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ちょいちょい書くかもしれない日記(いのち)

ぼんやりと信号待ちをしていたら、近くに小学生男子が来た。
三年生、いや四年生くらいだろうか。微妙なお年頃。
何の気なしに横顔を見下ろすと、口を尖らせ気味なのが生意気っぽくてかわいい。
彼は、その不機嫌そうな顔のまま、傍らに立つ祖母とおぼしき女性にこう言った。
「300円で、俺はいのち1つしか得られなかった……」
なんて?
いのち1つ?
むしろ300円で得られるいのちって何?
なんかちいかわ臭がするな。
困惑する私をよそに、祖母たる女性はソークールに「この世はそういうもんやで」と応じ、ふたりはそのまま横断歩道を渡っていった。
300円のいのち。
誰のもんかは知らんけど、大事にしてあげておくれ。

そういえば、遠い昔に一緒に暮らした二羽めのアヒルのいのちの値段は、98円だった。
ペットショップの店先、直射日光の当たる場所に、首をまっすぐ伸ばせないどころか、方向転換もできない狭いケージに詰め込まれ、「育ち過ぎ特価!」という札まで貼られていた。
見た瞬間、血が沸騰するほど腹が立って、即座にお金を払った。
はいこれに入れてね、とゴミ袋を渡されて、ムカつきつつもお尻だけは包ませてもらった。
公道で排泄は、確かに困る。
どうしても外せない用事があったが、終わるまでアヒルを店に置くことに耐えられず、先方にはアヒルを抱いたまま行った。
事情を説明して謝ると、そこでいちばん偉い人は、「こういうことをされるとね、僕は単純だから、君のこと信用せずにいられないんだよ」と面白そうに笑って、大事な資料を貸してくださった。
情けは人のためならず、だ。
アヒルとの生活は、本当に大変だけれど、本当に楽しかった。
鳥類は、そこに愛情があろうとなかろうと、くちばしで万力のように挟んだまま、さらに捻ってくる。
プライスレスな学びであった。

こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。