聖堂までも4キロ程の道のりだった。大聖堂は静かに僕らを迎えてくれた。一人の巡礼者として。ただその終わりはあまりにも静かで滝を見つめるような感覚だった。マラソンランナーがゴールテープを切った時のような高揚感に包まれ、天まで登れるような興奮があるものだと思っていたが正く違う。「終わった」という感覚も無く、サンティアゴコンポステーラにいる一人の人間でしかなかった。

日本のツアーで来ているおばさま方に偶然囲まれ「手を握って下さい」とか「写真を取って下さい」なんて言われ、少し有名人のような気分を味わったものの、もの凄い空っぽな気持ちであった。

一ヶ月間の気持ちを整理するにはこの一瞬では多分纏まらないのだろうとなんとなく思った。そして、宿をさがしRANと静かに眠ることにした。

翌日の昼に大聖堂のミサに参加した。初日に聞いて以来のミサだ。大きな教会で歌われるこの歌は、僕の知っている歌とはまた違う歌。

そして今、僕はそこから更に西へ100km程離れたFinisterreという所にいる。街の意味は『end of the world』。海が広がるスペインの西の果て。空っぽになってしまった僕は、ふらふらとここまで歩いて来た。サンティアゴもサンジャンピエドポーも見えない。途中で会ったみんなは、今どこで何をしているのだろう。海は目の前で揺れ続ける。

Finisterreにたどり着く2日前。一ヶ月以上一緒だったRANと別れた。この日も、雨の強い日だった。毎日宿で共に起き、ベンチに座りながら昼を食べ、翌日の天気を祈った。

最後の交差点に差し掛かってお互い標識を見た。

時がしばらく止まる。

「この巡礼を決して忘れることはない。本当にありがとう」

別れる際、この簡単な言葉を交わした。顔に雨が滴り、涙と混ざる。僕は声を必死に出した。感情というのはやっかいなものだ。しばらく泣きながら歩いた。別れてからの孤独が嫌だった。

僕らは歩くことに没頭していた。もの凄くおかしな話かもしれないが、歩きだしてから歩く理由を探した。何かを探した。他の人が何かを背負いながら歩いているのに、自分だけなにも背負っていないお気楽な人間であることが恥ずかしかった。かっこいい意味を探した。でも、その言葉は日が経つに連れて僕の前から直ぐに消えていった。

1ヶ月後、僕の中に残ったのは1ヶ月必死に歩いたということだけだ。いや、必死という単語も少し違うかもしれない。ただ歩くことを求めた。歩いただけで、自分の過去を見た。未来を見た。自然を、月を、太陽を、友を。

出会った人はみんな本当に優しかった。
助け合った。

夕方。岬にいる僕は、沈んでいく夕陽を見つめる。
濃い紅色の夕陽が、空から海へと静かに潜り込む。
光が海と空の境目を別け、境界が徐々に消えゆく。

彼らは知っている。

スペインの西には限りない海が続いていて、太陽は毎日昇ることを。
フランスから続く道は繋っていて、この海の先にも道があることを。

海のどこかから歌声が聴こえた。

ありがとうございます!また新しい旅に出て、新しく感じたことや学びを言葉にできればと思います!あるいは美味しいお酒を買わせて頂きます。そして、楽しい日常をみなさんにお届けできれば。