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憑き物が落ちる場所

noteを開いてなにか書こうと思って書き始めると、言葉選びを気にしたり、構成を気にしたりととにかく色んなことを逐一気にしすぎて、結局中途半端な書きかけの下書きだけがどんどん溜まってしまう。だから、とにかく最近あったことや考えたことを短くてもいいから残しておこうとおもう。気楽にやっていくことにしよう。そうして続けていくことで、書くことに慣れていく方が無理もかからなくてよいかもしれない。

最近は寝起きに胃腸の心地がなんとなく悪いことが多く、胃もたれみたいな感じを抱えながら起きてしまうことが増えた。遅い時間になんか食べて、そんなに時間も経たないうちに寝るからかも…とも思ったが、その癖はだいぶ前からそうだし、友人の言う通り、これはただの夏バテなのかもしれないと思うことにした。たしかに加齢によるダメージというのもあるかもしれないのだが、そう思うとただ悲しくなるから…

今日は休みだったけれど、とくにこれといって急いでやることもなかったので国立まで散歩に出かけた。スナップでも撮ろうとしばらく歩いてみたものの、とにかく暑くて喉もかわいたので喫茶店に向かった。以前に一度訪れたことのある、書簡集という店だ。

ここの扉は背が低い。高さ160cmほどだろうか…少し屈んで、中を伺うような姿勢をとりながら扉を引く。扉にあいた窓も、ひと席だけあるテーブルの脇にある窓も小さいので、店内は仄暗い。この、入るというよりはくぐるという言葉がしっくりくる所作を経て、客は明らかに外よりも時間の流れが遅く感じられる空間へと足を踏み入れる。入口のすぐ右手にはオーディオが設られており、今日はやや明るめのピアノトリオが流れていたと思う。

茶室の入り口をくぐるときも、似た感触なのだろうか。よくよく思い返してみると、チェーンのカフェを除けば、店内の時間の流れが遅くなるような空間づくりがされている店に、好んで行くような気がする。近ごろは、ガラス張りで外光がふんだんに取りこまれ、外に開かれたいわゆるオープンな店が増えてきていて、それはそれで風通しの良さがあっていいと思う。何より入りやすいし…。

しかしやっぱり、門をくぐるように少し身構えて入る喫茶店のほうが、特異な魅力をもっているように思えてならない。店構えには店主の性格が反映されるが、その性格に親しみのようなものを勝手に感じるからだと思う。誰でもウェルカムと言いたいところだが、少しの間、ただ時間が過ぎていくままに身を任せたい…日常のリズムを一時忘れたい…という束の間の逃避を求める声を聴こうとする、その姿勢。

この書簡集には、しばらく時間を過ごしていると、緊張が入り混じった脱力という新鮮な状態に至る不思議な力がある。一人の客はカウンターに通されるのだが、このカウンターによって作り出される店主との絶妙な距離がその要因かもしれない。少し悩んでアイスオーレとチーズケーキを頼むと、今日はお休みですか?と話しかけてくれる。店主はおしゃべりという感じではないけれど、こちらがあまり話さないときは言葉を置くように何か尋ねてくる。話の合間にも、作業をしながら流れている音楽にあわせて微かに鼻歌を歌っているのがよくて、それでだんだんこちらの気も和らいでくる感じがする。

しばらくすると、自転車に乗ってやってきた老齢の男性が一人店に入ってきた。「少し薄めの…アメリカンみたいなのってできる? ちょっと粉少なめにして淹れてもらってさ…あんまり?」こんな感じで珈琲を頼んでいたと思うが、店主は「うーん、できれば…」という感じでやんわりと断っていた。結局男性客は、オーソドックスなマイルドブレンドを頼んだ。入ってきたときの雰囲気、そのフランクさからてっきり常連だと思ったが、どうやらそうでもなさそうだった。

「マスター、朝大学通りの辺散歩してた?」「いやー、出てないですよ」「そう?似た人が歩いてたから…」「よくあそこには草花を摘みにいきますけどね」…

その男性客は、たぶん話すのが好きな人だった。しばらく二人は、一定の間を保つような感じで会話を続けていた。入ってきてすぐにメニューにはないアメリカンを所望するところはやや不躾な感じもしたが、その会話の仕方には独特の節度があった。

またしばらくすると、若い女性客が一人入ってきた。女性客はアイスオーレを氷抜きで頼むと、写真を撮ってよいか、控えめに店主に尋ねた。そのあと10分ほど経ったあとだっただろうか、次はホットオーレを頼んでいた。広くはない店内にはエアコンが二台ついていたので、直下に座ると肌寒くもなるだろうと思った。その女性客は、たぶんカフェオレがとくに好きな人だった。

客が三人になると、誰も話さなくなった。ときたま扉の窓のほうに目をやっては、光の入り方が綺麗だと思った。陽射しが強くよく晴れた日だったから、扉の陰がことさら黒く見えた。

しばらく本を読んで、一時間後に店を出た。その頃には流れる音楽も変わっていて(このCDの入れ替えも店主がカウンターから出てきて行っている)、柔らかいアコースティックジャズギターの曲になっていたと思う。

再び扉をくぐり抜けると、四時ごろになっていたこともあり、雲が出始めて暑さはだいぶましになっていた。少し歩いて気がついたが、何か憑き物が落ちたように身が軽くなっていた。歩みが軽やかになり、しかしその速度はゆったりしていて、魂がすこし寛容になったような錯覚を覚える感触があった。たんに暑さと散歩の歩き疲れがとれただけなのか、それともあの空間に流れていた時間が自分の身体に残っていたのかはよく分からない。

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