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ちょいちょい書くかもしれない日記(絵を買った)

伊藤ゲンさんの絵を購入した。しかも、三点も。

そもそもは、一点だけだった。
東京まで出かけて、じかに見た作品はどれも素晴らしくて、その中でも強く心惹かれたバタークリームケーキを買った。
幼い頃の、誕生日やクリスマスの思い出をギュッと寄せて固めたような絵だ。
レトロに憧れる若者が描いた懐かし可愛い世界ではなく、私と同じ昭和の生き物だけが知るほの暗い空気が、濃密に封じ込められていた。
こういう買い物は、手持ちの現金で払える範囲にするのがマイルールなので、文字どおり有り金を使い果たして帰った。
財布の中には、113円残っていた。なかなかのギリである。いてくれてありがとうICOCA。君のおかげで焼き鳥買えたわ。

作品は、展示期間が終わってから送られてくることになっていて、それを待つあいだに、私は仕事関係の大きなトラブルを、先方の謝罪とお金で落着させる選択をした。
本当は、お金なんてほしくない。ちゃんと、問題を解決してほしかった。
でも、もはやどうにもならないことは途中でわかった。
不幸な条件が重なった、誰にも悪意はなかったというよくある言い訳で、本当の意味での責任の所在はうやむやにされつつあった。
そこでもし、私が何も要らないと突っぱねたら、それこそ何も起こらなかったことにされてしまうだろう。
私にできるただひとつのささやかな抵抗が、お金だった。
組織が予定になかったお金を捻り出すからには、今回の件はどんなに小さくとも記録に残る。
せめてそうしなくてはと思った。
でも、それはすこぶる虚しい、悲しいお金だ。
お金はお金、罪はない……なんて思っていたけれど、実際に受け取るとそうではなかった。
これが私という人間の評価額か、と命を売り飛ばしたような気持ちになった。
心を満たすどころか、魂を痩せさせるようなお金だった。
よくない。非常によくない。手元にお金のままで置きたくない。
こいつを、素敵なもの、美しいもの、愛せるものにすっかり取り換えてやろうと考えた。
展示されていた作品の中で、最後まで迷ったあんドーナツとお寿司の絵について伊藤さんにお訊ねすると、両方ともまだ手元にあるとのこと。
お願いして、買わせていただいた。
手元にきた三点を地元の額縁屋さんに持ち込んだら、「サイズが違うから、小さいほうがちょっと難しいな~」と悩みながらも、お揃いの素敵な額を探し出してくれた。
ステンレスのごくシンプルな額縁が、素朴な絵にとてもよく合っている。
受け取ったお金を綺麗に使い果たしたけれど、後悔はない。
というか、それが望んだことだ。案の定、とても慰められた。
お寿司もあんドーナツも、やはり私の大切な思い出に結びついた食べ物だ。
つらいお金が、心を温めてくれる絵にかわった。
思い切って、よかったと思う。
階段の踊場に並べてかけたので、毎日何度も見る機会があって嬉しい。
偶然にも、三点とも背景がほぼ同じ色だった。
春の朝の空のような、とても柔らかくて優しくて、好きな色だ。
私のところに揃って来るべくして来てくれたのかもしれない。
うんと大事にしよう。

無限湧きするチゴユリとすみれ。

こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。